圭子の浮気
その月の終わり頃、柴田から電話がかかった。
「今月は忙しいから帰れない、この前会っているからいいだろう」
柴田が言った。例の一本調子である。本当に済まないと思っているのだろうか。
それから数週間の間、柴田の声が耳について離れなかった。
その夜は満月だった。空に重く大きな満月が浮かんでいる。夜空に落ちそうに浮かんでいる。雲一つない夜空、風もない、色もない、音もしない、目に見えるのは丸く大きな満月だけ、落ちそうに浮かんでいる。手を伸ばせば届きそうだった。彼女は決心した。それは自分に正直になる事だった。
そして圭子は真っ赤な口紅をぬり、下着も真っ赤なブラに真っ赤なパンティー。そして自分の服の中でも一番お気に入りの、ちょっと派手な赤のワンピースを身に着け、鏡の前でポーズを取った。何も思わなかった。そして一人で出かけた。
ジャズのかかる素敵な店、そう、以前、直美と来た店。
圭子は、7時に店について中を見回した。もうカップルは気にならない。一人でビールを飲んだ。「柴田のことは何も考えない。彼も自分のこと考えていない」そう柴田のことを考えながらビールを飲んだ。ビールを2杯飲んだ後、ウイスキーを頼んだ。「今日はお声がかからない。せっかくの真っ赤なブラにパンティーは今日は空振り」そう思い店を出た。
今日は飲みすぎた、タクシーで帰ろうと思って、タクシーを待っていたその時、後ろから男の声がした。
「一人で帰るの」若い声だとは思ったがよく覚えていない。何となく不潔な店で、二人で飲んだその後、彼女はホテルで真っ赤な下着を脱ぎ捨てた。彼は柴田より若いようだった、彼女はそう感じながら彼を受け止めた。彼は激しかった。何度も、何度も、彼女を許さなかった。「若いのはしつこいな」彼女はそんな風に思いつつ何事もなかったように眠りについた。
次の朝、彼女は目を覚まし男の顔を見ると、まだ学生のように見えた。彼女は「こいつまだガキか」そう思いながら男を見つめ、そして心の中で思いっきり叫んだ「へたくそ」
「結局、ガキのマスターベーション替わりか」彼女はそんな風に思い、少し気だるさの残る体をベッドからお越し、素っ裸のままシャワールームに向かいそのままシャワーを浴びた。彼女はシャワーを浴びながら考えようとしたが止めた。シャワールームから出ると男は起きていた。
「君、指輪をしているけど、結婚しているのでしょう、人妻ってやつでしょう」
男が聞いてきた。圭子は黙っていた。
圭子は長い髪をドライヤーで乾かし、真っ赤な下着をつけ、ワンピースを着た。
「ねえ、どうお金出すから、定期的に会わない」
男が圭子に言った。
彼女は思いっきり男の顔をひっぱたき、ホテルを出てきた。
朝日が真っ赤に燃えているが、やがて姿を消し闇が一面を覆う。朝の風は清潔感さえ感じるが、夜には濁り、腐った流れとなり街中を駆け抜けていく。そうして1日は廻る、明日も、あさっても、結局今日になる。
圭子は自分の部屋に戻った。一日留守にした部屋は寒々と冷え切っていた、入ったことはないが、棺桶の中に入ったような気すらした。今思えば何のためのセックスだったのか。いやセックスをするのに意味が必要なのか。柴田とのセックスにどういう意味があるのだろう、やりたいときにする。必要性の問題だ。圭子は思った。仕方ない、今月柴田と会えないのだ、そうだそうなのだ。私は何も悪くない。
時計を見ると9時前だった、圭子は出かけることにした。赤のワンピースはそのままである。そしてサングラスをかけ、お気に入りの帽子をかぶった。
彼女は、今日は地下鉄に乗ろう、特に理由はないがそう思った。そうして、地下鉄に乗り街中まで出かけ、適当な喫茶店を見つけ甘いものを食べることにして、しばらく歩いた。久しぶりに素敵な喫茶店を見つけた。入ると、広い店内はオレンジ色のライトで明るく照らされ、その下でカップルが楽しげに話をしている。こいつらも今夜二人で同じベッドの中に入っていくに違いない、彼女はそう思って回りを見つめた。とにかく柴田が帰ってきたら一緒にこよう、そう思った。
