『家族』
レオンの好意に甘えた私は、乗り合い馬車に揺られていた。
私の実家は良く言えばのどか、悪く言えば辺境の田舎の地にある。かつては国防の要として重宝されたものの魔物への脅威によって人間たちの国が一体化し、国境がなくなったので今はもう栄えていた頃の通路が寂れたまま残っているばかりだ。
ゆらゆらと、一定の速度で進むそれは私に考える時間を与える。どのみち、故郷への道のりは遠いのだ。私は家族——パーティーじゃない、血の繋がった本当の意味での「家族」たちに思いを馳せる。
私の両親はどちらも冒険者ではない、一般人の家庭出身だ。
そこから魔法界に入り、魔法使いになったことは賞賛されるべき功績だと思うがその実力は「そこそこ」ぐらいだったという。可もなく不可もなく、至って平凡な魔法使いで冒険者稼業も中途半端なところで挫折した。両親はそんな自分たちに、大きなコンプレックスを抱えていてたらしい。そんなところにクライドのような天才が生まれたのだから、自分たちの夢を託してしまうのも無理はないだろう。魔法使いとして、そして親として純粋で正しい感情だ。……クライドの後に生まれてしまった私の存在が、霞んでしまったとしても。
私とクライドは共に魔法の道を進むことになったが、やはりクライドの力は凄まじく幼い頃から既にその片鱗を見せていた。同じ年頃の子どもと比べても、私と比べてもクライドはやはり天才だったのだ。兄である以上、私より年上のクライドが魔法以外にも私よりできることが多いのは当然のことだ。クライドは天才だし、そうでなくても子どもにとっての二歳の差は大きい。
だが——私の両親は、そういった事情をなぜだか理解できなかった。
「クライドには魔法の才能があるから」
「クライドはきっと優秀な魔法使いになるから」
「クライドはお兄ちゃんだから」
そう言われ続けた私がクライド、レオンと共に『方舟に曳かれて』を結成した時。私の両親はとにかくクライドを鼓舞したが、私には「クライドと一緒にしっかりやるのよ」としか言ってくれなかった。
……思えば、私はいつも「イヴ」ではなく「クライドの妹」として生きていた気がする。剣士の道を選んだのだって、「冒険者にはなりたいがクライドより魔法の才能が劣るから」という理由だった。もちろんクライドに魔法使いとしての才能があることは事実だが、それでも両親のクライド贔屓は異常だったと思う。私の十の努力は、クライドの一にも満たない。どんなに些細なことでもクライドがやったら大袈裟に褒められる、反対に私は欠点ばかり咎められ、いつも「イヴはねぇ……」などとどこか見下すような目を向けられていた。
そういった扱いの差は、魔法と全く関係のないところでも反映されていて——例えば誕生日などの贈り物や魔法以外の学業の成績、あるいは同年代の子どもたちとのトラブルなど。どのような場合でもクライドは圧倒的に私より良い扱いを受け、それは当然のことだという暗黙の了解が家族にはあった。
「クライドばっかりずるい!」
まだ私が幼い頃、一度だけ両親にそう抗議したことがある。
理由は実にくだらないものだ。父が仕事の関係で遠方に行き、私たち兄妹にお土産を二つ買ってきた。クライドは高価で見た目のいい魔導具、私はどこにでも売ってある安価な大量生産品のお人形。それで、どうして私は魔法と関係のないどこにでもあるようなオモチャなのか、その時に限らずクライドはいつも私より良い物をもらってるじゃないか、と子どもらしく私は駄々をこねたのだ。
だがそんな私に対する両親の態度は実に冷ややかで……父から返ってきたのは鋭い頬の痛み、母から返ってきたのは目を吊り上げての罵声だった。
「当たり前でしょう、クライドはお兄ちゃんなんだから」
「自分に魔法の才能がないからって、クライドに嫉妬して」
「クライドの妹として恥ずかしくないの」
「家族に向かって『狡い』だなんて、みっともない」
両親はそう言って私を詰り、長時間にわたって「説教」と称した罵詈雑言を投げつけた。皮肉にも、そんな私の味方をしてくれたのは当のクライドだけだった。
