第2話 Hors-d'oeuvre I 食堂のからあげ
街門が見えてきた頃にはもう日が傾いてた。
ヴェルデン。
聞いてた通り立派な街じゃない。
石造りの城壁。木組みの家。市場のざわめき。
門番がふたり退屈そうに座ってる。
何の手続きもせずにその横を通り抜けようとした。
「あ、ちょっと、姉ちゃん」
「ん?」
「身分証は?」
「ない」
「は?」
「持ってない」
首をちょこんと傾ける。
ちょっと楽しくなってきた。
「あの、それは、ちょっと、その」
「いいよね、別に」
「えっと」
「いいよね」
門番が城壁の向こうから漂ってくる煤の匂いに気付いた顔した。
もう一度こっちの瞳を見て、ポーチを見て、短く息を吐く。
——お、面倒な存在だと察したね。賢い。
正規の手続きを求めてもしここで抵抗されたら——とか、たぶん想像したくないやつでしょ。
「……どうぞ」
「ありがとー」
楽しそうに歩き出す。
*
街の中はもうすぐ夜だっていうのにまだ明るい。
大通りには店じまい間際の屋台が最後の客を呼び込んでた。
串焼きの匂い。焼きたてのパンの匂い。香辛料の匂い。
子どもが走ってる。犬が吠えてる。誰かが大声で笑ってる。
良い街じゃない。食に期待できそう。
ボルドの店、というのが街の南側にあるらしい。
三年前の旅人案内に書いてあった。古い情報だからまだやってるか半分不安。
でも看板はちゃんと出てた。よかった。
古い木の扉を押すと油の匂いと煮込みの匂いとざわめきがいっぺんに押し寄せてきた。
おー、いいお店。
「いらっしゃい!」
太い声がした。
厨房から太った男が出てきた。
五十代くらい。料理人の白衣。前掛けが油でテカテカしてる。
「お、新顔か」
「うん」
「席、あっちだ」
太った男はそれ以上、何も聞かなかった。
ちらりとポーチを見て、それから手元——杖も宝石も何もない空の指先——を見て短く息を吐く。
——たぶん、ボルドさんだ。お、察しがいい。好きかも。
「飲み物は?」
「お水。あとはー、おすすめ」
「おう」
空いてる席に腰を下ろした。
ポーチを横に置く。膝の上でトン、トン、と紐を叩く。
楽しみ♪
店内は半分くらい埋まってた。
地元の常連らしい男たちが煮込みを突きながら何か話してる。
隅の方に冒険者風の男が三人。装備からしてまあまあの実力者でしょ。
視線がこっちを一度だけちらり。
はいはい、見るだけ見て。
厨房からまた太い声。
「お嬢ちゃん、煮込みは夜が更けてからだ。まだ仕込み中だ」
「えーー」
「先に、これでも食べな」
皿が置かれた。
揚げたばかりの肉。
衣の表面がまだ油でじゅうじゅう音を立ててる。
香辛料の匂いがふっと立ち上る。
子鶏のからあげ。
けっこういいじゃない。
「美味しそう」
「食ってみな」
「あー、これ」
ひとつ口に運んで噛んだ。
……
「あー、なるほどねー」
たぶん表情が緩んだ。
自分じゃ分かんないけどボルドさんがにやっとしたから、たぶん緩んだ。
「お嬢ちゃん、口に合うか」
「うーん。これ美味しい♪ 下味、にんにく? あと、たぶんパプリカ。それも、たぶん南方の皮の薄いやつ。それから、酒は何使った? 麦酒とは違うね、もっと甘い……あ、林檎酒? 林檎酒だ。香りがいい。だから衣にこの軽さが出るんだ。あと、この鶏ね。たぶん餌に麦じゃなくて、果実の実を混ぜてる。脂の甘みが違うの。羽根の色、白いやつでしょ? 三ヶ月くらいで締めた? ちょうどいい——」
ボルドさんがぴたっと止まった。
しばらくしてから、低く笑った。
「お嬢ちゃん、料理人か?」
「ううん。ただの食いしん坊」
「そうかい」
ボルドさんはもう厨房に戻ってた。
ただ戻る前にもうひと皿、勝手にこっちに置いてくれた。
「うちの裏メニューだ。林檎酒の煮込み。あんたなら分かるだろ」
「……お、いいね」
