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金色の鳥と薔薇の香り

 それから三日の間、レティシアは浮かれてわくわくした気分と、もしかしたら全部がだめになってしまうかもしれない、という不安な気持ちの間をいったりきたりして過ごした。

「お外に出たら、お花が咲いているかしら? 金色の鳥さんのお友達ってどんな鳥さんなの? 『しっこく』っていったいどんな色合いなのかしら? 優しい鳥さんだといいなぁ」

「期待しすぎてはいけないのよ。夢かもしれないんだもん。目が覚めたら全部が夢で、今までと一緒かもしれないんだから」

「それに、鳥さんは来られなくなるかもしれないのよ。またあの矢を射るようなひどい人に狙われたら、ここへ来るどころじゃないんだもの」

 それを思うと、レティシアの胸はつぶれそうに痛んだ。

 もしも、金色の鳥を殺そうと考えている人たちがまだ近くにいるとしたら、彼がいくら魔法が使えたとしても今度は逃げ切れないかもしれない。自分のところへ来ることによって、矢で射られるようなことになったらどうしよう。

 考えたあげく、毎晩、眠る前のお祈りでレティシアは、神様にお願いすることを一つ増やした。

「お母様、お兄様がお元気でいらっしゃいますように。そして、いつかまたみんなで一緒に暮らせますように。もう二度と戦が起こりませんように。それから、金色の鳥さんがご無事でありますように」


 その日から三日の間、朝から強い風が吹いた。

 高い塔の上はことさら風が強い。窓の外へ顔を出してみると、熱をもった強い風が吹きすさんでいる。

 だが、あまり嫌な感じがしないのは、その風が温かいからだろうか。

「金色の鳥さんが言ったとおりだわ。暖かくなってきたみたい」

 風が運んできた春の気配は、ここへきて急に日一日と濃くなってきている。

 昼間の日差しはまるで初夏のように強くなり、日向にしばらく佇んでいるとじんわりと汗がにじみ出てきそうだった。

 約束の三日目の晩、風は唐突にやんだ。

 風がやんでしまうと、夜の大気もすっかり温もっていて、いかにも春半ばといった風情だった。

 今日は端が少し欠け始めた月も出ていて、光が蒼く塔の部屋を照らした。

「いい気持ち」

 レティシアは窓を開け放ち、空を眺めた。

 肩にはチップが乗っていて頬の側でくすぐるようにふわふわと揺れている。

「ね、チップ。お約束の日は今日よね? いついらっしゃるのかしら」

 待つ時間は長い。

 いつもより時間の過ぎるのが遅く感じられる。

 だが、やがてレティシアが見上げている月の中にふたつの影が浮かび上がった。

「あれかしら?!」

 レティシアが下にいる衛兵たちに聞かれない程度に小さく、だが興奮した声をあげた。

 金色の大きな翼を広げ滑空してくるなり、その巨大な鳥はいつもの人間の姿になって音も立てず優雅に塔の露台に降り立つと、彼の動きにつれてきらきらとしたかすかな光跡が、露台に降り注いだ。

「お待たせいたしました」

 彼は軽く一礼すると、振り返って空を仰ぎ、つと手を差し伸べた。

 レティシアも口をぽかんと開けたまま、彼の視線を追った。

 つやつやとした黒い翼を静かに折りたたみ、黒い鳥は人の形に変化を遂げていた。

 まるでたった今、月光から生まれた真珠のように白い肌の若い女性が、青年に手を借りて軽やかに露台に降り立つ。


 その身にまとっているのは、肌と対照的な夜のように深い黒の柔らかなシフォンが幾重にも重なったドレスで、結い上げられた髪も大きな瞳も艶やかで黒かった。

「はじめまして、レティシア姫」

 一礼をする黒い鳥の赤い唇から流れ出る優しく柔らかなアルトの声にレティシアは、うっとりと聞きほれた。

「なんて・・・・・・なんて綺麗な鳥さんでしょう」

 それから自分の無礼に気がつき、レティシアは慌ててお辞儀を返した。

「失礼いたしました。わたしはレティシアと申します」

「噂どおり、姫様はとても可愛らしい方ね。お会いできて嬉しいわ」

 相手の顔を覗き込むように少しかがみこみながらにっこりと黒い鳥が笑い、レティシアもほんのりと頬を染めた。黒い鳥が身を起こすと、その動きにつれて薔薇のまろやかな香りがほんのりとあたりに漂った。

