直美の話
地平線が赤みを帯び空が薄暗く、星が色づいてきている。今日も一日が終わる・・・。
静かな夜だった、いやな夢を見ているような、暗い毎日が続いていた。一寸したきっかけがあれば、すべてを忘れられるような気がしていた。ちょっとしたきっかけの様な気がするのだが、それが何かが彼女には分からなかった。しかも忘れるべきなのか、追うべきなのかさえ、彼女は分からなかった。結局、あの時のバーに出かけた。そして一人でウイスキーを飲んでいた。
彼女は少し酔いを感じ始めていた。なぜだか彼女は、幼いころの自分を思い出していた。目をつぶると、目の前を思い出が舞い踊る様だった。妹の恵との思い出。思い出したくはない思い出なのだった。恵との初めての口づけ、彼女と抱き合った初めての夜、彼女はすごくその事が悔しかった。
「お姉ちゃんの胸は奇麗」恵が言った。でも恵の胸の方が大きかった。
しかし彼女が初めて異性との夜を迎えた時、その美しい思い出が過ちだったことに気づき恵への思いは憎しみに変わっていってしまった。恵も同じだったに違いない。そうして二人は姉妹という繋がりさえも失って行ってしまったのだった。なぜか彼女は酔うとそのことを思い起こしてしまった。心のどこかで失いたくないものを失った悲しみがあったのかもしれなかった。
直美は幼いころのことを、何か広い空の下を、迷い歩いているような気分の中で、思い起こし反芻していた。緑の奥に続く道に、霧がかかって見えなくなっている。どこへ行けばよいのか。
次の日、直美は、いつもより少し早い時間に家を出た。気温は冬だ。空気は透明に澄んでいる、東の空は淡くオレンジ色に輝いていた。まだ雪が降らない。そのことに、驚きと、喜びと、少し恐怖のようなものを感じていた。
柔らかい光に包まれた、冬の澄んだ空気。大きく息を吸ってみると、針先のように尖ったものが、心の中の何かに突き刺さるようだった。見ていた回りの大きな景色が、小さく縮んでいくようだった。彼女は襟元のマフラーを巻き直した。今日のコートはグレー、空を飛んでいるカラスを見つめ、下を向いて歩き始めた。バスに乗った。すれ違う家々が灰色の涙を流していた。誰の涙なのか。悲しそうな涙。彼女は行き着く当てもなかった。
彼女は小樽に出かけた。この街が好きだった。優しく吹く潮風の見える様なこの街。時の流れが止まった様な、どこか懐かしさを感じるこの街が、彼女は好きだった。
その日、特別な事をしたわけでもない。街中を散策し、お茶を飲み、食事をした。お茶を飲んだ喫茶店は素敵だった。レンガ造りのイタリア風喫茶。中には60年代英国製の車が並び、穏やかな音楽の中でコーヒーを飲み、食事はピザの専門店だった。焼きたてのとろけるようなチーズのピザ。熱くて口の中を火傷しそうだった・・・。
日が暮れたころ、ススキノで、30年間店を出していたご主人が、小樽に惹かれてこの街で店を出したという居酒屋で、お酒を飲んだ。
酔ってきた彼女はその時、何もかも信じられない気分だった。自分自身すらも信じられなかった。何故なら彼女は、運命に裏切られた気分だったのだ。彼女はどこへ向かえばいいのか迷っていた。何を求めて生きていくべきか。自分にふさわしくない物を、求めてはいけない。分かってはいた。
部屋に戻った彼女はTVを付けて冷蔵庫を開けた、冷蔵庫から臭い異臭が立ち込めた、今日は死刑判決確定のニュースだ、3人の中学生を殺した殺人鬼に死刑判決。
当然だろう・・・。圭子は一度死刑執行人になってみたいと思うことがある、どんな気持ちで監獄の中の死刑囚を呼び出すのだろうか。どんな気持ちで死刑囚の手を引くのだろうか。どんな気持ちで最後のボタンを押すのだろうか。クスクス笑っているのだろうか。




