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金色の鳥と新しい毎日

 その日から始まったことは、レティシアにとって一生の宝となるような出来事だった。

 鳥、いや魔術師たちは二人とも熱心な教師であり、優しくも厳しくもあった。二人はそれぞれが得意な分野を、時間を分け合いながらレティシアに教え込んだ。一生懸命、数字のパズルに取り組む日もあれば、最初の時のように三人で夜中のピクニックに出かけ花を摘み、星を眺め、兎や栗鼠を野に追う日もあった。

 あるいは礼儀作法のために、正式に彼らの城に招かれて食事をすることもあれば、魔法でレティシアの替え玉を作って、大胆にも真昼間から外へ抜け出す日もあった。

 町や近隣の村にも出かけていき、三人は親子のふりをして人々と歓談した。

 マリオンは、行く先を選んだりはしなかった。

 のどかでのんびりした農場も、そこから出荷された牛が屠殺される所も見に行った。

 農場の子供が涙を堪えて自分が育てた牛を屠殺場へ見送るとき、レティシアが彼の代わりに泣いた。そして、売られていく牛もまた、別れの涙を流すのだ、ということも知ったのだ。

 レティシアはその時初めて、自分が他者の大事な命というものを口にして生きていることを、本当に理解することができたのだった。

 また緑の大地が金色に染まり、パンとなる小麦が出来ていく過程も見ることができた。

 汗水流して農作物を育てる人たちの、大地や緑に対する深い愛情と尊敬も感じることができた。

「人間は自然の中で、いろいろな命を口にして生きている。食べなければ生きてはいけない。この光と大気と水の中で僕たちは、そうやって生きていく。人間だけが偉いわけじゃない。動物も植物も、人間もみんな大地の子供なんだよ」

 貧民街も泥棒市場も、郊外に最近作られた大きな治療院も見に行った。そこには、前の戦の傷がまだ癒えない者たちが大勢いた。

 領主がいて小作がいる。そしてさらにその上に王がいる。物を作る者と搾取する者。与え続ける者と奪い続ける者。

 金持ちがいて貧乏人がいる、そんな当たり前の世の中の仕組みも初めて見た。


 そして、戦争が自分たち王族だけでなく、王位などとはまったく縁のない町や村の人々をも巻き込んでしまったこともレティシアは初めて知り、衝撃を受けた。

「本当にわたし、何も知りませんでした」

 ぽつりとそう言ったきり、帰りの道でずっと暗い瞳で黙り込む少女を、フェリシアがなんと言ってなだめようかと思案していると、横合いからひょいと長い腕が差し出され、あっというまに軽い身体はマリオンに抱きかかえられていた。

「今の気持ちを忘れてはいけません。辛いことだからと目を背けないで、レティシア。あなたはこの国の王の娘なのですから」

 レティシアは、マリオンの上着の襟をぎゅっとつかんだまま、唇を噛み締め、声を出さずに小さくうなずいた。

「世の中に悲しいことは、たくさんあります。それで泣いてもいいんです。あなたは、その分だけ人々に優しくすることができるでしょう。他人の悲しみも解ってあげられるようになるでしょう。だからレティシア、悲しみに負けて押しつぶされてしまうのではなくて、ちゃんと見つめて受け入れる強さを持たなくてはね」

