第7話 Entrée 格を見せる
ギルドの奥からそのまま裏手に回された。訓練場があった。
二十歩四方くらいの土の地面。
周りには木の柵がぐるりと巡らせてある。
上級冒険者の調整用らしい。
朝の光がちょうど斜めに差し込んでた。
トルクさんが訓練場の中央に立ってる。
軽装のまま。
腰の片手剣をまだ抜いてない。
ただし立ち姿だけで分かる。
重心の置き方。肩の力の抜き方。視線の流し方。
全部が訓練を積んだ人のそれで、ふつうの上級冒険者はここまで整わない。
——おー、本物の格。ちょっとわくわくしてきた。
あたしは訓練場の端に立つ。
杖もない。
宝石もない。
装備らしい装備は腰の食材ポーチと首の革紐の飾りだけ。
そして片手に林檎のパンを持ってる。
「……」
ハルトが訓練場の外、柵のすぐ近くに立ってる。
腕は組んでない。
剣帯のバックルに指が軽く添えられてた。触れただけ。
ただしその触れ方がいつもよりわずかに深い。
——お、ハルト、緊張してるね。あたしより緊張してる。かわいい。
ギルドの裏口から人が少しずつ出てきてた。
受付のミラさん。冒険者数人。何人かのギルド職員。
みんな距離を取って見てる。
誰も何も言わない。
*
「お嬢ちゃん」
トルクさんが声をかけた。
「ん?」
「武器は、それでいいのか」
「パン?」
「……手に持っているもの全般だ」
「これはパン。林檎のやつ。中にお酒が入ってて、いい酸味なの」
「聞いていない」
「あ、そう」
「お前は武器を持たないのか」
「持たない」
「杖も」
「持たない。魔法陣もいらない。ぜんぶ指でやるから」
トルクさんはしばらく黙った。
それから、まあいい、と言いたげに軽く頷いた。
「……分かった」
それからようやく腰の片手剣に手をかけた。
ゆっくり抜く。
鞘から刃が出る音。重みのある、本物の音。
刃の表面には細かい使い込みの傷がいくつも走ってる。
ただし刃そのものは新品みたいに鋭く整えられてる。
手入れの行き届いた、長年の相棒の剣。
見物人たちの間にわずかなどよめきが走った。
——お、いい剣。ちゃんと手入れしてる人の剣。好きかも。
ハルトの指が剣帯のバックルから離れた。
たぶん覚悟を決めたのね。
林檎のパンをひとくち噛む。
*
トルクさんが構えた。
中段。半身。重心は前。
剣先はほんの少しだけ下げてある。
喉と心臓を両方、視野に入れた角度。
隙の少ない、定石の構え。
ただし定石を選んだのは、たぶんあたしをまだ測れてないから。
慎重に見極めようとしてる。
——ふーん、いい。
慎重派。ちゃんと観察してから来るタイプ。
ハルトと似てる。この街の強い人はみんな、こういう型を通るのよね。
噛んでる。
林檎のパンの中のほんのり甘い酒の香りが口の中に広がる。
朝のちょうどいい酸味。
「いつでも、いいぞ」
「うんー」
「先攻は譲る」
「あー、いらない。先攻って面倒なんだもん」
「……面倒」
「うん。あんたから来て」
「……俺からか」
「うん。その方が早いでしょ」
トルクさんはしばらく答えなかった。
それから低く息を吐いた。
「分かった」
*
トルクさんが踏み込んだ。
速い。
一歩で間合いの半分が消えた。
ふつうの剣士なら追えないスピード。さすがAランク。
二歩目で上段に振り上げる。剣の軌道に無駄がない。
振り上げから振り下ろしまで、ためらいが一切ない。
三歩目で振り下ろし——
——る、前に。
空いてる方の手の指先がほんの少しだけ動いた。
それだけ。
音はなかった。
光もなかった。
風さえほとんど立たなかった。
ただ空気の流れがわずかに変わった。それだけ。
トルクさんが後ろに吹き飛んだ。
木の柵にぶつかった。
柵の一部が軋んで半分折れた。
トルクさんの体が柵にもたれかかったまま、ずるずると地面に滑り落ちた。
土埃がわずかに舞い上がった。
訓練場の中央に剣が一本、刺さって残ってる。
トルクさんの片手剣。振り下ろされる前に手から離れたのね。
刃の根元まで土に深く食い込んでた。
「あ」
首を傾ける。
「ごめん。加減したつもりだったんだけど」
林檎のパンをもうひとくち噛む。
