第71話 この屋敷を買おう
悠真は白い石造りの屋敷を見上げ、思わず笑った。
大きい。話を聞いて思い描いていた家より、まだ一回り上だ。門から玄関まで手入れされた道が続き、その左右に芝生の庭が広がっている。二階の窓はどれも広く、朝の光をたっぷり受けていた。
ここを、自分の家にできる。
早く中を見て回りたい。
「どうだ。悪くねえだろ」
ガレスが隣で腕を組む。
「かなりいい。もう気に入った」
「中を見てから決めろよ」
「見たら、もっと欲しくなると思う」
悠真が答えると、先輩は豪快に笑った。
門をくぐった途端、リラの目は庭へ吸い寄せられた。犬耳が忙しく動いて、今にも駆け出しそうだ。
セリカの方は建物と庭の距離を確かめて、ここなら剣の稽古をしても窓を割らずに済みそうだと喜んでいる。
腕を抱かれて横を見ると、結衣は玄関をじっと見つめていた。
「ここから、二人で出かけるのね」
「四人で、の日も多いぞ」
「二人の日も作ってくれるでしょう?」
「もちろん」
そのまま二人で玄関の段を上がると、待っていた案内役の白髪の老人が、どこから見るかと尋ねてきた。皆が集まる居間から、と悠真は答えた。
老人の開けた扉の向こうから、涼しい空気と木の香りが流れてくる。
玄関の先は広い居間になっている。大きな暖炉があり、庭へ面した窓から光が差していた。ソファを置いても、四人がゆったり座る机を置いても、まだ余裕がある。
「冬はここで火を焚けるわね」
セリカが暖炉へ近づいた。
「お酒を少し飲んで、のんびり話すのもよさそう」
「膝に乗ってもいいですか?」
リラの問いは悠真へ向いていた。
「いいよ。広いソファも買おう」
「では、一番ふかふかのものにしましょう!」
窓の前に立った悠真がソファの幅を両手で示すと、隣へ並んだリラが、四人で座るならもっと大きくてもいいと笑う。試しに居間の壁まで歩いてみても、まだ広く余っていた。
台所には大きなかまどと作業台があった。宿の厨房ほどではないが、四人分の料理には十分すぎる。食堂の窓からは庭の花壇が見え、天気のよい日には外で食べられそうだ。
「お肉を焼く場所も、庭に作れますね」
「また肉?」
セリカが笑うと、リラは真剣に頷く。
「大事です。美味しいお肉を食べると、強くなれますから」
「それなら、ガレスさんも呼ぼう。大きな塊を焼いて食べようぜ」
「俺は遠慮なく来るぞ。酒は持ってくる」
先輩が即答し、屋敷の中に明るい笑い声が響いた。
奥の浴室は、ガレスが言った通りの広さだった。石造りの浴槽に、大人が何人も入れる。湯を温める魔石の仕組みは古いらしいが、悠真ならどうにでもできる。
「これ、皆で入れますね」
リラが無邪気に言った。
一瞬だけ息を止めた悠真の顔を見て、隣のセリカがすぐに赤くなった。
「何を考えたのよ」
「正直に言っていい?」
「今は、いい!」
結衣だけは悠真の腕に抱きついたまま、浴槽を眺めている。
「私は、悠真くんと入るのも好きだけど」
ガレスが咳払いし、案内役の老人は聞こえないふりで窓を開ける。慌てて次の部屋へ進んだものの、悠真の顔はまだ緩んだままだった。
二階には寝室が並んでいた。どれも宿の部屋より広い。大きなベッドを置いても窮屈にならず、窓辺で本を読んだり、茶を飲んだりできる。
悠真は庭に面した一番広い部屋へ入り、窓を開けた。
風が心地よい。街の喧騒は遠く、鳥の声が聞こえる。ここで目を覚ましたら、きっと気分がいいだろう。
「悠真さんのお部屋はここですか?」
リラが顔を覗かせる。
「ああ、ここにしたい」
「右の部屋からも、お庭が見えました。あとで、そっちも見てください」
リラに誘われて廊下へ戻ると、反対側の窓を開けたセリカが、日が入る時間を案内役へ尋ねていた。その奥では、結衣が悠真の部屋の向かいを覗いている。
「私の部屋から、悠真くんの扉が見えるんだね」
「誰がどこを使うかは、買うと決めてからな」
「うん。でも、先に見ておきたいの」