「この香り・・・・・・」

 甘く、だが、甘ったるくはない、朝の光の中で輝く早咲きの薔薇のようなさわやかな香り。レティシアの母もこのような香りを好んでつけていた。抱きしめて頬ずりをすると、母から離れてもずっとその香りが纏わりついていて嬉しかったものだ。大好きだった。

「あら? レティシア姫?」

 黒い鳥が気がつくと、レティシアの目に涙がいっぱいたまっていた。

「お母様! お、おかぁさま」

 まるで今までの我慢のたががすっかり外れてしまったかのように、レティシアは堪えきれずに両手で顔を覆うとしゃがみこんだ。

「レティシア姫? まぁ、どうなさったの」

 どうしましょう? と、いうふうに黒い鳥がおろおろと金色の鳥の青年のほうを振り向いた。

 黙って見ていた青年の唇が、『抱きしめて』と声を出さぬまま動いた。

 黒いドレスの女性は、小さくうなずき、その柔らかな白い腕で囲い込むようにしゃがんでいるレティシアの小さな身体を抱きしめた。

「いい子ね。つらかったわね。もう我慢しなくていいの。たくさん泣いていいのよ」

 耳元でささやく低く優しい声に、より一層、レティシアの泣き声が高くなっていった。


**..**..**..**..**..**..**..**..**


「あのままなの? どうして?」

 泣くだけ泣いて泣き疲れてやっと眠りに落ちたレティシアを、チップと一緒にベッドに寝かせ、二人は塔から自分たちの城へ戻ってきていた。

 もう夜というよりは朝に近い時刻だった。もちろん今日は、ピクニックには出かけずじまいだった。レティシアは、黒い鳥であるフェリシアの胸に抱かれて、長いこと泣き続けたのだったのだ。

「彼女があの国の後継者候補の一人である限り、僕はあの国から彼女を勝手に連れ出せない」

 苦い口調で金色の鳥であるマリオンが言うと、非難するというよりは驚いたような声でフェリシアが問うた。

「どうしてなの? わからないわ。あんな小さい子なのよ? そんなこと望んでいるはず、ないわ。後継者なんて誰でもいいじゃないの。やりたい人がやればいいのよ。血筋なんて関係ないわ」

 マリオンがフェリシアのほうを向いて、口の端をゆがめた。

「それでも、だ。国があって、そこが王国であり、長い歴史がある限り、その問題は避けられない。しかも、あの国は血筋を重んじる。彼女は今、王位継承権第ニ位(※)のはずだ。今の王が失脚すれば、彼女が女王にならざるを得ない」

(※第一位は王本人)

「それだってあの子がいなくなったら、なんとでもするでしょう。おんなじ血筋の親戚だって何人もいるはずよ。だいたい、すでに王様はいるんでしょう? 王位継承者としてのあの子はいらないはずよ。あの子の人権というものは、この世に存在しないの?」

 フェリシアが少し口を尖らせ強い口調で言い、マリオンは目を伏せた。

「あなたなら、そんなこと許すはずがないと思ってたわ。それなのに・・・・・・」


 マリオンが目を上げてフェリシアの瞳を覗き込んだ。

「あの子がいなくなったら」

 マリオンはそこでいったん言葉を切り、遠くを見るように少しだけ目を細めた。

「まず、あの場所を見回っていた衛兵が、みんな見せしめに殺されるかな。それからあの侍女と、彼女を送り込んでいる女官頭が罰せられる。あとは誰かな? その上に立っている者も罰せられるかもしれないね」

