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「俺は何もやってへんで」
「いや、あれはあれで才能じゃからの」
「あれは私もすごいと思いました」
「そう? じゃあ大きい顔しとこかな」
クリスは何もしていないが、とりあえずにこにこしながら周囲のブーイングに手を振ってみた。楚々とした、皇室お手振りポーズだ。もちろんブーイングは大きくなった。
「すぐにでも工房へ行って譲渡手続きをしたいところだがの、まだ時間が掛かりそうだからの、その前にちと一戦やっていくか」
「え」
「なに、ただの余興じゃ。儂と、まあそこの青年……ディナンというたかの。あんたとじゃ」
「俺やないんや」
「お前さんと戦う意味はないじゃろ。ほっほっほ」
そんなこんなで、ディナンとフゲン老人のステゴロバトルが突発的に行われることになった。NPCレフェリーっぽい人は、「困りますよぉ~」と言いながらも、運営席から断るなという雰囲気を感じ取って最終的には折れた。
ディナンも乗り気だった。
「おそらくイベント戦闘なので、負けてもクエストが進むと思うんですよね」
「そうなんや」
「新職業開拓のチャンスなので、せっかくですから」
「新職業?」
ディナンによると、このゲームでは初期職業や公開されている上位職業の他、隠し職業というものがあるらしい。特定の初期職業を一定レベルにするだとか、ゲーム中のフラグを回収するだとかの様々な条件があり、隠し職業はかなり多いらしい。そしてフゲン老人も、その隠し職業のフラグになりうる人物ではないか、とディナンは睨んでいるのだ。
「私の知る限り、大仙人という職業はありませんから」
「仙人って、職業っちゅうより種族なんちゃうかなあ……」
そんな会話を最後にディナンはフゲン老人とのステゴロバトルに挑んだが、なんとあっさり負けてしまった。フゲン老人がゆっくりとディナンの額に人差し指を触れさせたかと思えば、そのままディナンが膝を付いてしまい、そこで戦いが終わったのだ。ディナンのHPは全損していた。
レフェリーNPCはフゲン老人の勝利を伝え、ディナンはおそらく回復薬だろう薬を、肩で息を吐きながらなんとか飲み込んでいた。
栗栖はここで急速に頭が冷えるのを感じた。高揚していた感情が落ち着き、なんだか苦いような、酸っぱいようななんともいえない気持ちになる。
「これは、そう、隣の部屋の住人のものすごいイビキで夢から醒めた時の気分やわ」
「どんな気分ですかそれ」
「スン、て感じやな」
「……?」
回復したディナンが立ち上がり、困ったように笑いながら栗栖の側へと歩いてくる。栗栖は正確に今の感情を擬音で伝えたが、ディナンにはうまく伝わらなかった。
「おそらく確率で戦闘不能にするスキルだと思うんですが、なかなか便利そうですね」
「そんな物騒なスキルあるん……」
「だいたいはプレイヤーが使うと人やボスモンスターには効かなくなりますが、そうでないフィールドモンスターと戦う場合かなり有効です」
「たしかに。しかしおじいちゃん、強いなあ」
「ほっほっほ。二人もなかなか見どころがあるぞ。……よし、そろそろ良い頃合いじゃし、行くかの」
フゲン老人がそう言って歩き出したので、二人もそれに続いた。地下の部屋から出る前に、運営NPCっぽい人が慌てて栗栖にコインが入ったずだ袋を渡してきたので、そのままアイテムボックスへと入れておく。メニュー画面のコイン数の桁が凄いことになっていたが、栗栖は見ないふりをした。
「……おうおう、丁度来たようだの」
ゲランシャトーを出て、隣の小さな小さな工房へ向かうと、目の前の道に小ぶりな馬車が停まっていた。一頭立ての二輪馬車で、御者席が後ろにある、輿のような馬車だった。栗栖は映画の知識で、この馬車がハンサムキャブだということを知っていたが、実際に見るとなかなか良い雰囲気をしていた。
「シュッとしてるなぁ」
「……?」
「でも中のオッサンはあんまりシュッとしてない」
「……??」
栗栖のコメントを、ディナンは理解できなかった。できなかったが、まあいいかと聞き流すことにした。
「あれは商業ギルドのギルド長代理、シシリコン・バァレィじゃ。儂が呼んだ」
「……シリコンバレー?」
「工房の譲渡手続きには書面が必要じゃからの」
「ああ、士業の先生なんやね」
「お久しぶりです、老師フゲン」
「おうおう、久しぶりじゃのう」
あまりシュッとしていないギルド長代理のシシリコンは、フゲン老人の前で丁寧な礼をし、栗栖たちとともに工房の中へ入った。中は小さいながらも手入れは行き届いており、通りに面した扉から入れば、カウンターと店が一つの小さな店舗になっている。カウンターの中に入り、奥へ続く扉を開けると、そこは小さな廊下と階段がある。
「あっちの奥が炊事場じゃ。中庭の井戸にはそこの勝手口から出られる。階段を登ったら居住スペースがあるが、工房は一階の、この奥の扉じゃの。あ、厠はあっちじゃ」
「すごいリアリティやなあ」
「まあ、バーチャル・リアリティゲームですから……」
栗栖はどれだけリアルを追求しても、ゲームで手洗いに行くことはないのではないか、と思ったが黙っていた。空腹値のように、もしかしたらゲーム的な数値があるかもしれないと考えたからだ。そうなると、排泄値とか、そういう呼び方になるのだろうか、数値の変動を放置すると恥ずかしいことになるのではないだろうか、などとどうでもいいことを考えながら、フゲン老人の工房説明を聞く。




