第5話 肉
金貨を渡すと、リラの足につながれていた鎖が外された。
立ち上がる彼女を、悠真はすぐ近くで見た。栗色の髪は少し乱れているが、白い頬に金色の目がよく映えている。彼女の方から一歩近づいてきたので、悠真は思わず背を伸ばした。
「それでは首輪へ手を。主人を認めさせます」
店主が示した輪に、悠真は眉を寄せた。
「外せますか」
「所有者なら解放できますが、逃げられますよ」
「外し方を教えてください」
店主が説明を始める。輪へ触れ、解放を命じればよいらしい。悠真は指をかけた。リラの喉が緊張で動くのが分かる。
「解放する」
短い音とともに、鉄の輪が開いた。
首元へ触れたリラは、しばらく指を動かせずにいた。やがて悠真を見上げる。
「私、もう……」
「自由だよ」
「でも、金貨を払ったばかりなのに」
「払ったから決められるんだろ。俺はこっちがいい」
悠真は外した輪を店主へ渡した。
店主は輪を受け取ると、リラを出口へ促した。彼女が歩き出しても、もう足音に鎖の音は混じらない。
悠真は出口で彼女を待った。
「飯を食いに行く約束は、どうする?」
「行きたいです!」
勢いのよい返事に、彼女自身が少し驚いた顔をした。悠真が笑うと、リラの尾がぱっと持ち上がる。
店を出た途端、彼女は夕方の空を見た。さっきまで狭い部屋で見ていた光が、今は通りいっぱいに広がっている。
悠真は歩きながら尋ねた。
「歩きにくくないか」
「大丈夫です。でも……」
リラは人の多い通りを見回した。足が止まりかけるので、悠真は手を差し出す。
「離れそうなら、つかまって」
細い手が、ためらいながら重なった。
女の子の指だ。思ったより温かい。
悠真は顔に出しすぎないようにしながら、その手を握った。リラが隣へ寄る。肩が触れる距離で歩くのは、学校にいた頃の自分には縁のないことだった。
通りの角に肉の串焼きを売る店があった。炭の上で脂が跳ね、香ばしい匂いが漂う。リラの耳がぴくりと動いた。
「ここで少し食べよう」
「宿のご飯は……」
「そっちも食う。俺も腹が減ってるし」
串を買って渡すと、リラは両手で大切そうに受け取った。熱い肉へ慎重に歯を立て、次の瞬間に目を見開く。
「おいしい……」
吐息のような声だった。
もう一口。今度は少し大きくかじる。尾が服の後ろで忙しく揺れ始めた。
悠真は自分の串を食べながら、その顔を眺めた。金を使った甲斐がある。こんなに喜んでもらえるなら、次はもっといい店へ連れていきたい。
「まだ食べられる?」
「はい。あ、でも、いただきすぎです」
「遠慮して冷める方がもったいないよ」
追加の串を頼むと、店主が笑いながら肉を大きめに切った。
「仲がいいな。兄ちゃん、しっかり食わせてやれ」
「そのつもりです」
リラが悠真の方を見て、頬を赤くした。悠真も悪い気はしない。もう一串を渡し、二人で道端の長椅子へ腰かけた。
リラは食べ終えた串を膝の上で揃え、通りへ目を向けた。
「ご主人様は、このあとどちらへ?」
「麦穂亭に泊まる。そこで、冒険者の仕事を探すつもりだ」
悠真は彼女へ向き直った。
「リラにも、一緒に来てほしい。知らない街を一人で歩くより、こうして話せる方が楽しいから」
リラは串を握る手を緩めた。何かを言いかけ、悠真の顔を見て、今度ははっきり口を開いた。
「ご主人様」
「ん?」
「私を、あなたの仲間にしてください」
悠真はリラを見た。彼女は今度は目を逸らさない。
「自由にしてくださったから、自分で決めたいです。私は、あなたと行きたい」
悠真は笑って、リラのすぐ隣へ座り直した。
「俺もリラと一緒にいたい。よろしく」
リラの尾が大きく揺れた。
「はい。荷物も持ちますし、ご飯も作れます。戦う力も、ちゃんと使えたら……」
「それは明日、落ち着いて見せてもらおう。今日は飯と服と宿だ」
彼女の服は薄く、肘の部分が擦り切れていた。手を引いて衣服の店へ入ると、リラは商品の値札を見ただけで身を縮める。
悠真は店員へ、動きやすいものを頼んだ。