たぶん目が細くなった。これも自分じゃ分かんないけど。
ボルドさんがわずかに頷いた。
「美味ぇぞ」
ふふ、ボルドさんの口調、好き。
*
二皿目を半分くらい食べ進めた頃。
影がテーブルの上に落ちた。
顔を上げるまでもない。
隅にいた冒険者三人組のうちひとりがこっちに来てる。
三十前くらいの男。体格は良いけど目つきが悪い。
——はー、面倒なやつ。せっかくのご飯が。
「よお、お嬢ちゃん」
「ん?」
「武器なしの魔道士ってのは、珍しいなあ」
「そう?」
「俺らとちょっと、話さねえか」
皿に視線を戻した。
三切れ目を口に運ぶ。
噛む。
男は答えを待ってる。
こっちは噛んでる。
「おい」
「ん」
「聞いてんのか」
「うん、聞いてる」
「じゃあ返事を」
「噛んでる」
男の手がこっちの皿に伸びた。
わずかに肉の縁に指が触れそうになる。
——あ、ダメ。これあたしの。
店内がほんの少しだけ静かになった。
常連客のひとりが煮込みを突く手を止めた。
ボルドさんが厨房からちらりとこっちを見た。
口の端だけがほんの少し上がる。
噛むのはやめない。
片方の指先をほんの少しだけ上げた。
それだけ。
男が後ろに吹き飛んだ。
ガラス瓶が割れる音。椅子が倒れる音。仲間ふたりが立ち上がる音。
四切れ目を口に運ぶ。
——うん、美味しい♪
「お、お前、何しやがる!」
「お嬢ちゃん、覚悟しろ、トルクさんに言いつけるぞ!」
「トルクさんに言えば、ただじゃ済まねえぞ!」
トルクさん、ね。
たぶんこの街の偉い人。
まだ聞いてない。
五切れ目。
噛みながらぽつり。
「……ご飯、ご飯」
店内がふっとまたざわめき始めた。
常連客の誰かが低く笑った。
別の誰かが口を覆って肩を震わせてる。
——あー、こっちの街、いい笑い方する人が多い。好き。
*
騒ぎがいつの間にか収まってた。
仲間ふたりが吹き飛んだ男を抱えて店を出ていく。
ボルドさんが厨房から出てきて割れたガラスを片付け始めた。
文句のひとつも言わずに。
——お、いい人。
「お嬢ちゃん」
「ん?」
「うちの店で、加減してくれてありがとな」
「あー、ごめんね、ガラス」
「あれくらい構わねえ」
「あと、あの人、たぶん、肋骨二本くらい」
「ああ、それも構わねえ」
ボルドさんの声に笑いが混じってる。
お、ボルドさん、いい感性。
皿を空にした。
美味しかったー。ほんとうに美味しかった。
「ボルドさん」
「お、覚えてくれたか」
「うん。ねえ、このあたりに何か面白いものない?」
「面白いもの?」
「うん」
「普通だ。よくある街だ」
ボルドさん、本当にそう思ってる顔。
嘘じゃない。ただ気付いてないだけ。
それで満足。
たぶんこの街で気付いてる人間はほんの数人。
気付かないふりをしてるのはその中のたった一人。
ふーんと内心で頷いて椅子から立ち上がった。
*
宿の場所をボルドさんに聞いて外に出た。
もう夜。
ヴェルデンの夜は思ったより明るい。
街灯。窓の灯り。市場の名残のざわめき。
ぐーっと伸びをする。
食材はボルドさんに半分譲った。残りは明日の朝食。
お、いい交易。
「美味しかったー」
ぽつりと呟いた。
「明日も来よう」
それから街の中心の方向をちらり。
異式の気配はまだそこ。
さっきより少しだけはっきりと。
街のど真ん中、地下、深いところ。
大きい。
安定してる。
たぶん誰かに「使われて」る。
だれだろう。
気付かないふりをしてるのはだれだろう。
たぶんそれなりに頭の良い人。
たぶんそれなりに地位のある人。
たぶんそれなりに面白い人だと、いいな。
「明日、ちょっとぶらつこっか」
楽しそうに宿の方向に歩き出した。
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わんだ