「俺は魔導具なんて無くても大丈夫だから、こういうのはイヴが持ってた方がいいよ。だからさ、これはイヴにあげよう?」
悪意など欠片もない、むしろ良かれと思って差し出したであろうその魔導具を幼い私は仕方なく受け取った。
……別に、私は魔導具がほしかったわけではない。
しかしそれを口にし、素直に受け取らなかったらまた不毛な叱責が続くだけだろう。そう思い、子ども心に諦めるような気持ちを抱いていた私をよそに父と母は「クライドはやっぱりいい子ね」「優しいお兄ちゃんね」なんて言っていたような気がする。優しいクライドとその妹である私、そして父と母という四人の仲睦まじい家族の光景……だけど、私は本当にその「家族」の一員だったのだろうか。そうでないならなぜ、家に帰るだけでこんなに緊張するのだろう。そんな躊躇いを感じていると長いはずの帰路はあっという間で、私は重い足取りで馬車を出る。
生まれ育った実家が見えてくるにつれ、ドキドキと鼓動が早まるのを感じる。自分の家なのに、まるで他人の家に押しかけていくようだ。ときどき立ち止まり、深呼吸をしながら私は「家」に向かって歩を進める。
小さな薬草の畑に、干された魔導具。洗濯物があるところを見ると、不在ではないようだ。安堵と落胆に襲われた私は玄関に向かい、その扉を叩く。少しの間の後、クライドとよく似た顔が私を出迎えた。
「ただいま」
「……あがりなさい」
一瞬、溜め息を漏らしそうになった母はそれだけ言うとさっさと家の中に入っていく。
勝手知ったる我が家のはずなのに、妙にぎくしゃくしてしまうのは私がクライドを追放した、正確には追放するのを止めなかったことに対する負い目があるからだろうか。けれど、仮にこの場にクライドが一緒にいたとして私はどうしていただろう。当たり前のようにクライドを持て囃す母とともに、やっぱり「クライドの妹」の立場に甘んずるしかなかったのではないだろうか。そんな現実に、私は乾いた喉を鳴らした。
「クライドを追放したって、本当なの?」
席についた私へ、母は尋問するように口火を切る。
家族であった頃、よく囲んだテーブル。出しっ放しの生活用品や、小腹が空いた時につまめるお菓子がその上に転がっている。だが私に、それを手にする権利はない。そもそも、茶の一つも出されない私をもてなそうとは思えないのだろう。クライドにはいつも美味しいお茶を用意していたのだから。
「……クライドは、その、私たちとは別のパーティーから苦情が入ったりしてて。それで、ギルドからもブラック認定されたりしたから。だから……」
「なんで止めなかったの!」
母の言葉に私はびくり、と肩をすくませる。
母は怒ると言うより、呆れと失望を抱いているようだった。物が落ちたのに拾わなかった。何度も口にした言いつけを守らなかった。そういう、すべきことをしなかったかのような物言いの母は私を見下ろしている。そのまま母は私に早口で、投げつけるように捲し立てる。
「クライドは才能もあるんだから! イヴは妹なんだから、気を利かせてクライドのサポートをしないと駄目でしょう! なのに、どうしてそんなことしたの!」
母の言葉が耳に届く度、私の指先を何かが蝕んでいく。歯がガタガタと不協和音を奏で、鳩尾から強い毒が広がっていくような感覚に陥った。母に対して何か言おうとするが、それは言葉にならない。ただ母の言葉を一身に受け止め、その痛みを体に留めることしかできない。
「イヴ。今からでもいいから、クライドに謝って新しいパーティーに入りなさい」
そんな母の言葉を聞き、私の口から思わず「え……」という呟きが零れ落ちる。だが母はそんな私のことなど意に介さず、当然のように告げる。
「パーティーは家族なんだから、イヴはレオンよりクライドと一緒に居た方がいいってお父さんも言ってたわ。だからイヴも今の『方舟に曳かれて』は辞めて、クライドのパーティーに入りなさい。いいわね?」
犬を躾ける飼い主のように、召使いに命令する主人のように厳しい口調でそう話す母を前に私はかっ、と頭に血が上るのを感じる。
「……そんなに言うなら、お母さんがクライドとパーティーを組めばいいじゃない」
