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翔は今日も長い髪のウィッグで、女の姿に変装している。一方のオレは翔の上着のポケットの中。当たり前の事だが揺れで酔う事は無い。
結愛の護衛初日、駅から大学までの間の道程で結愛は何度か声を掛けられている。友人、知人が多いのだろうか、翔はチェック対象の人間がどんどん増えていくこの状況に少し慌てているみたいだ。今度はこっそりと写す事も出来ない状態らしく、携帯電話を構えて何枚も写真を写し続けている。ストーカーなんかよりも今の翔の方がよっぽど怪しい。それにしても、この姉ちゃん警戒心薄すぎやしないだろうか。ストーカーされている自覚があるくせに、周りに来る人間に一切の警戒が無い。これは翔も大変だろうな。
せいぜい十分程度の道程で力を使い果たしたのではないかという程疲れきった翔と、それとは対照的に元気良く、活き活きとした様子で結愛は講義の時間割を確認しに掲示板へと向かって行く。そこでも結愛は声を掛けたり掛けられたり。翔の方は、先程の駅からの道程で誰を写して、誰を写していないかまではっきりと記憶しておく事が出来なかったようで、今も誰彼構わず手当たり次第に写真を撮っていく。とりあえず今日は一日、結愛の交友関係を大体把握するために一日付いて回るつもりみたいだ。
一講目に向かう結愛の後ろを付いて行く翔はもちろん忍び込めそうであれば講議にも忍び込むつもりだ。大学での講議は大教室であれば忍び込むのも容易い。もちろん、その逆も然りではあるが。教室の扉をくぐる姉ちゃんのすぐ後にさり気なく教室へ入り込み、姉ちゃんの様子が確認できる席をしっかりと陣取る。ここでも案の定、結愛は幾人かの人に声を掛けられ、あっという間に周りを囲まれてしまう。どれだけ顔が広いんだよ、この姉ちゃん。そのお陰で、翔は結愛に近づいた人間を片っ端から写していくのにいっぱいいっぱいになっている。そして、これがまだ一日の始まりに過ぎないことにうんざりしている。
一講目が終わるとすぐに結愛は次の教室へと移動する。次の授業は少人数制の講議。さすがに忍び込む事は出来ない。そこで翔が取った手段は入口で写真を撮るという物だった。多少の取りこぼしはあるだろうが、授業の初めと終わりに写せばそれも減らすことは可能だろう。教室の場所は用がない人間は来ない様な場所で、翔は結愛が教室に入るのを横目に、一旦教室を通り過ぎ隠し撮りの出来る場所を探す。教室のある廊下はどこも見通しが良く身を隠すには不向きで、何とか階段の踊場からであれば写すことが可能そうに見える。それにしても、少しでも隠れる場所がずれると隠し撮りしているのが丸見えになってしまう場所だ。翔は細心の注意を払いながら教室へ入る一人ひとりの顔を写していく。授業が始まり、翔はやっと一息吐いた。授業が終わるまでの約九十分間、やっと少し休憩が取れるようだ。この授業が終われば昼休みになる。そうなればあの顔の広い結愛の事だ、また人々に声を掛けられ囲まれて、写真を写し続けることになるのだろう。翔もそう考えていた様で、鞄からあらかじめ大家の婆ちゃんに作ってもらっていたおにぎりを取り出し頬張り始める。翔は婆ちゃんが一から漬けた梅干しが好きで、こういった飯が食えるか食えないか分らない仕事の時には、婆ちゃんの梅干しのおにぎりを作って持たせてもらう。丁度いい塩梅のおにぎり二つを平らげて、翔は満足そうにペットボトルのお茶を飲んだ。
授業終了のチャイムの後、少し遅れて生徒達が教室から出てくる。結愛は翔との打ち合わせで一番最後に出てくる事になっている。一人、二人と次々に生徒が教室を後にする。そして、その波が途切れ、少しして結愛が教室から出てくる。もちろん翔は結愛の前に出てきた人間の顔を写せるだけ写している。これで顔が上手く写らなかった写真も多少は補完出来ているだろう。
昼休みになり結愛は学食で飯を食うらしく、キャンパス内を歩いて行く。その間にもやはりと言うか、予想通り何人かの人に声を掛けられている。話しを聞く限り、どうも結愛はそこそこ大規模なサークルに所属しているらしい。それに加えて結愛の気さくな性格。そのお陰で色々な人が次々に声を掛けてくるらしい。翔とは正反対だ。しかし、それも今の様な状況であれば、翔の様な人見知りな性格の方が関わってくる人間も少なくて、関わりのある人間の写真を撮るのは楽だっただろう。
学食に着くと、すでに約束でもしていたのだろう、結愛の知り合いらしき女が数人固まって座っており、その内の一人が結愛に向かって手を振っている。今朝、コンビニで声を掛けていた女だ。結愛もそれに応えるように手を振り返し、昼飯の確保のため自販機で食券を購入し受け渡しカウンターへと並んだ。
翔の方はとりあえず結愛の友達グループの写真だけ写し、結愛が見えるだろう位置の席に飲みかけのペットボトルのお茶を手に席に着いた。
結愛のいるグループは声を掛けたり掛けられたりで、人数が増えたり減ったり。その間も翔は携帯電話で写真を撮り続ける。きっと翔の携帯電話のメモリーは今回の依頼で一杯になるに違いない。翔の方も何度か見た顔の人間は写さないように努力はしているみたいではあるが、いかんせん人数が多過ぎる。人は時に、努力ではどうしようもない事に出会う事もあるのである。
昼休みが終わりに近づき、午後の授業を受ける生徒や用事のある生徒達が学食から姿を消していく。結愛もその一人で、今日の授業はもう終わりだが、所属しているサークルに顔を出すらしい。サークルは演劇サークルで、ここいらではそれなりに名の通った演劇サークルらしく、人気も上々で所属している人数もかなり多い大規模なサークルの様だ。過去の上演フライヤーを見せてもらったが、結愛はサークルに入ってから主人公やそれに準ずる様な役柄ばかりを演じているらしい。結愛を知る人間が多いのはそのせいもあるのだろう。しかし大所帯のサークルだ、大学に入って二年間、メイン役ばかりというのも何かと恨みを買いそうだ。何とかサークルの様子を見てみたいものだ。翔もそう考えたのだろう、結愛と知人であるとストーカーに知られるリスクよりも、周囲の人間の徹底的な洗い出しをすることにしたのだろう、結愛にサークルの見学をさせて貰えるようにメールで連絡をしている。返信はすぐに返ってきて、サークルの案内をすると記してあった。そして、学食の出口で待ち合わせようという事になった。
午後の授業開始のチャイムの少し後、結愛は昼食の食器を返却口へ持って行くと、自分の荷物を持ち食堂を後にした。翔は周りから不自然に見えない程度に結愛とは間を開けて席を後にした。