勧められたのは、白い上着に深い緑の短い外衣、しっかりした布のズボンだった。尾を出す部分も最初から作られている。
「冒険者なら靴も大事ですよ」
店員が革の靴を持ってくる。リラはためらいながら試し、床を軽く踏んだ。
「痛くないです」
「じゃあ、それにしよう」
「ご主人様、こんなに……」
「俺が一緒に歩く相手に、似合う服を着てほしいんだ」
悠真が答えると、リラは言いかけた言葉を飲み込んだ。
鏡の前へ立った彼女は、外衣の裾をそっとつまむ。整えた髪の間で耳が立ち、さっきまでより背筋が伸びている。
「似合ってる。可愛いよ」
正直な感想だった。
リラは鏡ではなく悠真を見た。頬がさらに赤くなり、口元には抑えきれない笑みが浮かんだ。
「大切にします」
「使って駄目になったら、また買おう」
そのくらい稼ぐ。悠真は自分の力を思い浮かべた。岩狼や火猪を倒せたのだから、冒険者の仕事ならきっとやれる。
麦穂亭は、大通りから少し入った場所にあった。
扉を開けると、香ばしい肉と焼きたてのパンの匂いがする。四十半ばほどの恰幅のよい女将が、空いた机へ二人を案内した。
「泊まりかい? 私はメル。夕飯もまだ出せるよ」
「お願いします。部屋は空いてますか」
「二人部屋なら一つある。ベッドも二つだ」
リラが悠真の袖をつかんだ。
「私は、同じ部屋がいいです」
悠真は一瞬だけ返事に詰まった。
メルが二人を見比べ、楽しそうに笑った。
「じゃあ決まりだね。まずは腹いっぱい食べな」
運ばれてきた料理は大皿の羊肉のパイとパン、野菜のスープだった。リラはもう遠慮しきれず、目を輝かせてスプーンを取る。
悠真も料理を口へ運んだ。生地の下の柔らかな肉に香草の香りがしみていて、思わずうまいと声が出た。
「ご主人様も、おいしそうに食べますね。私、もっと食べたくなりました」
リラが微笑んだ。
悠真は彼女の皿へ肉を一つ足した。リラは笑い、今度は皿の底の煮汁もパンにつけて味わった。
「明日は冒険者の仕事を探すつもりだ。強い魔物を倒して、もっと稼ぎたい」
悠真が言うと、リラはスプーンを置いて頷いた。
「私も行きます。ご主人様が強いのは見ましたけど、後ろから来る相手は私が見つけます。耳も鼻も、よく利くんです」
「それは助かる。いい組み合わせになりそうだな」
「はい!」
今度ははっきりした笑顔が返ってきた。悠真は二人で森を歩く姿を思い浮かべる。彼女が隣にいるだけで、知らない道へ進むことまで楽しみになった。
食後、メルに湯の用意を頼み、部屋へ上がった。洗って髪を梳いたリラは、店で会ったときとは見違えるほど明るい顔になっている。
悠真が椅子へ座ると、彼女は隣のベッドへ腰かけた。
「明日になったら、夢だったりしませんか」
「朝飯は出るって。夢なら俺も困る」
リラが小さく笑う。
「そうですね。朝のパンも、食べたいです」
笑った顔を見ながら、悠真は彼女の首元へ目を向けた。鉄の輪があったところに、赤い跡が残っている。
「痛かったら言ってくれ」
「もう大丈夫です」
リラは跡へ触れ、それから悠真の手へ自分の手を重ねた。
「今日は、ここへいてもいいって思えました。ありがとうございます」
悠真はその手を握り返した。
「明日もいていい。俺も、いてほしい」
彼女が顔を上げた。金色の目が近くて、悠真の胸がまた速くなる。
この子の力を直して、もっと笑わせたい。
書記の感覚を呼ぶと、彼女の胸元に文字がはっきり現れた。首輪がなくなった今は、邪魔する光もない。
『狂戦士』
『身体能力を大幅に上昇。戦闘継続により理性を喪失。終了後、激しい衰弱を伴う』
悠真の指先が熱くなった。
直したい場所は、きちんと文字になっている。
リラが不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。
「ご主人様?」
悠真は彼女を安心させるように笑った。
「明日、いいことができそうだ」
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