【第77話】選ばれた未来
「皇太子殿下を発見し、保護しただと~!?」
永田町、首相官邸地下。
危機管理センターの会議室に、驚愕の声が響き渡る。
その声量は、分厚い防音扉を隔てたフロアどころか、地上にまで響きかねない勢いだった。
皇太子失踪という未曾有の事態に対し、対応が行き詰まった中で開かれていた会議。
今後の方針を巡り、国家中枢の面々が詰めていた、まさにその最中。
警視庁から会議室直結の専用回線を通じて一報が飛び込んできたのだ。
“皇太子の所在確認と安全確保”
あまりにも唐突で、そして決定的な報告。
会議に出席していたのは、小池官房長官、危機管理監、情報官を筆頭とした内閣の幹部。
さらに警察庁長官、警備局長といった警察組織のトップ組に加え、公安調査庁の姿も。
その場にいた全員が、動けない。
喜ぶべき報告のはずだった。
しかし誰ひとりとして即座に反応できない。
沈黙を破るように、続報が重ねて送られてくる。
警視庁の映像監視班が皇居周辺の九段坂のライブカメラで疑わしい子どもの姿を捉えた。
即座に解析した結果――皇太子の可能性があがる。
前後の映像に連続性はない。
突如として現れたかのようだった。
追跡するよりも早く、たまたま付近を巡回中だった警察官たちがこれを発見。
即応し、接触。第一発見者となった。
ひとりで歩く、年端もいかない少年。
だが、その顔を確認した瞬間、警察官らは息を飲んだ。
失踪中の皇太子と、姿が完全に一致していたからだ。
警察官らは動揺を押し殺しながら、職務に従い声をかけたという。
「――お、お名前を、伺ってもよろしいでしょうか?」
わずかな間。
少年は、はっきりと答えた。
「わたくしは、陽仁と申します。皆様にご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」
あまりにも落ち着いた、そして整った返答だった。
警察官は極度の混乱状態に陥りながらも、即座に無線で警視庁本部へ連絡。
“失踪していた皇太子殿下の発見と保護”
その一報は、縦の指揮系統だけでなく、横断的に一斉共有された。
警視庁から、宮内庁へ。皇宮警察へ。
さらに内閣危機管理センター。
すなわち、この会議室へ。
「本当だな!? 間違いないなっ!?」
警察庁長官が、専用回線越しに興奮した様子で問い返す。
回線はスピーカーに切り替えられ、会議室内の全員が息をするのも忘れ応答を待っていた。
「――はい。本人確認、一致。誤認の可能性は、ありません!」
その瞬間、会議室に張り詰めていた空気が一気に解けた。
「ご無事で、本当によかった!」
「最悪の事態は、回避されましたな」
「……助かった」
深く息を吐く者。
椅子の背にもたれかかる者。
思わず両手を上げる者。
手を取り合う者。
歓声をあげる者もいれば、力を抜いたように呟く者もいた。
安堵が、室内を満たしていく。
しかし。
「――追加報告です」
スピーカーから流れた一言が、その空気をぶった切る。
「……目視の限り、皇太子殿下は失踪時と同一の服装。同一の外見状態を維持。外傷も汚れも、認められません」
わずかな間。
「……あの、長時間の拘束・移動・滞在を示す痕跡が、見受けられません」
沈黙。
会議室は再び静寂に包まれた。
誰も口には出さない。
全員の頭に浮かんでいたのは――
“……いや、どういうこと?”
失踪から発見までの時間。
その間に、本来ならば存在するはずの痕跡。
衣服や身体の汚れ、疲労の蓄積。
食事や睡眠はどうしていたのか。
これは、一番困るパターンかもしれない。
説明がつかないのだ。
本当に、『神隠し』にでもあわない限り……。
小池官房長官が、重苦しくなった空気を振り払うように、わざとらしく明るい声で言った。
「と、とりあえず、ご無事であったことは、何よりだねぇ!」
室内の全員が、無言で力強くうなずく。
だが、その先が続かない。
誰も口を開かない。
気まずい雰囲気。
全員の頭に再び浮かんだのは――
“……で、これは何だったの?”
