第8話 Pause この街に残る理由
ボルドさんのお店に向かって歩いた。
朝の街はもう昼に近づいてた。
噂はまだ街の中をぐるぐる巡ってるらしい。
通りすがる人たちがちらりちらりとこっちを見てる。
ただし誰も声をかけてこなかった。
声をかけたらどうなるか分からないもんね。賢明。
楽しそうに歩く。
ハルトは半歩後ろを無言でついてくる。
「ハルト」
「何だ」
「お腹すいた」
「さっきパンを二個食ってただろ」
「あれは朝食」
「……」
「今のは昼食。別腹じゃなくて別の食事なの」
「もう何も言わないことにする」
「お、いい判断」
ハルトは額に手を当てなかった。
たぶんもう額に手を当てるのにも慣れたのね。省エネ。
*
ボルドさんのお店に入った。
三日連続。
ボルドさんはもう驚かなかった。
「お、来たか」
「来たよ」
「今日は何にする」
「おすすめ」
「おう」
ハルトは迷ったような顔でしばらく立ってた。
「ハルトさんか」
「……ああ」
「噂は聞いてる。お嬢ちゃんと一緒だってな」
「……成り行きだ」
「成り行きでAランクをひとり伸して、巻き込まれたってことか」
「伸したのは俺じゃない。彼女だ」
「分かってる。聞いておきたかっただけだ」
ボルドさんがにやりと笑った。
ハルトは何か言おうとして、やめて、それから席についた。
——お、諦めの早さも板についてきた。
*
ボルドさんが皿をふたつ持ってきた。
ひとつは煮込み。
もうひとつは見たことのない何かの揚げ物。
衣が薄い金色。香りがふっと立ち上る。
「これ、何?」
「昨日の話を聞いて、夜中に試した。林檎酒の煮込みに合わせる揚げ物だ」
「お」
「白身魚。皮を酒に漬けて、香味草で軽く巻いて揚げた。冷める前に食べな」
「……これね」
揚げ物をひとつ口に運んだ。
噛んだ。
……
「あー、なるほどね♪」
これね、と身を乗り出す。
「揚げ油、いつもより十度くらい低いでしょ。だから衣が薄く軽く上がるの。しかもね、揚げてから軽く振って立てかけてるでしょ、これ。だから皮がぱりっとしたまま湿らないの。香味草も火を入れすぎてないから、香りが舌の上でしゅっと消えて、あとに爽やかな苦味だけ残る。この苦味が揚げ物の脂を嫌味なく引いてくれるの。それで煮込みの酸と合わせると——ほら、脂がすっと流れて、また一口いきたくなるでしょ。わかる? この構造、わざとだよね」
「……」
「これ、夜中に何回か失敗してるでしょ。温度と香味草の量とお酒の漬け時間、ぜんぶ詰めてここに辿り着いた顔してる」
ボルドさんが皿を拭く手を止めた。
それから、ふん、と鼻で笑った。まんざらでもない笑い方。
「……三回焦がした」
「でしょ。食通の本気ね。好き」
ハルトはしばらく揚げ物を見てた。
それからひとつ口に運んだ。
「……」
ハルトが噛んだ。
「うまい?」
こっちが聞いた。
「うまい」
ハルトが即答した。
「素直だね」
「うまいものをうまいと言うのに、理屈はいらないだろ」
「お、それはそう」
ハルトが珍しく口元を緩めた。
楽しそうに笑った。
*
食べながらボルドさんが話しかけてきた。
「お嬢ちゃん、ヴェルデンはどうだ」
「いい街だね」
「そうかい」
「ご飯、美味しい。人、悪くない。あと、なんだろう、空気が悪くない」
「それは嬉しいな」
「商売、繁盛してる?」
「あー、ここ何年か、ずっとな。お嬢ちゃん、知ってるかい。このヴェルデンは五年くらい前まで、もっと寂れた街だったんだ」
「ふーん」
「街道の交易路が、東の山脈の崩落で迂回路になっちまってな。商人はここを素通りして、北を回るようになってた」
「うん」
「それが、領主様が代替わりしてから変わった」
「あ、領主、いい人?」
「グラハム様だ。若い領主だがな」
ボルドさんが煮込みの鍋をかき混ぜる手を、少しだけゆっくりにした。
街のことを話すとき、この人はほんの少しだけ声が柔らかくなる。
「あの方が街道の補修と、新しい商人ギルドの整備に力を入れてくれてな。商人が戻ってきた。税の取り方も悪くない。あの方は、商人にも職人にも優しい」
「ふーん」
「俺の店にも月に一度くらい、私服でふらっと来てくれる」
