第11話 Surprise 不思議な商人
翌日。
また街を歩いてた。
中央広場の北側の入口から少しだけ離れた、別の路地。昨日、警備兵に立ち入りを止められたところより、もう少し南。
別の角度からもう一度、地下の気配を観察したい。そう思ってた。
ところが。
「お嬢さん」
路地の少し奥から声がした。
振り返ると、男がひとり立ってた。
昨日、中央広場で視線が合ったあの男。朝の路地でこっちを見てたあの男。商人風の、白髪混じりの男。
ただし今日は、もう商人の顔じゃない。
*
男がゆっくり近づいてきた。
三歩離れたところで立ち止まる。失礼にならない距離。ただし警戒もしない距離。その間合いの取り方が、すでにふつうの商人じゃない。
髪は白髪混じり。左耳にだけ銀のピアスがかかってる。服装は上質の黒。ただし装飾はほとんどない。黒いシャツの袖を軽くまくってて、その腕に不自然な痕跡はない。ただし、手の甲の血管の浮き方が、年齢に対して若かった。
——ふーん。中身と外側が合ってない人。
「初めて、お目にかかります」
「お、丁寧」
「ふふ」
男が軽く笑った。笑い方が子どもみたい。それから軽く首を傾けた。
「お嬢さん、お名前を、聞いても?」
「あたしカレン」
「ありがとうございます。私は、エルヴァ、と申します」
エルヴァ。首を傾ける。
「商人?」
「ええ、表向きは」
「お、表向き、って自分で言っちゃうんだ」
「隠しても、お嬢さんには通じませんでしょう」
「うん、通じない」
「ですから、正直に」
——正直は強い、って知ってるんだ、この人。
「お嬢さん、歩きながら、お話しませんか」
「うん、それで」
エルヴァさんが軽く頷いて、横を歩き始めた。押し付けがましさはなかった。ただ自然と横に並んだ。並ばれ慣れてる歩き方。
*
路地をふたりでゆっくり歩く。
「お嬢さんは、ヴェルデンに、長く?」
「数日」
「ご旅行で?」
「ん、まあ、そんなとこ」
「目的地は」
「ないの。行き当たりばったり。ご飯の美味しい街で止まる。そういう旅」
「ふふ。よい旅ですね」
エルヴァさんがまた軽く笑って、視線を軽く外した。
「私は、商人をしております。香辛料が、主です。東の港から北の山脈の麓まで、行き来しております」
「へえ、香辛料。じゃあ、いいの持ってるでしょ。この辺じゃ手に入らないやつ」
「……お目が高い」
「あたし、そういうのだけは目が利くの。で?」
「ヴェルデンにも、よく立ち寄ります」
エルヴァさんはしばらく答えなかった。それからぽつりと言った。
「お嬢さん」
「ん?」
「お嬢さんのお師匠様のお名前は、なんと、おっしゃいますか?」
足が止まった。
*
ほんの一瞬。
空いてる方の手の指先が、ほんの少しだけ上がりかけた。それから肘の角度がわずかに後ろに引かれて、重心がほんの少しだけ低くなった。つま先の向きが四十五度、外に。そして口元がわずかに上がりかけた。
——優雅な礼の形。
だった。
寸前で止まる。自分でも気付かないうちに出てた。
「……あー、面倒くさ」
ぽつりと呟いた。
ふだん絶対にしない動き。子どもの頃に嫌になるほど叩き込まれた、家の礼の所作。もう十年近くしまっていたはずなのに。
なんで今、出たんだろう。たぶん、相手がそれを引き出すような空気を纏ってるからね。こっちに似たような出があるから、こっちもそれを返そうとする。そういう空気。
つまりエルヴァさんは、ふつうの商人じゃない。むしろ、ふつうの商人のふりが上手すぎる。そういう人。
エルヴァさんはその動きを見てた。ほんの一瞬だけ、目の奥が光った。
ただし口では何も言わなかった。静かにピアスに指を触れて、軽く微笑んだ。
「お気づきでしたか」
「ん?」
「お嬢さんの、出が、です」
「あー、それ。気付かないふりして」
「承知いたしました」
エルヴァさんはその話を追わなかった。ただし、追わなかったってこと自体が、追ってた。
*
「あんた」
「はい」
「あたしの師匠の名前、なんで知りたいの?」
「ふふ」
「ふふ、じゃなくて」
「ふふ」