悠真も、窓からの眺めをもう一度確かめた。宿では空いている部屋に泊まるしかなかったが、ここなら朝日の入る方も庭の見える方も、皆で相談して決められる。
客を大勢泊めるなら一階の部屋がいいと、案内役が勧めてくれる。それなら二階の四室は自分たちで使って、客は一階へ通せばいい。
「俺たちが眠る方は、あまり人を入れたくない」
結衣が横から頷く。一階にもベッドが置けると聞いたガレスは、飲み過ぎた夜に助かると笑った。
屋敷の裏には、表よりさらに広い庭があった。その隅で悠真が見つけたのは、古い訓練用の柱だった。
「少しだけ、動いてみるか」
「いいんですか?」
「音がどれくらい響くか、確かめたい」
リラは待っていましたと言わんばかりに大剣を抜いた。セリカも紅蓮剣を構え、結衣は危なくないように周囲へ結界を張る。
悠真は雷鳴の剣を抜かず、身体強化だけで二人を迎えた。リラの打ち込みを受け止めてセリカの剣をかわしても、二人は笑いながら本気で追ってくる。おかげで、こっちの腕にも自然と力が入った。
リラの大剣がかすめた稽古用の柱が、ぐらりと傾いた。とっさに伸ばした悠真の片手がそれを支え、見ていた案内役の老人が息を呑む。
「今、片手で……」
「古くなってたみたいですね。新しいのに替えます」
「いや、あれは石の土台ごと埋まっておりまして」
ガレスが老人の肩を叩く。
「細かく驚いてたら、日が暮れるぞ」
悠真は柱を元へ戻し、庭を見回した。ここなら皆の訓練も、楽しい食事もできる。何より、帰るたびにこの場所が自分たちを迎えてくれる。
「決めた。ここを買います」
声に出すと、胸の奥がすっと晴れた。
歓声を上げたリラの隣で、結衣が悠真の手を両手で包んだ。
「私たちの家になるのね」
「ああ。好きなものを置いて、好きなように暮らそう」
結衣の瞳に少しだけ涙が浮かんでいるのに気づいて、悠真はその頭へ手を置いた。彼女は目を閉じ、温もりを確かめるように寄り添ってくる。
セリカが悠真を庭の端へ引いた。リラと結衣が花壇の話をしている間に、少しだけ二人で話したいらしい。
「こんな家に住む日が来るなんて、考えたこともなかったわ」
「気に入った?」
「ええ。すごく。……でも、一番嬉しいのは、あなたが当たり前みたいに私も一緒だって思ってくれたこと」
彼女の手を握ると、綺麗な指に剣を扱う者の硬さが少しある。どっちも好きだ。
「一緒にいてほしいから買うんだよ。セリカにも、ここで笑っててほしい」
「なら、飽きるまで見せてあげる」
「飽きないと思う」
笑ったセリカに短く頬へ口づけられ、悠真は不意を打たれて頬を押さえた。得意そうな顔をされると、今度は自分から仕返ししたくなる。
購入の話は案内役と短く済ませた。金は十分にあるし、値切って時間を使うより早く皆と暮らしを始めたい。
話がまとまったのを確かめたガレスが、屋敷の世話をする人も紹介できると言い出した。
「ニナって女だ。前の主人のところで働いてたから、家のこともよく知ってる。お前ら、全員で迷宮へ行く日もあるだろ」
「助かる。お願いできますか」
「明日、顔を出すように言っとく」
礼を言ってもう一度居間へ戻ると、家具の少ない部屋が先ほどより温かく見えた。
窓のそばでは、リラが外の庭へ手を振っている。
「ここに、お花を植えたいです。悠真さんが帰ってきたとき、すぐに見えるところに」
「じゃあ、皆で選びに行こう」
「私、赤い花がいいわ」
「青い花も欲しいな。首飾りと同じ色の」
三人の声が重なる。悠真はその輪へ入り、空の居間を見渡した。
案内役から渡された鍵は二つ、門と玄関の分だ。玄関の扉は閉める時に少し持ち上げるといいと言われ、悠真は早速試してみた。
重い扉が閉まる。もう一度開くと、居間から三人が顔を出した。
「ただいま、でいいかな」
悠真が言うと、リラが真っ先におかえりなさいと返した。セリカと結衣も笑って迎えてくれる。
腰へ掛けた鍵が、小さく音を立てた。宿の部屋の鍵より、ずっと重い。
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