「へえ? 領主が?」
「いい客だ。煮込みをゆっくり食べていく。注文はいつも、その日のおすすめ。料理の話はするが、自分の話はあんまりしない」
「ふーん。それ、いい客だね」
「あの方は食を分かる人だ。だから俺は信用してる」
「あー、それは大事。食が分かる人に悪い人はいない。だいたいは」
「いい街になった。ここ四年か五年でな」
「うん、わかる」
ぱくりと揚げ物をもうひとつ噛む。
噛みながら、頭の隅で何かが静かに繋がった。
グラハム。
領主の名前。
街の中央の地下に強い気配を感じる、その方角。
——たぶん、その人。
気付かないふりをしてる人。
たぶんそれなりに頭の良い人。たぶんそれなりに地位のある人。
そしてたぶん、それなりに人望のある人ね。
食が分かって、街に優しくて、地下に異式。
——ふーん。面白い人っぽい。当たりだといいな。
「ま、まずはご飯♪」
とりあえずご飯に集中することにした。
*
食べ終わった頃にはもう昼を過ぎてた。
ハルトとお店を出た。
「カレン」
「ん?」
「お前、どうするんだ、これから」
「うーん」
「街、出るのか」
「出ない」
「残るのか」
「うーん、それも決めかねてる」
「うーんって、何だ。飯が美味いからか」
「あー、それもある。半分くらい」
「残りの半分は」
「あー、ちょっとね。言うと長いから、また今度」
ハルトはそれ以上、聞かなかった。
聞いても答えが返ってこないこと、もう知ってるのね。
*
ハルトと街の中央広場の近くで別れた。
ハルトは剣の整備の続きと、ギルドへの報告書、らしい。律儀。
ひとりで、ぶらぶらと街を歩く。
ヴェルデンの午後の街。
朝の活気とはまた違う、ゆったりした空気。
街路樹の葉の音。
古い石畳のすり減り方。
子どもたちが教会の前で丸い石を転がして遊んでる。
老婆が井戸の脇で何かを編んでる。
良い街。ほんとうに良い街。
ただ、その良い街のど真ん中、地下、深いところに異式の気配がある。
強い。大きい。安定してる。
そしてたぶん、誰かに使われてる。
たぶんグラハム。
ふーん、と思う。
急いで踏み込む必要はない。
まだ、はっきりした場所までは辿れてない。街の中央広場の地下、というところまで。
もう少しだけ観察してから動きたい。
*
夕方、宿に戻った。
宿の女将さんに厨房をまた借りた。
ポーチから地下茸を取り出す。二年熟成のやつ。
まず薄く切る。
包丁の刃を寝かせて、繊維を潰さないように。
火を入れすぎない。油はほんの少しだけ。
鍋の温度を、油がしずかに揺れる程度に保つ。
塩をつまんで軽く散らす。
地下茸の表面がゆっくり透けてくる。
そこで火を止める。
最後に温めたバターをほんの少しだけ絡める。
食べた。
……
うん、美味しい。
でも、ひとりで食べる地下茸は、ちょっとだけ物足りない。
結局、ハルトには約束の煮込みを振る舞えなかった。
朝は街を回って、午後はぶらぶら、夕方は別行動。
タイミングが合わなかったのよね。
「明日、ちゃんと奢ろ」
ぽつりと呟いた。
*
食事を終えて、宿の二階の窓辺に座った。
窓の外は夕焼け。
ヴェルデンの空。
オレンジから紫へ、ゆっくり移り変わっていく。
ぼんやり並べてみた。
街、悪くない。
ご飯、美味しい。
ハルト、面白い。
ボルドさん、いい人。
トルクさん、強くて、頭もいい。
ミラさん、可愛い。
噂、面白い。
そして地下に、異式。
たぶんグラハム。
——ぜんぶ揃ってる。こんなに揃ってる街、なかなかない。
「面倒、だけど、ま、いっか」
残ろう、と決めた。
異式の気配を追って、グラハムの正体を確かめて、それから考える。
たぶん、しばらくここにいる。
「うん、いいね。楽しみ♪」
楽しそうに伸びをした。
窓の外で夕焼けがゆっくり夜に変わっていった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
☆評価・ブックマーク・ご感想、なんでも嬉しいです。
応援いただけると、次回更新のテンションが地形を変えるレベルで上がります。
引き続き、お楽しみいただけたら嬉しいです。
わんだ




