第59話 迷宮都市の一番いい夜
グランゼルの門は、近くで見ると見上げる首が疲れるほど高かった。
門の前には荷馬車が並び、重い武器を背負った冒険者たちが行き交っている。剣、槍、巨大な斧。リーデンでは目を引いたリラの大剣も、ここでは街の景色によく馴染んだ。
「強そうな人がたくさんいますね」
リラは怯えるどころか、楽しそうに耳を動かしている。悠真も同じ気分だった。ここなら、まだ見たことのない能力に出会える。すれ違う冒険者の文字を、片っ端から覗いてみたい。
商隊の責任者が門番へ事情を伝えると、四人は労いの言葉を受けて街へ通された。崖下で助けた人々とも、ここで別れる。
「肉料理の店、忘れないでくれよ」
「南通りだろ。必ず行く」
悠真が答えると、商人は笑って荷車を引いていった。
門を抜けた先には、広い石畳の道が続いている。夕方でも店は明るく、屋台からは肉や香辛料の匂いが漂った。
結衣は悠真の腕を離さず、人の流れを楽しげに眺めていた。リラの視線は屋台から屋台へ忙しく移り、セリカも武器店の看板に足を止めかけている。
「まず宿だな」
悠真が言うと、三人が頷く。道を尋ねた案内人には、安い宿ではなく風呂とベッドのいい所を教えてほしいと頼んだ。
「それなら銀枝亭だ。冒険者には少し贅沢だが、湯も食事も評判がいい」
「そこにしよう」
セリカが悠真の顔を見る。
「値段を聞く前に?」
「ここまで稼いだんだ。到着した日くらい、いい所で過ごしたい」
「到着した日だけで済むの?」
「気に入ったら、しばらく泊まる」
結衣が嬉しそうに笑った。
「私、そういう悠真くん好き」
銀枝亭は、小さな庭を囲む三階建ての宿だった。入口の床から清潔で、花の香りがする。案内された部屋には大きな窓と柔らかそうなベッドがあり、隣の部屋との間に小さな共用室まで付いていた。
「四人でこちらをお使いいただけます。浴室は時間ごとの貸し切りもできますよ」
宿の女将がそう説明すると、リラの目が輝いた。
「広いお風呂ですか?」
「足を伸ばしても余ります」
「悠真さん、ここがいいです!」
「俺も気に入った」
悠真がその場で部屋を決めると、結衣はさっそくベッドへ触れて、ふわりと沈む感触を確かめた。セリカも窓を開けて街の景色を眺めている。
「ここなら、帰ってくるのが楽しみになるわね」
窓から見える通りには、まだ知らない武器の看板がいくつも並んでいる。寝るだけで出ていくには惜しくて、悠真は女将にひとまず数日分の部屋を頼んだ。
風呂の前に夕食へ出ることにした。教えられた肉料理の店は、すでに客で賑わっている。四人で大皿を頼むと、卓上に載り切るか不安になる量の肉が運ばれてきた。
「これ、全部ですか?」
リラは嬉しそうに聞いた。
「骨の部分も大きいからな。余ったら持ち帰れる」
店主はそう言ったが、たぶん残らない。リラはもちろん、セリカも旅のあとで食欲がある。結衣もひと口食べるなり目を丸くした。
「柔らかい」
「旨いな。これは教えてもらってよかった」
悠真が肉を切り分けると、三人が順番に皿を出した。食べる相手の好みが少しずつ分かってきたので、リラへは厚い部分、セリカへは香ばしく焼けた端、結衣へは柔らかい中心を渡す。
「私たちのこと、ちゃんと見てるのね」
セリカが嬉しそうに言う。
「そりゃ、好きな相手だし」
今度は三人がそろって黙った。悠真が不思議に思って顔を上げると、リラの尾が椅子の下で揺れている。セリカは果実酒を飲んでから、あとで覚えておいてと言った。どういう意味かと聞く暇もなく、悠真の皿へ肉が一つ返ってくる。
隣の席から、迷宮の話が聞こえてきた。
雷鳴の迷宮でいい魔石が出る。深い層には古い宝物が眠っているが、雷を吐く獣が厄介で、盾を持っていても腕が痺れる。冒険者たちは酒を飲みながら、怖かったことまで楽しそうに話していた。
雷鳴の迷宮という名前が、悠真の耳に残った。雷を使う力はまだ持っていないし、どうせなら強い敵から手に入れてみたい。
「気になる?」
セリカが声を落として聞く。
「ああ。雷の魔物は面白そうだ」