 マリオンの静かな声にフェリシアは息を呑み、頬に手を当てた。

「あぁ、私ったらそんなこと、考えてなかったわ」

「まぁ、あくまでも僕の想像だけどね」

 マリオンはフェリシアから目をそらすと、まだ闇の残る窓の外に視線を移した。

「あのね、フェリシア、最初に僕があの子に会ったとき、彼女は枕もとから短剣を持ってきたんだ。どうしてだかわかる?」

「・・・・・・自分の身を、守ろうとしたのではないの?」

 首をかしげたフェリシアが、マリオンの横顔を見つめながら自信なさそうに答えた。

「うん、たぶんそうだろうね。君もそうするかい?」

「・・・・・・どうかしら。そうね、手近に短剣があったらそうするかもしれないけど。・・・・・・わからないわ」

 フェリシアが不安げにその美しい黒い瞳を揺らした。

「そうだね。君は町の娘だもの。枕もとに短剣を置いて寝るなんて普通はしないよね。だから、そんなこときっと思いつかないだろう」

「そうね。せいぜいお台所へ行って、麺棒とか、そう包丁でも持ち出すかしら。でも、あの子くらいの歳だったら、それもしないかもしれないわ」

 考え込むように頬に手をあててフェリシアが答え、マリオンが薄く微笑を浮かべた。


「それにね、あの子は囚われの身なんだよ。なぜあそこに短剣があるんだろうか」

 あら? と声をあげ、フェリシアが瞬きをした。

「あれは自決用だと僕は思ってる」

「えっ!?」

 フェリシアが思わずマリオンの腕に手をかけ、彼の顔を覗き込んだ。

「自決って? 自分を殺すということなの? どうして?」

「穏便にことを済ませたい人間がいるんだろう」

「穏便? どこが? あの子は死んだりしないわ。王族でもまだ子供なのよ? 自分でそんなこと、するはずがないじゃないの」

「侍女が刺してもいいんだよ。あの子がやったと言い張ればいいんだ。最初からそういう風に言い含められているかもしれない。みんな納得するさ。あんなところに閉じ込められていて、無愛想な侍女しかいない生活なんだ。死にたくなってもしかたがないでしょう、とね」

 さらりと冷たい口調で言い放つマリオンに、フェリシアは強く彼の腕をつかみ、今にも涙がこぼれて落ちそうな潤んだ瞳を向けた。

「ひどい・・・・・・。ひどいわ」

 マリオンは悲しげに微笑んで、窓の外からフェリシアに視線を戻すと、彼女の頬を優しくなでた。


「ごめんよ。でも今、僕が言ったことが本当かどうかは別として、そういう世界にあの子は生きてる。何かあったら、迷わずに枕元から短剣を持ってくるような、そういう子供なんだ。彼女は王族として生まれ、そういう風に育てられてきたんだ。僕たちが勝手にそこから引き剥がすわけにはいかないじゃないか」