そう言えば財布にいくら入ってたろうか、圭子は急に不安になりカバンの中を確認した、お金はあった。そしてカバンには煙草も入っている。覚えていない、煙草の箱の中を見ると、数本なくなっている。彼女はお酒を飲むと、時々吸うことがあるが、買った覚えが全くない。直美と飲んでいた時の記憶はあるが。吸った覚えはないし、買った覚えもない。あの男と飲んだ時、何となく、あの男からもらったような、そんな気がしてきた。しかし男との記憶もあまりない。圭子は少し不安になってきた。
彼女は柴田にも煙草はやめて、そう言って止めさせたが、自分は酔うとたまに吸うことがある。しかし飲みに出ることも、ほとんどないので、まったく吸わないのと同じだと思っている。しかしカバンの中の煙草を見て、彼女は席に灰皿もあるし・・・そう思い何となく口にしてみた。ふかすだけで、煙を吸い込みはしない。こんなものどこがうまいのか、そう思ってふかしてみた。銘柄はラーク・クラッシク。コンビニにいっぱい銘柄が並んでいるが、結局どれもただの煙。コーヒーも同じ。結局ただの茶色い液体。そうしてショートケーキを食べた。ストレス解消には甘いものが一番。
そこへ男が近づいてきた。
「今日は一人なの?」男が言った、とぼけた声だ。
圭子は黙っていた。とぼけた、ボケ男がかってに彼女の向かいに座った。顔もぼけている。ナンパするには、鏡を見てからにしろ。そう彼女は思った。
「僕も一人だけど、どう・・・」
圭子は黙っていた。男は離れて言った。いろんな害虫がいるものだ。
外に出ると日は高く照りつけ、風は止まっていた。暑さは一段と彼女を焼き付けようとしているようだった。音が耳を貫き、色は単調に強く輝いていた。そろそろ昼だった。今の店で昼を食べてもよかったが、メニューを見ると、値段が高かった。そう圭子は今、持ち合わせの金が少ない。昨日使いすぎたようだ、まさかあの男と飲んだ時、私が出したわけじゃなかったか。割り勘だったはずだ。しかし相手はガキだったのだ。彼女は不安になった。
お昼、彼女は何か無性にどんぶり飯を掻き込みたくなった。おもいっきりだらしなく、はしたなく、ガツガツと食べたくなった。おなかがすいている。そうだった、昨日もろくに食べていない、今日の朝も食べていない、彼女は来る途中に見かけたすき屋に行こうと決めた。そして、すき屋でどんぶり飯をたべた、ガツガツと。
そして店を出て、外を歩いていた。目的もなく圭子は歩いた。突然雨が降り出した、叩き付けるような紫色の雨、スコールのような雨、大粒の雨が痛かった。彼女はそのまま歩いた、叩き付けられるままに、打ち付けられるままに、びしょびしょになって歩いた。彼女は何も思わなかった、何も感じなかった、だけど涙が流れた。涙が止まらなかった。そして部屋に戻った。
次の日、朝起きた時、少し疲労感を感じていた。彼女は仕事に出かけた。仕事は相変わらず単調だった。係長と言っても、仕事の内容は部下の仕事のチェックと資料作成。間違い探しと資料作成の毎日である。資料もいつも同じような数字の羅列。会議に出ても、特別な発言権もなく、報告が主である。仕事は覚えてしまえば単純作業の繰り返しだ。入社したころの思いはどこかへ消えてしまった。
木村も相変わらずニコニコしている。近藤は圭子に追われた格好で、どこかへ行った、どこへ行ったのか彼女は知らない。彼女にとってどうでもいい問題だった。あとは木村を追っ払うだけだ、そう思っていた。
お昼休み、今日もA定食だ、サンマの塩焼き味噌汁、サラダに漬物付きこれで550円はないだろう、彼女は内心そう思っている。後藤が今日も来た。
「こんにちは」
「こんにちは」圭子も言った。
彼も今となっては重要な話し相手だ、彼は会社の情報をよく知っている。彼からよく今の会社の状態が耳に入ってくる。
「柴田さん知っているかい、今度ね、企画室の部長が都倉さんに代わるみたいだよ」後藤がこそこそと言う。
「ホント」圭子は正直に驚いた。都倉と言えば40台の女性社員、やり手だったのは知っているが。企画室部長は、この会社で言えば重要ポストである。その座を握るとまでは圭子に想像できなかった。食後野菜ジュースを飲みながら彼女は考えた、のんびりしてられない。どうすれば早くに昇進できるか・・・。