エルヴァさんは笑ったまま答えなかった。それから軽く視線を外して続けた。
「もし、私の存じ上げているお方と同じ方であれば、お嬢さんに、お伝えしておきたいことが、ございまして。ただし、まだ確認しておりません。お嬢さんのお師匠様のお名前が、もし、ゼーヴ、というお方であれば」
エルヴァさんを見る。視線が合った。
エルヴァさんが、笑ったまま軽く頷いた。
「ご存じの様子ですね」
「うん」
「ふふ」
「あんた、ゼーヴを知ってるの?」
「短い間、ご一緒いたしました。ずいぶん昔の話です」
「いつ?」
「さあ……正確には、覚えておりません」
さあ、っていうのは、たぶん答えたくないって意味。覚えてないんじゃなくて、言いたくない。顔に出てる。
*
「あんた、何者?」
「商人です」
「商人、ね。で?」
「で、とおっしゃいますと?」
「商人じゃ、ないでしょ。さっきから香辛料の話、ぜんぜん深まらないもん。本物の商人なら、あたしが目が利くって言った時点で、もっと売り込んでくる」
「……ふふ。これは、参りました」
エルヴァさんがまた笑った。笑い方は本当に子どもみたい。ただし、その笑いの奥にあるものが、子どものものじゃない。
「お嬢さん。お嬢さんのお師匠様が、お嬢さんに教えたこと。その、ほんの一部だけ、私も、教わりました。ですから私は、お嬢さんに敵対する者では、ございません。ただし、味方でも、ございません」
「面白い」
楽しそうに頷いた。
敵でもない。味方でもない。ふつうなら警戒する答え。ただし、それを面白いと思う。たぶんこの人は嘘を言ってない。言いたくないことをぼかしてるだけ。ぼかし方が上品すぎて、逆にぜんぶ透けてる。
*
「あんた、これから、どこ行くの?」
「お嬢さんを、しばらく、お見かけする予定です」
「あ、それストーカーじゃない」
「ふふ。違います」
「じゃあ、何」
「観察、です」
「うん。それ、ストーカー。言い換えても中身おなじ」
「……ふふ」
エルヴァさんがまた笑って、それから軽く頭を下げた。今度の「ふふ」は、ちょっと降参が混じってた。
「私が、お嬢さんにお話しできることは、今は、これだけです。また、お目にかかります」
「うん」
「お嬢さんに、ひとつだけ、申し上げます。街の、地下の、気配」
「うん」
「お急ぎになる必要は、ございません。ただし、悠長にしているわけにも、いきません」
「うん、わかる」
「では」
エルヴァさんが軽くピアスに指を触れて、踵を返した。路地をゆっくり歩いて去っていく。
黒い上質な上着の背中が、角を曲がって見えなくなった。
*
しばらくその場に立ってた。軽く息を吐く。
さっきの、家の礼の所作。自分でも気付かないうちに出てた。たぶん、ふだん絶対に出ないやつ。でも出た。
たぶん相手が本物だったからね。本物の、何か。商人じゃない、何か。そして師匠ゼーヴを知ってる、何か。
ゼーヴっていう名前をエルヴァさんが知ってたのは、たぶん本当に一緒に旅をしたから。でも、いつだったかは答えなかった。ゼーヴが姿を消す前か、後か。たぶん前。そうじゃないと、エルヴァさんの立ち位置が説明できない。
ゼーヴが何者だったか、こっちも本当のところは知らない。ただ、いろいろ教えてくれた。魔法の面白いところ。異式の存在。そして、いくつかの断片。まるで何かを後で組み立てるためのピースみたいに、ばらばらに。
そのゼーヴの知り合いが、いまここにいる。
たぶんエルヴァさんは敵じゃない。たぶん味方でもない。ただ、ゼーヴが置いていった何かの続きを知ってる。そういう存在。
「ふーん。面白い人、来たなー」
楽しそうに呟いた。
街の午前の空気は変わらずふつう。ただし、こっちの中の何かがわずかに動いた。
「……お、いいね」
楽しそうに歩き出した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
☆評価・ブックマーク・ご感想、なんでも嬉しいです。
応援いただけると、次回更新のテンションが地形を変えるレベルで上がります。
引き続き、お楽しみいただけたら嬉しいです。
わんだ