「お母さんが恋しいだけのただの女の子なのに・・・・・・」

 ついに堪えきれなくなったフェリシアが、マリオンの胸にすがって静かに泣き始めた。

「ねえ、マリオン。あなたさっきおかしなことを言ったわ」

 ひとしきり泣くだけ泣いてすっかり赤くなった目で、フェリシアがマリオンを見上げた。

「なんだい?」

 マリオンの声は冷静だが、そこにかすかに悲しみが混じっていることにフェリシアは気づいていた。

 ずっと冷たい口調だったが、彼が一番あの子のことを心配しているのは間違いない。

「あの子がどうして王位継承権第二位なの? 争っていた二人のほかに、彼女自身のお兄さんがもうひとりいるでしょう?」

「・・・・・・。そうだね」

 そう言うとマリオンは、ふいにフェリシアを抱き寄せ、彼女の髪に顔をうずめて声を低めた。

「・・・・・・いた、が正しいと思うよ」

「あぁ・・・・・・」

 その言葉の意味がわかって、フェリシアがうめいた。

「そうなの・・・・・・。そうだったのね。・・・・・・お母様も?」

 ほとんどわからないくらいかすかにマリオンの頭が肯定のしるしを刻み、新たな涙がフェリシアのなめらかな頬を滑り落ちた。

「・・・・・・わたしたちにできることは、ないの? あの子は救われないの?」

 マリオンがすっくと身体を起こし、フェリシアの瞳を覗き込んだ。彼の目は涙に濡れてはいなかったが、決意のしるしに煌いていた。

「約束するよ、フェリシア。僕はあの子を決して不幸にはしない」

 フェリシアは震える唇で、それでも小さく微笑んだ。

「ええ、私はあなたを信じてるわ」


 **..**..**..**..**..**..**..**..**


 泣いてしまった。泣いて泣いて泣いてしまった。

 目覚めてみると、いつもの部屋でいつものように眠っていた。

 自分が何処にいるのかがわかったとたん、昨日の事を思い出してレティシアは赤面した。恥ずかしさと共に、苦い後悔が胸の中にわきあがる。

 金色の鳥さんもあの綺麗な漆黒の鳥さんも、きっとすっかり呆れてしまっているわ。

 漆黒の鳥さんは、ずっと自分を抱いていてくれた。優しい声で慰めてくれて、柔らかな胸にずっと自分を抱きしめていてくれた。

 だが、どうしてもしゃくりあげるのがやまなかったのだ。やめたくてもやめられなかったのだ。

 金色の鳥も漆黒の鳥もどちらも泣き止め、とは言わなかった。

「いいのよ、ずっと泣いていても。今までの分も泣いていの」

 漆黒の鳥の優しい手がずっと背中を撫でていてくれて、それに甘えてしまった。

 ぐったりと泣き疲れた頃、金色の鳥が優しい声で歌を歌ってくれた。

 それはレティシアが聞いたことがないような子守り歌だったが、その歌に引き込まれるように眠くなってしまったのだ。

 お詫びとお礼を言わなくちゃ、と思っていたのに、眠りの誘惑にはどうしても勝てなかった。

「おやすみなさい。また明日」

 最後に金色の鳥が、レティシアの髪を撫でて耳元でそう囁きはしなかっただろうか?

 いや、そんな都合のよいことなど、考えるだけ罰当たりなことだ。

 レティシアはまた泣きそうになるのを、ぐっと堪えた。

 今、泣いても侍女に怪しまれ、うとまれるだけで何にもならない。

 どうせまた夜になったら、泣きたくなるに決まっている。

 自分が馬鹿なために失ってしまったものを哀しむことになるのだから。

 レティシアは枕元の鏡を覗き込んだ。赤く腫れているかと思った目は、まるでいつもと変わりがない。

 きっと魔法が使われているのだろう。小さく小さくため息をついて、レティシアは窓を開けにベッドから降りた。


  一日はのろのろと過ぎていく。こんなにも長いものだったろうか。レティシアはぼんやりと窓の外に広がる春の空を眺め、一日を過ごした。

 大好きな図鑑も今は手にとることすら苦痛だった。開こうと思わなくても何度も見ていたあの金色の鳥の頁が、きっと自然に開いてしまうだろうから。

 金色の鳥のあの綺麗な羽と優しい笑顔がふいに目の前に浮かんで、レティシアの胸の奥にちくりと痛みが走った。

 少し優しくしてもらったからって、あんなこと・・・・・・。

 赤ちゃんじゃないのよ、レティシア。レティシアは小さな拳を握り、ぐいっと目をこすった。夜になってももう誰もいない。誰も来ない。

 呪文のように口の中で唱えてみた。チップはまだベッドの下に潜んでいるだろうか?

「チップもいなくなっていたら・・・・・・」

 レティシアには、怖くて確かめることができなかった。


「今日は薔薇の香りがするわ」

 ふいにぽつりと侍女がつぶやき、レティシアはぎくりと背中をこわばらせた。きっと漆黒の鳥の残り香だろう。

「いい香りだこと。ここのところ風が強かったからかしらねぇ。どこかの薔薇園の香りでも運んできたのかしら」

 それももうおしまいよ。

 レティシアは力なく心の中でつぶやいた。

 あの綺麗な漆黒の鳥さんも、優しい金色の鳥さんももう来てなど下さらないことだろう。お二人とも、もうすっかりわたしに愛想をつかしてしまわれたわ。せっかくお友達まで一緒に来てくださったのに、ご挨拶もそこそこにあんなことをするなんて。

 泣き虫で意気地なしのわたしなんて、もう見捨てられてしまったわ。自分の心のうちの言葉に傷ついて、レティシアの首は深くうなだれた。

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