「はい・・・・・・」

「いい子だね」

 マリオンは厳しい表情を崩すとにっこり笑って、国王の娘にというよりは、まるで愛しい我が子へするようにレティシアの頭を優しく撫でた。


 **..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**


 そんな風にレティシアは、幽閉される前よりももっと自由で、もっとたくさんの貴重なことを学んでいった。

 二人の教師は、一日おきに塔へやってきては、話をしたり外へ連れ出してくれたりしていた。

 楽しいことも辛いことも悲しいことも面白いこともたくさん経験して、日々、レティシアは、成長しつづけていく。

 侍女の目を盗みながら、レティシアは自分から進んでいろいろな勉強を続けていた。

 マリオンが置いていってくれた魔法のひつには、たくさんの大事な本や物が入れられていた。

 秘匿の魔法をかけられた櫃は、部屋の隅にひっそりと置かれていて、レティシア以外、誰の目にも触れることはない。

 レティシアは昼間は図鑑を読むふりをしてこっそりと別の本を読み、夜は肩の上にチップを乗せて刺繍をしたり、レースを編んだりした。

 時折、フェリシアが切ない顔でやって来るなりレティシアを抱きしめて、マリオンに聞こえないように小さな声で耳元にこうささやいた。

「あの塔から出て、私たちのお城へ来ない? 私たちと暮らしましょう」

「わたし、お二人が大好きよ、フェリシア。でも・・・・・・」

 お母様もお兄様も大好きなの。だから、置いてはいけないの・・・・・・。

 飲み込んだ続きは、フェリシアを悲しませたが、無理強いはされなかった。

 マリオンはそんな会話が交わされていることを実は承知で、だが、知らんふりを決め込んでいるようだった。


 楽しい毎日が過ぎていった。

 楽しい日々は早い。あっという間に時は過ぎ、夏が終わり秋が来て冬になり、何度も何度も季節が変わっていった。

 あれから四年たち、レティシアはすでに十ニ歳になっていた。もちろん、幽閉の身分は変わっていない。

 小さく丸かった身体は、すんなりと少女らしさを増し、幼かった顔立ちは思慮深く落ち着いたものに変化していた。

 普段は静かに伏せた瞳の陰に上手に隠されたきらめきは、知性と情熱と好奇心と探究心を表している。

 相変わらず表向きは、塔のてっぺんでだらだらと退屈な毎日を無為に過ごしているかに見えた。

 だが、レティシアはこの四年間で、広大な範囲にわたる膨大な量の知識と、前とは比較にならないほど深く豊かな感情と器用な指先を身につけていた。

 ある晩、いつものように二つの影が露台に軽やかに降り立った。

 すらりとした姿態と整った彼の顔立ちは、四年前から微塵も変わったところがない。

 それは、フェリシアについても同じことがいえた。

 魔術をきわめた者たちは、みな一様に加齢が穏やかだということも、今のレティシアは知っている。

「見た目のほうは、じきに彼らに追いついてしまうかも」

 レティシアは、知らず知らずのうちにため息を漏らしていた。

 レティシアにとって彼は、尊敬する教師であり、頼れる兄、あるいは気の置けない友人ともいえる存在であった。そしてまた、ひそやかでささやかな幼い片恋の相手とも・・・・・・。

「彼がいれば大丈夫よ」は、フェリシアの口癖のようなものだったが、それはレティシアにもいえることだった。

 もちろん彼がフェリシアより自分を好きでいてほしい、などと考えたことはなかった。

 そう思うにしてはレティシアは、フェリシアのことをあまりに深く愛して過ぎていた。フェリシアに対してレティシアは、マリオンとは別の深い愛情を感じていた。彼女は母と同じ存在であり、無償の愛をくれる人、だった。

 マリオンとは異なる、フェリシアの女らしい細やかな愛情は、レティシアに安定を与えてくれたのだ。長い不毛な幽閉生活の中で、それはどれだけ心強い支えになったか知れなかった。


 今や二羽の鳥たちは、レティシアにとってどちらもかけがえのない愛情の対象となっていた。

 そしてその二人の間に流れている愛情も、レティシアにとってはなくてはならないものだった。彼らが愛し合っているということは、レティシアに計り知れない安堵感を与えた。

 とはいえ、一日おきに金色の鳥に会えるということは、恋するレティシアにとって無上の喜びでもあった。彼はいつもレティシアに、知識と勇気と安らぎと小さなときめきを与えてくれる存在であったのだ。