一方、現場。
皇太子の身柄を皇居へ移送するため、公用車と警護部隊の到着を待っていた。
一次対応にあたっていた警察官たちは、周囲の視線を避けるよう慎重に位置を移動し、陽仁に尋ねる。
「――殿下。差し支えなければ、どのような状況だったのか、お聞かせ願えますか?」
どこにいたのか。
屋内か、屋外か。
国内か、まさか国外だったのか。
史上最強の捜索網を、どうやって回避したのか。
接触者の有無。
誰と会い、何を話し、何を口にしたのか。
拘束状態にあったのか、自由に移動できたのか。
そして――“記憶”。
失踪中の一切について、どこまで覚えているのか。
陽仁は、迷いなく答えた。
「戦時下の日本へ、行っておりました」
現場の警察官は、言葉を失った。
「――いわゆる、タイムスリップです」
言葉だけではなく、思考も止まった。
陽仁の音声は専用回線を通じて、そのまま官邸地下の会議室にも流れた。
絶句。
誰ひとり、言葉を発しない。
金縛りにあったように、動かない。
“タイムスリップしていた”
その言葉を、そのまま受け取るなど、不可能。
発言者がたとえ皇室の人間であっても。
「……」
気がつけば、会議室には溜息が連鎖していた。
『どうすんの、これ……』
みんなそんな顔をしていた。
公的に成立する話ではない。
記録にも残せない。
今件をどう扱えというのか。
小池官房長官が淀んだ空気を吹き飛ばすように、不自然なほど明るい声を響かせた。
「こりゃ、皇太子殿下は『設定』していた通り、本当に精神疾患なのかもしれないねぇ!」
誰も笑わない。
またどこからか、溜息がひとつ。
「……殿下は、外見上は異常がなくても、相当な精神的負荷を受けている可能性があります」
警察庁長官が、言葉を選びながら口にする。
断定はしない。
でも、他に言いようがない。
小池官房長官が、肩の力を抜いたように言った。
「いずれにせよ、医師の診察が必要だねぇ」
隣に座っている危機管理監が続ける。
「どのみち、引き続き当面の間は、公務は見合わせて頂く必要がありますね」
どこか煮えきらない空気の漂う会議室。
だがしかし、皇太子失踪の件は公にならず、国民にも世界にも隠し通せた。
厳格に敷かれた報道統制。
関係各所も、徹底した守秘義務を貫いてくれた。
表向きは“体調不良による静養”
予定されていた公務や行事の欠席も、違和感なく処理されている。
世間の受け止めは軽い。
『ああ、またお休みかな』
『中学受験のストレスかもね』
その程度の反応に留まっていた。
でも一部のネット上では、断片的な情報を繋ぎ合わせた憶測が出始めていた。
『何かあったのではないか』と。
まさにギリギリのところだった。
会議室の空気は、もはや一片の安堵もなかった。
公安調査庁の氷室が、軽く両手を上げた。
「これは我々の手に余ります。処理できない案件です」
警察庁長官も同意する。
「“理解できないもの”を、どう扱うべきでしょうか?」
助けを求めるようなふたりの視線を受け、小池官房長官は苦笑いするしかなかった。
俯く会議出席者たち。
誰も説明できないのに、全員が責任を感じている。
奇妙な構図。
やがて、専用回線から新たな報告が入る。
「――皇室用公用車、現着。皇太子殿下、乗車確認。警護車両とともに皇居へ移送を開始しました。到着予定時刻は――」
その一報は宮内庁および皇宮警察にも、専用回線で届いている。
宮中では、この会議室とは比べ物にならないほどの混乱が広がっているに違いない。
小池官房長官が、ゆっくりと口を開いた。
「……我々は、ひとまず“触れない”でおこう」
一瞬、間が空く。
こころなしか、会議に参加していた者たちの顔が明るくなった気がした。
「ほら、皇室に対して我々は直接的な聴取や強制措置を取れる立場じゃないし。所管としては、宮内庁と皇宮警察に委ねるのが妥当でしょ?」
異論は、出なかった。