地を這うような低い声が出たことに、自分自身が驚く。だけど、私は止まらなかった。頭蓋骨の中に全ての感情が集まり、爆発しそうな衝動。それが私の体を突き動かし、激情のままに私は母を睨みつける。
「『パーティーは家族』なんでしょう? だったらお父さんとお母さんと、三人で仲良くパーティーを組めば。私はお父さんとお母さんの『家族』じゃないから、『家族』だけでずっと仲良く冒険者稼業をすればいいじゃない」
そこに私――イヴという一人の人間がいなくても、きっと何の問題もないだろう。
私はクライドの妹、クライドの付属品。私はクライドがいないとダメだが、クライドがいれば私はいらないのだろう。少なくともこの家にとってはそう、父も母も私という娘を必要としていないのだ。クライド、クライド、クライド、クライド。やっと私の名前を呼んでくれたかと思えばクライドのことばかりで、私の身を案じる言葉は一言も出てこない。それはここにいない父も同じだろう。自分たちの子どもはクライドとその妹、としか思っていない。
ギリッと歯ぎしりをし、私は母に鋭い視線を向ける。どうして私の両親は、私のことを見てくれないのだろう。クライドを追放するに至った経緯を、それまでの私の悩みや葛藤を父と母は考えてもいないのだろうか。クライドがパーティーを追放された。重要なのはその事実だけで私の気持ちは全く考慮していない。私の家族は、本当に「家族」なのだろうか? 仮に同じパーティーにいたとしても、私はこの両親を信頼し共に戦うことができていただろうか。
じっと母を見据えれば私が口答えしたことに驚きはしたようだが、だからといって反省した様子は見られない。むしろ激昂し、私に負けじと声を張り上げる。
「お母さんはクライドとイヴのためを思って言ってるのよ! それなのにそんなことを言うなんて、あなたはなんて子なの!」
感情的に叫ぶ母が、私に向かって右手を振り上げる。子どもの頃はそうやって、母に頬をぶたれたものだ。だけど、今は違う。曲がりも何も冒険者になった私にとって、現役を退いた母の攻撃など取るに足らないものだった。
母の手を最小限の動きで躱すと、母が驚愕に目を見開く。私はそんな母に怒りをぶつけるようにだんっ、とテーブルを叩いた。
「私はもうクライドとパーティーを組むつもりはない。クライドだって自分のパーティーを作って新しい仲間がいる。だからもう、私のことを放っておいて」
ハーフエルフのアンと、ネクロマンサーのボニー。理由はどうあれ彼女たちはクライドとパーティーを結成することを決め、クライドと共に戦っている。打算や妥協はあるかもしれない、けれど今のクライドたちのパーティー『失われた風景』は確かにお互いの命を預けてもいいほど確かな絆を持った『家族』として行動しているのだ。私とも、父とも母とも違う新しい居場所がクライドにはある。そこに私や父、母といった部外者が入る隙などないのだろう。クライドは、経緯はどうあれ確かに自分の『家族』を作り上げている。そんなクライドに縋るなど、何か間違っているしか思えない。少なくとも、本当の『家族』なら絶対そんなことはしないはずだ。
「あなた……クライドの妹なのに……!」
怒りに震える母はそれでも、私の反抗が許せないとでも言いたげに目を吊り上げる。だが反論する言葉は出てこないのか、唇を空回りさせるとボロボロと涙を流し始める。
……なんでお母さんが泣くんだろう。
そんな冷めた感想しか持てない私は、きっと間違っているのだろう。だけどそれを改善することができないからこんなバラバラで歪んだ形になってしまった。パーティーとしてのランクが下がってもクライドを追放する、と決めたレオンのように思い切った行動をする者が誰もいなかった。だから私たち家族は『家族』でなくなってしまったのだ。
私は一度、深く溜め息をつくと席を立ち振り返す。父とまだ会ってないことや、私物を持ち帰っていないことはもうどうでもいい。とにかくこの母から、家から離れたい。その一心で私は玄関を開け、来た時からは信じられないほど足早に乗り合い馬車の停留所へと向かうのだった。