*
訓練場の周りがしんと静まった。
ミラさんが両手で口を覆ってる。
ギルド職員のひとりが座り込んでた。
冒険者たちは誰も動かなかった。
ハルトの剣帯のバックルがわずかに鳴った。
たぶん、安堵と別の何か、両方が混じった音。
トルクさんが地面に片手をついた。
ゆっくり立ち上がる。
革鎧の留め金がひとつ外れてぶら下がってた。
ただしそれ以外は特に外傷はなさそう。
トルクさんは軽く肩を回した。それから首を左右に振った。
それからこっちを見た。
「……」
しばらく答えなかった。
それから口元をほんの少しだけ緩めた。
笑いじゃない。諦めに近い表情。
「……なるほど」
「ん?」
「これが『あとなし』か」
見物人たちの間で、低い声がざわりと走った。
「……『あとなし』」
「本物だ」
「Aランクが、一撃」
「……」
「冗談だろ」
ハルトの目がほんの少しだけ細くなった。
異名が確定した瞬間。
*
「お嬢ちゃん」
「ん?」
「俺はトルクだ。改めて名乗っておく」
「うん。さっき聞いた」
「お前のことは敵視しない」
「うん、それで」
「ただ、ひとつ聞いていいか」
「うん」
「お前、何の目的でヴェルデンに来た」
「ご飯」
「……」
「あと、ちょっと面白いものを見に」
「面白いもの」
「うん。この街、なんかいい匂いするの。ご飯じゃなくてもっと奥の方」
「……それは、街に害があるか」
「あー、それは街次第かな」
「街次第」
「うん。あたしは害を出すつもりはないの。出すことになったら、それは街のせい」
トルクさんは長い間、答えなかった。
それから軽く頷いた。
「分かった」
「うん」
「俺は十年、この街にいる」
「うん」
「冒険者として、初めて契約を結んだ街だ。それなりに思い入れがある」
「いいねー」
「だから、街を守る側に立っている」
「うん」
「お前が街に害を出さない限り、お前の邪魔をしない」
「お、いいね」
「もし、街に害が出るなら——」
「うん」
「俺が止める」
「うん。それでいい。止められるものならね」
最後のは聞こえないふりをしてくれたっぽい。大人だ。
林檎のパンの最後を口に入れた。
噛む。
ふと思った。
このパン、もう半分ハルトにあげればよかった。
林檎、いい酸味だった。黒麦のと両方買ってよかった♪
*
ギルドの裏手からようやくざわめきが戻ってきた。
誰かが低く笑った。
別の誰かがようやく息を吐いた。
ミラさんが両手をぱたぱたと振って何かを慌てて整理しようとしてた。
「ハルトさん!」
「何だ」
「あ、あの、お預かりした報酬は、確かに、お渡し、しました、よね?」
「した」
「ですよね。ですよね。あの、報告書、後で、書きます、ね、たぶん」
「ああ。落ち着け」
ミラさん、明らかに混乱してる。
——お、ミラさん、頑張ってる。がんばれ。
ぱくりと噛みながらハルトを見た。
「ハルト」
「何だ」
「あんた、来ないでもよかったね。あたし無事だったし」
「知ってる。お前の心配はしていない」
「じゃあ何の心配」
「柵と、あの人の肋骨と、あとで書く報告書だ」
「あー、律儀ー」
ハルトが軽く額に手を当てた。
たぶん何かを諦めた顔。
*
ギルドの外に出た。
朝の街はもう午前の遅い時間になってた。
「カレン」
「ん?」
「ひとつ聞いていいか」
「うん」
「お前、本気だったか、さっき」
「ううん。本気の十分の一くらい」
「……そうか」
「ハルトは十分の二くらいは見たから、わかるでしょ。あの林の白いやつ」
「……あれで二割か」
ハルトはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、深く息を吐いた。
楽しそうにポーチをトン、と軽く叩く。
街の中心部の方角をちらりと見た。
異式の気配はまだそこにある。
急ぐ理由はない。
けれど悠長にしている時間も、もうそれほどない。たぶん。
「さ、ご飯行こ。ボルドさんとこ」
楽しそうに歩き出した。
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わんだ