むしろわずかに、空気が緩む。
「そうですね!」
「宮中での正式な聴取結果を待つべきでしょう!」
「我々は、その情報を踏まえて対応を検討する形で!」
それぞれがホッとした表情で、もっともらしい言葉で同意を重ねていく。
警察庁長官は、心の中で皇宮警察に謝った。
宮内庁に属するとはいえ、警察組織の一部でもある。
身内に丸投げしたような、そんな感覚が拭えなかった。
一方で、公安調査庁の氷室もまた、複雑な思いを抱えていた。
宮内庁は秘密裏に徹底監視され、帰還した皇太子、ひいては皇室への対応を迫られる。
つくづく不運な役回りを押しつけられることに、同情を禁じえない。
ひとまず宮内庁、皇宮警察に任せようという、ある種の責任転嫁により、再び会議室には安堵が戻って来る。
しかし、和やかになった空気に内閣情報官が冷水をぶっかけた。
「問題は、ここからです」
メガネをクイと指先で押し上げ、言い放つ。
「失踪していた皇太子殿下が、無事に戻られた。ただ、それだけです。
問題は“消えた”だけで、“解決”していない」
会議室の誰もが、その指摘を否定できない。
分かっている。
全員が、分かっている。
ここからが、本当の意味での“始まり”なのだということを。
対象は、皇太子だけではない。
遊就館で同時に姿を消した児童4名。
警護中のSPを戦闘不能にした、眼帯の男。
いずれも“超重要参考人”だった。
警察・公安を含めた総力体制での監視カメラ追跡。
東京都内、いや関東圏内の映像を繋ぎ、網のように張り巡らせた“リレー追跡”。
それでも――追えなかった。
映像はある。
にも関わらず、対象が定まっていない。
不思議なことだった。
フレームの中に“人物”は映っている。
しかし、輪郭が揺らぐ。特徴量が一致しない。
同一個体として、識別できない。
ノイズでもなければ、欠損でもない。
まるで意図的に、識別できないように"不可視の力"で守られているような。
そして――
宮内庁の徹底監視。
皇女と侍従長の協力のおかげで、“注目人物”が、複数名浮上している。
さらに――
『零の会』調査本部も立ち上がっている。
この団体と今回の事案との関連性も、現時点では仮説に過ぎない。
小池官房長官は、小さく息を吐いた。
「……前途多難だねぇ」
軽く言ったようで、その実、重かった。
小池は目を閉じ、覚悟を固める。
物事には――
引き際がある。
すべてを解明することが、常に最善とは限らない。
国家として重要なのは、荒波を立てないこと。
秩序を維持すること。
説明可能な形に整えること。
たとえ事実が不明であっても。
理解可能な『筋』を用意し、社会に受け入れられる形で提示する。
宮中で、これから時間をかけて皇太子の事情聴取が行われることだろう。
有意な情報が出ればいいが、『タイムスリップ』などと絵空事を口にしている段階で、それは望み薄なのかもしれない。
結局のところ。
真相は、闇の中に留まる可能性が高い。
(仕方ない……この辺で収束させるシナリオも進めとくか……)
小池は、ゆっくりと目を開いた。
「とりあえず、皇太子殿下が戻ってきてくれたわけだし――」
珍しく、真面目な口調で。
「本件については、ここで一度区切る方向で進めよう。宮内庁側にも整理は任せるけど――」
視線が、警察庁長官へ向く。
「警察としても、現時点で“完結”可能な形の暫定報告をまとめておいてほしい。再発防止策も含めてね」
指示は、柔らかい。
だが、逃げ場はない。
警察庁長官が、わずかに眉を動かし、隣の警備局長へと視線を流す。
無言の“委任”だった。
受け取った警備局長は、困惑を隠しきれない。
「……いや、あの――」
目の下には消えそうにないほどに色濃い隈。
頬の肉はすっかり落ち、疲労がそのまま形になったような顔つきだった。
「この不可解な一連の騒動、一体どうやって報告書を作成すればいいんですか……」




