表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/83

【第76話】寄り添うということ

挿絵(By みてみん)


“ぼくは『不幸』じゃないよ……”


震える声だった。

表情も強張っている。

けれど――確かな一言。


男は悟った。

目の前の少年は、もう自分の手の届かない場所へ行ってしまったのだと。


だが、どうだろう?

少年の引きつった口元に浮かべた笑み。

その小さい身体が、小刻みに揺れているではないか。


危なっかしい。

精一杯の覚悟と、痛々しいほどの強がり。


少年の行く末が――心配だ。


男は静かに口を開いた。


「……殿下。最後に、不肖ながらあなたの教育係として、一つだけ……よろしいでしょうか」


「え?」


陽仁(はるひと)は不意を突かれたように、尋ね返した。

男は背筋を正し、慈しみを込めて語りかける。


「殿下。もし今後、心が壊れそうなほど辛い瞬間に見舞われたなら。どうか無理をなさらず、“何もしない”でいてください」


「“何もしない”……?」


「はい、そうです。公務も、国民への呼びかけも、すべて休んで結構です」


陽仁は意表を突かれ、目を丸くしてぽかんとした表情で男を見上げた。


「心身を削ってまで、何かを成そうとしないでください。……ただ、“そこに居て”下さい。

それもまた、『国民に寄り添う』ということです」


陽仁は、眉をひそめて首を傾げた。

どうも言葉の真意が、掴めない。


「どういうことなのか、分からないよ」


男は少しだけ、表情を崩した。


「殿下は……『国民に寄り添う』とは、どういうことだと思われますか?」


“国民に寄り添う”


皇室が果たすべき務めの代名詞として、幾度となく耳にしてきた言葉。


「それは国民を慈しんだり、案じたり、共に耐えたりすること。思いを寄せて、苦しみに心を寄せて、共感して励ますことでしょ?」


男は笑わなかった。

否定もしなかった。

ただ、静かに問いを重ねる。


「手を握ることだと思っていますか?」


「……うん」


「声をかけることだとも?」


「……それも」


男はゆっくりと首を振った。


「それも大事でしょう。ですが、それは家族、あるいは親しい友人が代わりを務めることのできる『寄り添い』です」


「……えっと、皇室だからこそ、ぼくだからこそできる『寄り添い』があるっていうの?」


男は深く頷くと、窓の外、夜の闇に沈む広大な庭園の、その一角を指差した。


「では、あそこに立っている灯火は、何の為にありますか?」


陽仁も男の隣で、窓の外を見据えた。

深い闇の中に、ぽつんと一つ、古びた外灯が淡い光を放っている。


「……夜でも、道が分かるように?」


「ええ。あの灯火は自ら歩き出すことはしません。誰かを追いかけて慰めることもしません。一緒に泣くこともしない」


男の声が、夜風に乗って陽仁の耳へと伝う。


「ですが、あの光は消えません。激しい雨の日も、凍える風の日も。誰かに責められても、石を投げられても。

ただ黙って――“そこに在る”。 さて、それは何故でしょう?」


陽仁は、暗闇の中に立つ一点の光をじっと見つめ、やがて呟いた。


「……いつでも明かりを灯し、迷わずに帰ってこられるように?」


「その通りです」


男は少しだけ、声を落とした。


「国民に近づくことだけが、『寄り添う』ことではありません」


一拍の、沈黙。


「国民が道に迷ったとき。ふと顔を上げたその先に、変わらずにそこにある、戻ってこれる『場所』であり続けることです」


夜風が、再びふたりの間を吹き抜けた。

窓の外で、外灯の光が心細げに一度だけ揺れた。


けれど、消えなかった。


陽仁はその光を見つめながら、ようやく、その真意に触れた気がした。


――寄り添う、とは。

――ただ、そこに“在り続ける”こと。


国民が迷子になっても、この国との縁は切れていない、そう感じられる“心の定点”であるということ。


「殿下、手を握りに行かなくて結構です。代わりに手を差し出し続けてください。

人は苦しいとき、解決より先に、『自分は見捨てられていない』と感じたいものなのです」


陽仁は、小さく息を飲んだ。


「どうか逃げないでください。勝手に“飛び出さないで”ください。あなたは、そこに居てくださるだけでいい。それだけで、この国のすべての民に対して、


『この国は、貴方を忘れていない』

『貴方は一人ではない』


という無言の、けれど揺るぎない態度を示すことになります」


男は諭すように、祈るように言葉を重ねる。


「陽仁さまは、そういう立場の人間です。時に沈黙が、国民に起きた出来事を『この国の出来事』として引き受けているという、メッセージになることを覚えておいてください」


立ち尽くす陽仁に対し、男はふっと笑ってみせた。


その笑顔――

陽仁の大好きな笑顔だった。

両親が公務で多忙を極め、自分のそばに居られない日々。

寂しかった心の隙間を埋めてくれたのは、この穏やかな微笑みだった。



男は、ハッとして我に返った。


(……私は、何を言っているのだ)


天皇制を終わらせ、皇室を宿命から解放する為にここまで来たはず。

だというのに、今しがた授けた言葉は、何だ?


男は失笑してしまう。

抑えきれない親心のようなものか。


男は自らの揺らぎを振り払うように、表情を正した。


「……私は、まだ諦めてはおりません。国民投票の結果がどう転ぶかなど、分かりはしないのです。私は現人神(あらひとがみ)として、すでに玉音放送をもって国民に終焉を告げました。それは国民に対して遺言にも等しい、最期の厳命です。

もし国民がその命に背くというのなら、それは至上の不敬。天皇の最後の願いを袖にするという、国民側の“拒絶”を意味するのです。その罪悪感を背負ってまで、なお天皇制を存続させるなど……果たして、戦火に疲弊した民にその勇気があるでしょうか」


陽仁は気を引き締め、口元を結ぶ。

何故か、胸の奥は不思議と温かかった。


ふたりは並んで、無言で窓の外の景色を眺め続けた。

夜空には、星々が広がっている。

煌めく無数の光は、まるで国民一人ひとりの輝きのように。




やがて――


運命の時がやってくる。


前代未聞の国民投票。


天皇制を、残すか、残さないか。


国民が選んだ将来は――


日本が決めた未来は――



挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