第73話 欲しいものは遠慮なく
家具屋の店主は、悠真が指差したソファを見てから、もう一度彼の顔を見た。
「こちらで、よろしいのですね」
「これがいい。座り心地が一番よかった」
深い青の布を張った大きなソファは、四人で座っても余裕がある。一度腰を下ろしたきり、リラは気持ちよさそうに目を細めていた。
「それと、揃いの椅子も二つ。客が来ることもあるから」
「かしこまりました!」
店主の声が急に明るくなる。値段を聞いたセリカが悠真へ顔を寄せた。
「迷いがないわね」
「どうせ買うなら、一番気に入ったものがいい。毎日使うんだし」
「私も、その方が嬉しい」
彼女は素直に笑い、布の感触を確かめた。
暖炉のそばへ置けば、この青は火の色にも合うだろう。セリカもその位置を想像したのか、居間の窓を隠さない高さでよかったと言った。
「この机なら、お料理がいっぱい並びます」
リラが大きな食卓を指差した。
「ガレスさんたちも呼べるな。これも買おう」
結衣は寝室用の柔らかな敷物を選んでいた。自分の部屋に置くのかと聞くと、悠真の部屋だと返ってくる。
「床に座ってお話しするとき、冷たくない方がいいから」
「俺の部屋へ来る準備ばかりしてないか」
「だって、たくさん行きたいもの」
悠真は笑って、彼女の選んだ敷物も一緒に頼んだ。
店主が運搬の日を相談しようとしたので、その場で収納を開く。ソファも机も椅子も敷物も、順に消えていった。
店内が静まり返った。
「今の全部が、入るんですか」
「まだ余裕があるよ」
「運ぶ者を十人は集めようと思っていたのですが……」
驚く店主の隣で、リラが誇らしそうに胸を張った。
「悠真さんなら、屋敷じゅうの家具でも運べます!」
空いた店内を見渡したついでに、悠真は寝室用の椅子を一つ追加した。結衣の部屋の窓辺に置く、向かいの一脚だ。気づいた彼女が袖を引いて、小さく礼を言う。
次に向かったのは食器の店だった。棚には色の違う杯や皿が並び、結衣が目を輝かせる。
リラは持ち手の大きな黄色い杯を見つけ、すぐに両手で包んだ。セリカは赤い縁取りのある白い杯、結衣は淡い青の花が描かれたものを選ぶ。
「悠真くんは、どれ?」
「これかな」
悠真が手に取ったのは、深い緑色の大きな杯だった。持つと手に馴染み、底が厚くて安定している。
四つ並べると、形も色も少しずつ違った。その違いが、かえって四人らしい。
「毎朝、これで飲むんですね」
リラが嬉しそうに言う。
「そうだな。今日は帰ったら、まずこれを使おう」
「私、甘いお茶を淹れる」
結衣が請け合い、セリカはそれなら菓子も買っていこうと提案した。
店を出ると、通りの向こうから甘い匂いが流れてきた。焼き菓子の屋台があり、蜂蜜をかけた小さなパンが並んでいる。
悠真が四人分を買うと、リラは早速自分のものへかぶりつき、耳をぴんと立てた。
「美味しいです!」
「リラ、口元についてる」
悠真が指で蜂蜜を拭うと、彼女は少しだけ頬を染めた。それを見ていたセリカが、自分のパンを悠真へ差し出す。
「こっちは木の実入り。少し食べる?」
「ああ」
受け取ろうと手を伸ばしても、セリカはパンを離さない。そのまま彼女の手から一口かじると、セリカの耳まで赤くなった。
結衣は自分の菓子を半分だけ食べ、残りを包んでもらった。
「帰ってお茶を飲む時にも欲しいな。この味、覚えておこう」
蜂蜜は温めると塗りやすいと店の女性に教わり、悠真は小さな壺も買った。結衣は、家で試す時に一緒にいてほしいらしい。
午後は、浴室を直す職人に会った。
古い屋敷の浴槽には、裏の釜から管が通っている。ただ、釜の湯を温める魔石が小さく、一度に沸くのは桶三杯ほどだという。大きな浴槽を満たすには、半日かけて沸かし直さなければならないらしい。
悠真が屋敷へ連れて帰って釜を見せると、職人は魔石を外して光に透かし、すぐに首を振った。
「管はまだ使えます。ですが、この石では浴槽に追いつきません。見合う大きさの石となると王都から取り寄せで、半年は待ちますな」
「半年か。毎日入りたいんだけどな」
悠真は魔石の文字を読んだ。水を温める。量は、釜の底にたまる分まで。古くて弱ったのではなく、最初から小さな釜に合わせた石だったらしい。
量の決まりを、浴槽一杯分へ書き換える。ついでに温める速さも上げると、石の色が少し明るくなった。
