第6話 君の力はもう君を傷つけない
朝食の席で、リラは焼きたてのパンを両手に持っていた。
ひと口食べてから悠真を見る。そのたびに笑うので、悠真まで何となく笑ってしまう。朝から可愛い女性が隣にいる生活は、予想よりずっと気分がいい。
「今日は力を見せてもらいたい。戦わせるんじゃなくて、昨日話した俺の能力で」
悠真が言うと、リラはパンを置いた。
「はい。お願いします」
「嫌な感じがしたら、すぐ教えてくれ」
メルに尋ねると、宿の裏庭を使わせてもらえた。薪割り用の丸太と、使われていない荷車が置いてある。人が来ればすぐに分かる場所だ。
悠真はリラへ向き直った。
「俺のスキルは書記っていう。能力が文字で見えるんだ。それを写したり、書き換えたりできる」
「能力を、書き換える……?」
「昨日、俺自身には試した。力も強くできたし、使ったあとの疲れも減った」
リラの金色の目が、真剣に彼を見つめる。
「私の暴走も、変えられますか」
「そのつもりでやってみる」
悠真は手を差し出した。リラが迷わず重ねてくる。
狂戦士の文字を呼び出す。
身体能力を大幅に上昇。その先に、理性の喪失と激しい衰弱が続いている。
この二つが彼女を苦しめていた。悠真は文字へ指を伸ばし、余計な部分を消した。
光が強くなり、リラが息をのむ。
「痛いか?」
「いえ。温かいです。手から、胸の方へ……」
悠真は続きを書いた。自分の意思で力を扱うこと。使い終えても体を傷めないこと。できると感じるまま、指先を滑らせる。
最後に、狂戦士の名前が揺れた。
暴走する者を示す名は、もう彼女に似合わない。悠真が文字へ触れると、新しい二文字がくっきり浮かんだ。
『闘神』
胸の奥を抜けるような感覚があった。自分の中で書き直した能力が、重ねた手を伝ってリラへ収まる。
『付与』
書記の文字にも、ひとつ新しい項目が増えていた。
他人へ渡せる。自分の書いた力を、そのまま彼女に持たせられる。
ついでに自分にも、と闘神の文字へ指を伸ばした。だが文字はリラの体に刻まれたように動かない。職の名を持つ力は、持ち主だけのものらしい。少し惜しかった。
悠真は手を離し、リラの顔を見た。
「終わった。今、どんな感じ?」
リラは胸元へ手を当てた。
「静かです。いつも、奥に何かがうずくまってるみたいだったのに……今は、私の手足と同じ感じがします」
「使ってみよう。危ないと思ったら俺が止める」
彼女が丸太の前へ立った。少しだけ呼吸が速い。怖かった記憶が消えるわけではないのだろう。
悠真は近くで見守った。今の自分なら、彼女の力が予想以上でも支えられる。その自信を声へ乗せる。
「大丈夫。俺が見てる」
リラが頷いた。
空気が震えた。
彼女の体を淡い金色の光が包み、髪と尾がふわりと浮く。けれど、金色の目はまっすぐ悠真を捉えていた。
「ご主人様の声、ちゃんと聞こえます」
「じゃあ、丸太を」
リラが拳を振った。
太い丸太が真ん中から砕けた。木片が庭の奥へ飛び、土の上へばらばらと落ちる。
悠真は思わず声を上げた。
「すごいな!」
リラは拳を見ていた。以前の力と比べているのだろう。やがて、薪の山から別の丸太を一本選んだ。
今度は端をつかみ、力を加えた。硬い木が粘土のようにへこむ。リラは途中で止め、そっと置き直した。
「止められる……」
自分に確かめるような声だった。
彼女はさらに力を弱め、落ちた小さな木片を拾った。それを壊さず指の上へ載せ、悠真へ見せる。
「ほら。こんなに小さいのに、ちゃんと持てます」
悠真が掌を出すと、リラは木片をそこへ載せた。指が触れても、彼女はもう手を引かなかった。
「力を消してみて」
金色の光が薄れた。
リラはその場に立ったまま、自分の腕や脚を確かめた。歩き、軽く跳び、悠真の方へ戻ってくる。
「痛くないです。足も動きます。眠くも、苦しくも……」
声が震えた。
悠真が何か言おうとするより早く、リラが胸へ飛び込んできた。
「ありがとうございます!」
柔らかな体が腕の中へ収まる。温かい頬が胸に触れ、犬耳が顎の下をくすぐった。
悠真は一瞬固まったが、すぐに背へ手を回した。
「よかったな、リラ」
「はい。もう、怖くありません。あなたのそばで戦えます」
