第1話 Amuse-bouche 地平線つきの夕飯
「ねえ、これってぜんぶ食べれるんだっけ?」
「……は?」
「分かんないか。ま、いいや。希少種だし、いいとこから持てるだけで」
地平線まで続く戦闘の爪痕の中心で濃紺の髪の少女が男の常識を片っ端から壊していった。
——とまあ、絵にすればたぶん立派なやつ。
ただ当人としては肝の取り出しに夢中で、絵のことなんかどうでもいいのよね。
馬車の上で旅商人が固まってる。
横の少年も口を半開きにして固まってる。
ふたり、いい固まり方。
あたしは巨大な魔物の死骸の前に屈んでぐっと指先を一本伸ばす。
体長五メートル。鱗の一枚一枚にまだわずかな熱が残ってる。お、いい鮮度。
指先の青白い光の刃で腹を絹を裂くようにすうっと開いていく。
音はほぼなし。あたしは解体の達人。
肉の奥から温かい湯気がゆっくり立ち上ってくる。
「あの、ええと」
「ん?」
商人が顔を上げた。
まだ固まってるけど一応話しかけてはくるんだ。礼儀ある人ね。
「ああ、ごめんね、邪魔だった?」
「いや、その、なんてことは……」
視線を死骸に戻す。
指先の刃をゆっくり内臓に滑り込ませて繊維ひとつ乱さずに肝を取り出した。
完璧。あたし、神。
空いてる手で腰のポーチをトン、トン。
楽しみ♪
「お、これ。本物じゃない」
商人、首を傾げてる。
たぶん分かってない。けどあたしが本物って言うんだから本物。それでいい。
「見て、この色。三年に一度しか出ない色だから。北の山脈の麓でしか取れない品種でね。あ、知ってる? この種類、脳の一部に魔力を蓄えてて、それが死後数分以内に分解しちゃうんだけど、保存方法あるの。氷魔法で外側だけ凍らせて、内側は常温のまま。温度差で代謝を止めるの。これがコツ。じゃないと食感が——あー、もう説明しても分かんないか。とにかく、これがあるとね、煮込みにしても塩漬けにしても全然違うの。香味草と一緒に三日寝かせたら、それはもう、それはもう」
商人の目が泳いでる。
お、追いつかなくなったね。うん、よくあるよくある。
「あと、心臓のところね。これも処理が違うの。普通は固いから捨てるんだけど、ちゃんと血抜きしてから三時間だけ酒で煮ると繊維がほぐれて、舌触りが——あ、ごめん。あんまり食に興味ない人だった?」
「いや、好きですけど、その、追いつけなくて……」
「あー、よくあるよくある。気にしないで」
あたしはふっと指先の青白い光を消した。
立ち上がって振り返る。
商人、息するの忘れてる。
強烈にいきすぎたかな。
視界の向こう、地平線まで地面が黒く焦げてた。
森だった場所には煤と熱波の痕跡だけ。
さっきまで木があった。たぶん。
焼け焦げた何かの死骸らしきものが煤の上に点々と転がってる。
群れの残り。
灰色の煙がまだ細く空に向かって立ち昇ってる。
抉れた地面の底に青白い光の残り火がほんの微かに見えてた。
普通の魔法では絶対に残らない種類の光。あ、消し忘れた。ま、いっか。
「あの、それ、あなたが……?」
「うん。あたし」
「ぜ、全部?」
「全部って?」
「そ、その、地平線まで……」
一度だけ振り返ってああ、と頷いた。
「面倒だったから、まとめて。あーだってこの子、群れで動くから。守ってないと、解体する前に他のやつらに食われちゃうの。仕方ないでしょ」
商人、何も言えなくなって首を縦に振ってる。
横の少年も無言で頷いてる。
はい、納得した顔。
「お名前は」
「カレン」
「カ、カレンさん」
「うん。お腹すいた」
「は」
「街は、どっち?」
「えっと、北東に半日くらいで、ヴェルデンが」
もう歩き出してる。
解体した肉のいい部位だけを腰のポーチに詰めて残りは放置。
ポーチが随分と膨らんできた。お、いい収穫。
「もったいない」
商人がぽつり。
「持って帰れるなら持って帰っていいよ。あたし、欲しいとこだけ取ったから」
振り返らない。
商人さん、後ろで何かぼそぼそ言ってる。
たぶん——あー、噂、思い出してる顔。
