30
「そんな感じに、桔梗さんのことを愛していたんですか?」
殺人現場に、おそらく犯人であろう人物を呼び出した。その人は、動揺を見せることもなく、堂々と桔梗さんの部屋の中を眺めている。猪又たちは外で、俺たちの話が終わるのを待ってくれている。
「そうですね…、愛してた、って言葉が一番しっくりきますね」
俺が写真から感じていた違和感。それは、桔梗さんへの恋愛感情だった。この人だけ、桔梗さんを"綺麗なもの"としてじゃなく、"桔梗 結愛"としての醜い部分を含め、愛しているのがなんとなく分かった。
俺も感じていた、桔梗さんの歪んだ感情。彼女は常に自分が皆の中心で、一番でいる事が当然で、憧れや羨望、好意を向けられる事へ快感を覚えていた。そして、それを妬み、憎しむ感情をも、自身に向けられることが、彼女にとって、さらに快感だった。
自身に向けられる、男性たちからの好意。それを妬む女性たちの憎しみ。彼女はそれを、心から楽しんでいた。
「じゃあ、なんで…、彼女を殺したんですか…?」
見つめる俺に答えが返される。
「あなたはまだ、"桔梗 結愛"という人間の素晴らしさ、彼女の生み出す世界の美しさを知らないんですね」
恍惚とした表情で俺を見つめる人。
「彼女が生み出した世界を初めて見たとき、自分にとってのすべてが彼女に支配されたんです。初めは見ているだけ、側にいるだけで満たされていました。それに、誰も彼女の本当の素晴らしさに気が付いていなかったから。でも、彼女が誰かに注目されるたび、彼女が汚されるようで我慢ができなくなっていった。でも、もう、彼女は、彼女の世界は誰にも汚されない」
だから殺したと。
うっとりと何かを思い出すように、虚空を見つめる瞳。その瞳には"桔梗 結愛"が写っているのだろうか。
「桔梗さんにとっても、あなたは特別な存在だったと思います…、仁柳さん」
俺の呼びかけに視線だけが向けられる。
「桔梗さんがとても几帳面なこと、知っていましたか?」
俺の問に、ええ、と一言返事がされる。
「でも、あなたの残した痕跡は、とてもじゃないが几帳面とはかけ離れていた。桔梗さんの几帳面さを知っていたにも関わらずだ。…あなただけなんです。桔梗さんはあなただけには何も言わなかったし、それを強制しようともしなかった」
指紋が出た。桔梗さんが殺害される前に俺が差し入れたペットボトルから、二人の指紋が出た。テーブルの上に残されたものには桔梗さんの指紋が。そして、ゴミ袋の中にあったものからは仁柳さんの指紋が。なぜ、それが俺の渡したペットボトルだと分かったのか。答えは簡単だ。俺の住む下宿の近所の商店街のゆるキャラのシールが貼ってあったからだ。
殺害のトリックは至って単純。アルコールと睡眠薬で眠らせた桔梗さんを、本と本の間にドライアイスを挟んで座れる高さに調節した台の上に腰掛けさせ、首にロープを掛けておけば、あとは時間が過ぎドライアイスが溶けるのを待てばいいだけ。
桶が出しっぱなしだったのは余分だったドライアイスを溶かすのに使ったから。冷凍庫の中のドライアイスは溶かし忘れ。そして、ソファーに掛けられたタオルはドライアイスを持つのになるべく体温を伝わらせないようにするため。ロープに指紋が無かったことから手袋は一応つけていたのだろう。ただ、桔梗さんの部屋を訪ねた時は手袋をしていては怪しまれる可能性もあり、外していた。だからペットボトルには指紋が残っていたのだろう。それに、ペットボトルに指紋が残っていたところで、普段からお互いの部屋に行き来があったのだから普通ならおかしくなかった。今回、たまたま俺が差し入れたペットボトルだったからそれが証拠になってしまった。
仁柳さんが犯人だと分かったあと、残りの三人の容疑者にいくつか話を聞いた。内容はこうだ。
「桔梗さんはあなた方がテーブルから席を立ったあと、椅子を直していましたか?また、直すよう言われましたか?」
材木谷さんと朴木さんの答えはイエス。柘植さんはノー。
「桔梗さんから本棚の本に触れることを許されていましたか?」
これに対しては、朴木さんはイエス。材木谷さんと柘植さんはノーだった。
他にも、朴木さんと材木谷さんは交際中、桔梗さんの几帳面さをいくつも見ていた。そして、桔梗さんの部屋で過ごすときは、その几帳面な部分を自身にも求められたそうだ。
しかし、仁柳さんは違う。
たった数回見かけた俺でも気が付く几帳面な部分を仁柳さんは気が付かなかった。いや、気が付かなかったのではなく、仁柳さんの行動を桔梗さんは許していたんだ。
桔梗さんにとって、仁柳さんが特別な存在だったということだ。
本に触れることを許され、几帳面な桔梗さんが文句も言わず許していた存在。
「桔梗さんは、あなたの気持ちに気が付いていたんだと俺は思います…。マウントを、取っていた訳じゃないと思います」
今思えば、材木谷さんと柘植さんが桔梗さんを取り合うようなことがあるとき、そこにはいつも仁柳さんがいた。そして、仁柳さんに向ける視線は、サークルの他の女性たちに向ける視線とは違う、材木谷さんや柘植さんに向けるような熱の籠もった視線だった。
「結愛が几帳面だったことは知っていました。でも、私が知っている几帳面さは、キャンバスの上の話です」
仁柳さんがぽつりぽつりと話し始めた。
「キャンバスに広がる色の世界は、緻密で計算され尽くしたように美しくて、そのくせ自由な世界を想像させてくれる。几帳面で、自由奔放、それが彼女でした」
桔梗さんの描いた絵を思い出しているのか、目を閉じ話してくれる。
「特別、だったんですね…。結愛の中で、私だけ許されていたんですね…」
彼女の瞳から溢れた涙が頬をつたい落ちる。
その横顔は喜びを含んだ、とても綺麗な微笑みだった。