「あなたの場合、面白いがそのまま強くなる理由なのね」
「せっかく書記があるんだから、色々使ってみたいだろ」
結衣が杖へ指を添える。
「私も行く。今なら、みんなを守れるから」
「私も、大剣を思い切り振れるところがいいです」
リラも頷く。三人とも乗り気なら、明日はギルドへ顔を出して話を聞こう。肉を頬張りながら、悠真はもう次の迷宮のことを考えていた。
食事が終わる頃、隣の席の大柄な冒険者が悠真へ声を掛けた。
「いい剣だな。あんたも迷宮へ来たのか」
「ああ。稼げるって聞いて」
「腕に自信があるなら、試してみるか」
男が机に肘をつく。腕相撲だ。リラが止めようと口を開きかけたが、悠真は笑って自分の肘を置いた。こういう場所で強さを見せるのは、正直嫌いじゃない。
手を組むと周囲の客がこちらを向き、男の仲間が掛け声を上げる。
悠真は相手の力を一度受けてから、そのまま腕を倒した。
机が軽く鳴った。自分の手を見つめた男の目が、そのまま悠真へ上がる。
「嘘だろ。あんたの腕、俺が押してもちっとも動かなかったぞ」
「もう一回やるか?」
「いや、分かった。強いな、あんた」
男が笑って手を振ると、周囲から拍手が起こった。止めようとしていたリラまで、誇らしげに胸を張っている。
勝者への一杯だと、店主が果実酒を四つ持ってくる。男も自分の杯を手に、悠真へ名を尋ねた。
「朝倉悠真。今日、この街へ来たばかりだ」
「覚えたぞ。どこへ潜るんだ?」
「雷鳴の迷宮が気になってる。まずギルドで聞くつもりだ」
男が仲間に悠真を紹介すると、白霧の迷宮を攻略してきたという話に店の奥の席からまで声が飛んだ。悠真は求められるまま立ち上がり、氷の主を倒した話を少しだけ聞かせた。
リラが冠の形を両手で示すと、近くの客が自分の頭と見比べた。最後の炎の話はセリカが引き取ったが、誰より身を乗り出して聞いていたのは、その戦いを知らない結衣だ。
店を出たあと宿へ戻る前に寄った夜の市場には、飾り紐や香油、磨かれた小石を売る店が並んでいた。結衣が見つめた髪飾りを買おうとすると、彼女は今朝、杖をもらったばかりだと言いかけた。
「欲しいなら、欲しいって言っていいんだぞ」
「……欲しい。悠真くんに着けてほしい」
悠真は白い小花の飾りを買い、結衣の髪へ留めた。黒髪に花が浮かぶと、彼女の顔がぱっと明るくなる。
リラにも耳の邪魔にならない飾り紐を、セリカには赤い石の留め具を選び、包みはひとまず預かっておく。羨ましそうに笑う店の娘には、つい胸を張ってしまった。
浴室は評判通り広かった。
先に入った三人の楽しそうな声は、共用室で魔石を整理している悠真のところまで届いてくる。やがて風呂上がりの彼女たちが戻ってくると、部屋の空気まで甘くなった。
湿った髪をまとめた結衣が、悠真の隣へ座る。
「すごく気持ちよかったよ。悠真くんも早く入って」
「そうする。三人は先に休んでてくれ」
「待ってます。今日は、ここでお話したいです」
リラが長椅子を叩いた。セリカは飲み物を頼んでおくと言い、悠真の背中を押す。
自分も湯へ浸かると、旅の埃と一緒に肩の力が抜けた。浴槽の縁へ腕を預けて足を伸ばしても、どこにもぶつからずに湯が肩まで届く。
窓の外から、遅くまで開いている酒場の笑い声が聞こえる。明日には、あの中に俺の名前も混じっているかもしれない。悠真は目を閉じ、もう少しだけ湯へ浸かることにした。
共用室へ戻ると、預かっていた包みを二人へ渡す。リラはすぐに飾り紐を耳元へ結び、セリカは赤い石の留め具を髪に差して、結衣と見せ合っている。
「明日、ギルドへ行くんですよね」
「ああ。いい依頼を見つけよう」
「悠真なら、また騒ぎになるわね」
セリカの言葉に結衣が頷く。
「騒がれてる悠真くん、私も見たい」
「なら、少し派手にやるか」
悠真が笑うと、三人も楽しそうに笑った。
窓の外では、迷宮都市の灯りが夜の中へ広がっている。この街で自分たちがどこまで行けるのか。確かめる時間は、たっぷりある。
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