——北の山脈の向こうで街道をひとつ吹き飛ばした魔道士。
——西の平原で地形を変えた少女。
——南の砦で城壁を撫でただけで穴を開けた話。
——通った後に跡形もない、信じがたい異名。
いろいろある。尾ひれと誇張と嘘ばっかり。
けど商人みたいに場数踏んでる人は、雰囲気で見抜く。
——「これは本物だ」って思ってる顔、商人さん。
「あ、あの!」
「ん?」
「もしかして、あなた、『あとなしの……』」
止まらない。
「あー、それ、あんまり聞かないでくれる?」
「えっ」
「面倒だし。って言うか、跡くらい残してるって。大げさなんだから、みんな」
歩きながら片手で煤の地面を指差した。
商人がその指の先を見て固まってる。
焼けた地面に小さな足跡がふたつ、点々と続いてた。
——ね、跡、ある。ちゃんと残してる。
楽しそうに歩いていく。
濃紺の髪が肩に揺れて、ポーチが軽く膨らんで、首の革紐の飾りが歩くたびに小さく音を立てる。
後ろの方で少年と商人がぼそぼそ。
「父さん。あの人、本物のあとなしだった?」
「……たぶん」
「足跡、残してたよ」
「……うん」
「跡、残してたよ」
「……だな」
ふふ、面白い親子。
もう少し進んだあたりで後ろから走ってくる足音。冒険者ふたり。剣を抜いてる。
「おい、なんだこれは!」
「死骸の山——いや、これ、本物の魔物か?」
商人が指差してる方向を見てこっちに来そう。
お、追ってくる気? 面倒。
——「いま、行きました。あの方向に。煤の足跡を」
商人がぼそぼそ案内してる声が聞こえる。
ご丁寧なことで。
冒険者ふたりが煤の地面と消えていくあたしの後ろ姿を交互に見てるのが気配で分かる。
しばらく何も言わない。
ひとりが低く言うのが聞こえた。
「……まさかな」
「言うな」
「いや、でも」
「言うなって」
ふふ、追ってこない判断ね。お、賢い人たち。
*
もう商人のことも冒険者のことも頭から消えてた。
歩きながら楽しそうに頷く。
肉。あと半日。
温度差で劣化を止めて、香味草とハーブで風味付けして。
できればいいお店で。ヴェルデンには確か評判の煮込み屋があったはず。
名前は——たしかボルドさんとかいう人がやってるお店。
三年前にもらった旅人案内に書いてあった。たぶんまだやってる。
旅人案内をくれたのは誰だったか。
たぶん師匠が消える少し前。
ゼーヴ。
変な名前の変な老人。
短い間、一緒に旅をした。
魔法の面白さと世界の魔法法則に開いた「穴」の話だけ置いていった。
場所は教えてくれなかった。だから自分の感覚を頼りにこうしてあちこち巡ってる。
大した目的じゃない。
面白そうだから見に行く。それだけ。
「お、いい匂い」
風が少しだけ街の方角から吹いてた。
パンの焼ける匂い。スープの匂い。それから——
足が止まる。
ほんの一瞬。
空気の流れがおかしい。
風は街の方角からまっすぐ吹いてるはず。
なのにその風の中に別の方向からねじれた流れが混じってる。
細い。
たぶん自分の感覚以外、誰も気付かないレベル。
でも確かにある。
街のさらに奥、地下のどこか。
そこに何かいる。
ふつうの地脈じゃないねじれた流れ。
感知が勝手にそれを拾った。
たぶん十中八九あれじゃない。
異式。
師匠が唯一名前を教えてくれた、世界の魔法法則に開いた「穴」。
各地に点在してるらしいけど感じ取れる人間はほぼいない。
あたしが旅を続ける、たったひとつの理由。
ヴェルデンにある。しかもわりと大きそう。
街のど真ん中の地下なんてよくここまで気付かれずに残ってたなー、と思う。
たぶん誰かが気付かないふりをしてる。
「……ん? なんか、面白い気配もする」
少しだけ目を細めた。
それから楽しそうに呟く。
「ま、まずはご飯♪」
足がまた動き出す。
地平線の向こうにヴェルデンの街が見えてきた。
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わんだ