 だが、今日の彼らはいつもと異なり、珍しく少し落ち着かない様子に見えた。フェリシアにいたっては、今にも泣きだしそうな潤んだ瞳をうつむくことで隠そうと必死に見えた。

「どうかなされました?」

 レティシアが心配げにたずねるが、フェリシアは首を振るだけだった。

 マリオンは深く息を吸い、覚悟を決めたように、レティシアの目をまともに覗き込んだ。

 橄欖石かんらんせきのごとくにきらめく明るい緑の右目が、レティシアの心をざわめかせた。

「今日、僕は、いつかの君の質問に答えるためにやって来たんだ」

「いつかの・・・・・・」

 レティシアは、はっとした。

 今までレティシアが数多く口にした質問の中で、彼が答えを渋り、たったひとつだけ答えなかったものがある。

 その唯一の問いが何なのか、彼女にはちゃんとわかっていた。そして、もしかしたら、その答え自体も・・・・・・。


「フェリシアは、最後まで反対していた。でも、僕はそろそろ潮時だと思う。姫を取り巻く状況や大勢も変わりつつあることだし」

 レティシアは、乾ききった喉に苦労して唾を飲み込みながら、無言でうなずいた。

 ついに来たのだ、こんな日が。

 ずっと長い間、恐れていた、こんな日がくることを。

 いつのまにかレティシアの手を、フェリシアが寄り添ってしっかり握っていた。

 レティシアは、その手を無意識に握り返しながらも、目だけはマリオンから離せずにいた。彼の整った口元が、あの言葉をきっと言う。あの忌まわしい言葉を。

 レティシアはその言葉を聞き逃すまいとしていた。


「前に君は僕に尋ねた。『お母様とお兄様は、お元気でしょうか?今はどこでどのようにお過ごしでしょうか?』と」

 レティシアは、かすかにうなずいた。

「僕はその質問には答えなかったね。あの時はまだ適切な時期ではないと思ったから」

 レティシアは、彼の次の言葉を聞く前に身構えるように深く息を吸い、ゆっくりと瞬きをした。

「残念ながらレティシア、君の母君と兄君は、すでにお亡くなりになっている」

 いかにも彼らしく、言葉を飾らず、それ以上のことは何も口にしなかった。

 答えは予想していたとおりのものだった。

 予想はしていたが、いざそのときになったらきっと、世界が反転するだろうとか、何かとてつもないことが起きるだろうとぼんやりと思っていたのに、何も起こりはしなかった。

 静かに漂う彼の言葉だけが、ゆっくりとレティシアの中に染み入ってきた。

「母と兄は、いつ亡くなりましたでしょうか?」

 しばらくたってから、レティシアがようやくかすれた声を発した。

 マリオンが一瞬だけ目を伏せたが、また挑むように目を上げしっかりとレティシアを見つめた。

「兄君の方は、僕が知る限りでは、君が幽閉されてすぐ、だったようだ。夜中に発作を起こされて、そのまま身罷みまかられた、と聞いている」

「では、母は・・・・・。あのひとに殺されたのでしょうか?」

 彼の言葉を待てなくて、ついに自分のほうからその忌まわしい言葉を吐いてしまった。

 レティシアは唇を噛んだ。


 母を憎んでいたはずの現在の王太后。

 彼女は母が嫌いだと兄が言っていた。ならば、きっとあのひとが、自ら手を下したに違いない。

 マリオンは小さく息をついた。

「いや、母君様は、兄君の死にかなりの衝撃を受けられたようで、彼の死の知らせをお聞きになったときに、そのままお倒れになったそうだ」

「・・・・・・そう、ですか」

 レティシアは初めてそこで、マリオンから視線をはずした。彼がもし嘘をついているとしても、それは責めるまい。

「確かに王太后が、そのつもりでなかったとは、僕にも言えない。だが、今、そのことで嘘はつかない」

 まるでレティシアの心を読んだように、マリオンがそう口にした。

「だから、そのことで心を悩ませるのはやめたほうがいい」

 レティシアは、ほうっと長い安堵の息をついた。

 息をついて身体から力を抜くと、初めて悲しみが渦のように全身を押し包んだ。

 お母様。

 お兄様。

 もう、お会いすることはない。二度とあの優しいお声をかけていただくこともない。

 レティシアの頬をはらはらと涙が伝い落ちた。失ったものは、あまりにも大きい。胸にぽっかりとあいた穴は、二度とふさがることはないだろう。

 だが、思ったよりも衝撃が大きくないのは、頼れる人たちがいるからだとフェリシアに握られた手の温かみが教えてくれた。二人と会わないまま、この話を別の誰かから聞いたとしたら、自分はどうなってしまっていたのかわからない。

 自分は幸運なのだ。悲しいときに手を取って慰めてくれる人が、世の中全ての人にいるわけではない。今ここに不安はない。ただ純粋に肉親を失った悲しみに浸っていていいのだ。

 誰も何も言わなかった。静かに悲嘆の時間だけが流れていく。

 レティシアは、しばらく悲しみに身を任せた。

 長い時間がたった。見守っている二人も身じろぎもしない。

「教えてくださって、ありがとうございます。感謝いたします」

 心を落ち着けてやっと口を開いたレティシアに、マリオンは静かにうなずいた。

「実はもうひとつ、僕から話があるんだ」

 レティシアは、新たな恐れに身体を震わせた。

 もしかして彼らをも失うことになるのだろうか?

「大丈夫よ」

 気づいたフェリシアが耳元で柔らかく囁いてくれて、レティシアはやっと震えを押さえることができた。


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