試してみてくれと渡した石を、職人は半信半疑で釜へ戻した。やがて蓋が湯気で鳴り始めた。
「……さっきまで、桶三杯で息切れしていた石が」
職人は釜と浴槽を交互に見つめ、それから勢いよく頷いた。
「管の継ぎ目を締め直せば、栓一つで浴槽まで届きます。取り寄せの話は、忘れてください」
文字を少し直しただけで、半年待ちが消えた。悠真は胸を張りかけ、職人の前なので顎を引いた。セリカが隣で笑っている。
「あなた、戦い以外でも頼りになるのね」
「楽をしたいだけだよ。せっかく広い風呂があるんだし、毎日使いたい」
「私も賛成」
職人が作業を始める間、悠真は台所にも釜の湯を引けないか相談した。湯が余るなら、管を一本足すだけで済むという。鍋の湯を沸かす手間が減ると分かり、ニナまで目を輝かせる。
「それなら、料理の準備もずっと早くなります」
「じゃあ、その分ゆっくりしてくれればいい。美味しい飯も楽しみにしてる」
ニナは笑って頷いた。
作業の音を聞きながら、四人で買ってきた花の苗を庭へ運んだ。リラが門からよく見える場所を選び、セリカが土を柔らかくしたところへ、結衣が青い花を赤い花の隣へ置く。
「ここなら、一緒に咲くね」
「ええ。色が違う方が綺麗だわ」
膝をついて苗の根へ土を寄せていると、隣へ座ったリラが彼の指についた土を見て笑った。
「悠真さん、頬にも少し」
「え、どこ?」
彼女の指が頬に触れたかと思うと、横からセリカの布と結衣の水まで差し出された。世話を焼かれながら見下ろす花壇には、まだ小さな苗が並んでいるだけだ。魔法を使えば、もっと早く整えられる。でも、それじゃもったいない。
「咲いたら、ここで絵を描いてもらおうか。四人で並んだやつ」
一斉に顔を上げた恋人たちの間で、誰が悠真の隣へ座るかという楽しそうな相談がまた始まった。
居間へ戻り、収納していた家具を出す。大きなソファが置かれた途端、部屋の印象ががらりと変わった。リラが真っ先に腰を下ろし、両手を広げる。
「悠真さん、こっちです!」
呼ばれたので隣へ座ると、セリカと結衣もすぐに加わった。余裕のあるソファなのに、皆が近くへ寄ってくる。
店で試した時より、座り心地がいい。皆はどうかと聞くより早く、リラが答えた。
「最高です。でも、悠真さんの膝は別です」
笑って膝の上を空けてやったところへ、リラがさっそく収まった。昨日と同じ形なのに、ソファが違うだけで妙に落ち着く。
少しして、結衣が約束の茶を淹れてくれた。買ってきた四つの杯に、同じ色の茶が満ちていく。
包んで持ち帰った菓子には、温めた蜂蜜が少しかけてある。悠真が味を確かめるのを待って、結衣は次に焼くパンにも使おうと言った。
「明日は、私と出かけませんか」
リラが悠真の胸元から顔を上げた。
「二人で?」
「はい。お家のものも嬉しいですけど、悠真さんを一日、独り占めしたいです」
真っ直ぐな言葉だった。悠真は彼女の頭を撫で、喜んで頷いた。
「いいよ。どこへ行きたい?」
「広場へ行きたいです。ほかにも少し考えているので、明日のお楽しみにしてください」
セリカと結衣が目を合わせた。すぐに、次の日とその次の日も予定が埋まる。
「私も二人で出かけたいわ」
「私の時間も、忘れないでね」
「それぞれ二人で行こう。明日はリラ、次はセリカ、その次は結衣だな」
鍛冶市の開く日を指で数えたセリカが、ちょうど合うと喜ぶ。結衣の行きたい先は花園だ。どちらにも頷いて、悠真は三日分の予定を空けた。
浴室から職人の完成を知らせる声が届いた。栓を開けると、湯が管を通って勢いよく流れ込む。セリカが歓声を上げ、リラが湯気を見て耳を動かした。
職人と一緒に栓を閉めると、湯はぴたりと止まった。浴槽の縁へ手を置けば、ちょうどよい温かさになっている。
「これなら、皆さんが帰ってすぐ入れますね」
ニナが言うと、職人が頷いた。
「ええ。温める魔石を先に動かしておけば」
悠真は代金を払い、明日は夕方に湯を用意してほしいとニナへ頼んだ。浴室を出たところで、リラが小さく耳打ちしてくる。
「明日、お外でいっぱい遊んでも平気ですね」
「何をするつもりなんだ?」
「まだ、内緒です」
先に居間へ戻ったリラは、通りかかったニナを捕まえて何か尋ねている。悠真が入っていくなり、二人揃って口を閉じた。
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