腕の力が少し強まる。けれど、痛くはない。リラ自身がちゃんと抑えている。
彼女の髪へ頬を寄せると、リラは少し顔を上げた。目が合ったまま、どちらも先に離れようとしなかった。
裏口からメルが顔を出し、砕けた丸太を見て立ち止まった。
「おやまあ。何があったんだい」
「練習で壊してしまって。弁償します」
「薪にする予定だったから、細かくなって助かったよ。それより朝から仲がいいねえ」
リラが顔を赤くした。それでも悠真からすぐ離れようとはしない。
悠真は笑い、彼女の肩を軽く叩いた。
「もう少し試そうか。これだけ動けるなら、武器もちゃんと選びたい」
「大きな剣が好きです。前に持ったとき、すごく手になじんで」
「なら、買いに行こう。俺も見てみたい」
出かける前に、メルが庭へ大きな水桶を運んできた。リラがすぐに手を伸ばす。
「私が持ちます」
「満杯だよ。腰を傷めないようにね」
水桶はリラの腰ほどもある。彼女は両手で軽く持ち上げ、メルに教わった場所へ運んだ。水面はほとんど揺れていない。悠真が見ている前で、彼女は静かに桶を下ろした。
「ありがとう、助かるよ。細いのに力持ちなんだねえ」
メルに肩を叩かれ、リラは嬉しそうに悠真を振り返った。
「できました。普通の仕事も、できるんですね」
「何でもできるさ。その力なら」
悠真は木片を拾って片づける彼女を手伝った。メルが濡らした布を二人へ渡してくれたので、手についた木の屑を拭き、出かける支度をする。
片づけが終わると、リラは自分から彼の手を取った。
「早く剣も見たいです。私、今はやりたいことがたくさんあります」
悠真はその手を握り返し、二人で宿を出た。
大通りの武器店へ入ると、リラはすぐに壁際の大剣を見つけた。
主人はその視線を追い、首を振る。
「重すぎて買い手がつかねえんだ。こっちの片手剣にしとけ」
「持ってみてもいいですか」
「手を離すなよ。床を割られちゃ困る」
リラが片手で持ち上げると、主人の口が開いた。刃の幅は悠真の手より広く、柄も普通の剣の倍はある。それを彼女は軽く支え、握る位置を少しずつ変えていた。
「これがいいです」
「店の裏で振ってみてからにしよう」
悠真が頼むと、主人は試し斬り用の束ねた藁を出した。リラの一撃で藁が真ん中から断たれ、刃は下の台へ届く前に止まる。
「重い方が、振り抜く場所を決めやすいです」
リラの言葉に、主人は大剣と細い腕を交互に見た。
「そういうもんかね……。その剣で、そんなことを言う客は初めてだ」
「彼女に似合ってる。これをください」
悠真が代金を渡すと、主人は背負うためのベルトも調整してくれた。リラは留め具を確かめてから、悠真の前へ立つ。
「どうですか」
「格好いいよ。隣で振るうところを、早く見たい」
彼女は照れた顔で頷き、大剣を背負った。
人の少ない街外れへ移り、二人は走る練習をした。
リラは軽々と草地を駆け、倒れた木を飛び越えた。悠真が身体強化を使って追うと、振り向いた彼女の目が丸くなる。
「速いです!」
「まだ上げられる」
悠真は笑って地面を蹴った。リラを追い越し、小高い丘の上へ駆け上がる。風が顔に当たる気持ちよさに、声を出したくなった。
強くなった自分の体を使うのは楽しい。
リラもすぐ追いつき、隣へ並んだ。彼女の息は少し弾んでいるが、苦しそうではなかった。
「ご主人様、私よりずっと強いんですね」
「たぶん。でも、二人ならもっといろいろできる」
「私、ちゃんと役に立ちます」
「期待してる。稼いで、うまいものも食おう」
丘からはリーデンの屋根が見えた。壁の向こうには森が広がり、その先に青みがかった山が続いている。
リラが肩越しに大剣を抜いた。走ってもベルトがずれず、刃もすぐに取り出せる。彼女は悠真へ向けて頷き、剣を背へ戻した。
隣の彼女が、突然耳を立てた。
「声がします」
悠真も耳を澄ましたが、風の音しか聞こえなかった。
「どっち?」
「南の街道です。馬が暴れて、人が叫んでる」
リラの表情が引き締まった。怖がって身を縮めていた昨日とは違う。
「案内してくれ。すぐ行こう」
リラが南の斜面へ走り出した。悠真も剣の柄へ手をかけ、その隣へ追いついた。
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