3時の体操は圭子目当てに男性社員が集まってきた。彼女は少し疲れてはいたがあえて参加した、スケスケ藍染めTシャツに着替えて。今日は真っ赤なブラジャーだった。
そして帰り、今日もバスは席に座れた。圭子はさすがに疲れて眠った。そして気が付くと運転手さんの大きな顔が彼女を見つめていた。そして言った。
「お客さん、着きましたよ」
バスを降りて歩いていると大きな音を立てて大きな花が夜空に飛んだ。花火だ、美しい、いつ見ても美しい。最近は花火の音が、迷惑という問題で花火大会が速く打ち切られるようになったらしい。この音を迷惑と感じる人達がいるらしい。
圭子はいつものスーパーに向かった。サービスタイムは終了していた。今日は総菜も少ない。とりあえず、ほうれん草のお浸しと、唐揚げ、豆腐、インスタントの味噌汁。以上が今日の晩ご飯、そうして彼女がレジへ向かうと
「すいませんね、今日はお惣菜がすくなくて」そう言ってはずかしそうに店員さんが笑った。
圭子は部屋に入り、TVを付けた。ニュースが流れている。年号が変わったらしい、圭子は知らなかった。何か年が明けるみたいなお祭り騒ぎだ。まあ年明けみたいなものなのだろうが、能力のない連中がお化けみたいな服装で踊り回っている。エネルギーを持て余しているらしい。もったいない、エネルギーの浪費だ。あちこちで物まで壊しているのもいるらしい。すごいエネルギーだ。圭子は思った、明日になればまたいつもの今日が来るのだ。結局何一つ変わらない今日が来るのだ。すべて知っているからみんな今踊り回っているのだ。何か悲しくなってきた。
食事を済ませて風呂場に向かいそして風呂に入り、彼女は考えた、そろそろ髪を切ろう。バッサリと切ってもいいかもしれない。ショートも似合うだろう。柴田は何というだろうか。そんな事を思いながら風呂に入っていた。
風呂には30分入る、大体いつも同じである。風呂から上がると付けっぱなしにしてあったTVから笑い声が聞こえてきた。パンティー1枚のままソファに胡坐をかけて座りTVを観ていたら、そのまま寝てしまったらしい。気が付くと10時過ぎていた。寝室へ向かいパジャマを着てベッドに入った。彼女の今日が終わった。
そんな単調な日が続いていたある日、圭子は今日も残業だった。フロアを見ると経理は自分しかいない、総務は課長以外みんな上がったらしく人事が後藤を含め女の子が2人といるだけだった。そこへちょうど後藤が近づいてきた。彼女の中に後藤という男に対する興味が沸き上がってきた。
「後藤君、ちょっと屋上で休憩しない」
圭子が言った。人妻的魅力は最大限に出したつもりだった。
「いいよ」
うれしそうに、後藤は笑った。男はみんなこんなもんだ、彼女は心の中でそう思いつつ。屋上に着くと後藤と並んで空気に涼んでいた。
「秋の夜風は気持ちがいいね」
後藤がうれしそうに言った「当たり前のことを言うな」そう圭子は思った。
圭子は高いところに立つとそこから飛び降りたいという欲求にかられる。ひょっとすると落ちる途中で羽が生えて、飛べるようになるかもしれない、そう思っている。だけどいまだ飛び降りる事ができない。
「後藤君・・・」突然、圭子は後藤の手を静かに握った、そうして彼女はその後藤の手を形の良いふくよかな自慢のCカップ、彼女の胸にそっと当てた。後藤の顔がみるみる紅照し脳天から湯気が出そうになるのが分かった。この男、この年でまさか女を知らないわけではあるまいな、彼女は思わず疑ってしまった。
「し、柴田さん・・・い、いけない・・・き、君は人妻だ・・・」ようやく後藤が絞り出すように言った。圭子はおもわず心の中で「臆病者!」そう叫んでしまった。彼女は後藤がいわゆる草食系の男なのだと結論付けた。いろいろな人間がいるのだ。
そして二人は何事もなく帰宅した。
そして後藤はしばらく昼休みにも圭子に近づいてこなかった。しかし彼女は後藤を会社の情報源として今は大切にしていた。そこで自分から昼を誘った。
後藤はうれしそうについてきた、そうしてこそこそと言った、
「この前の屋上の1件は誰にも言ってない安心して」
後藤がうれしそうに言った。
圭子はあのことを人に言えるほどこの男に度胸があるとは思っていなかった




