第58話 白い天蓋の下で
崖下の岩場には、二台の馬車と十人ほどの旅人が取り残されていた。
道の端が崩れたらしい。落ちた高さは致命的なほどではなかったが、上がるには急すぎる。さらに頭上の斜面には、雨で緩んだ土が溜まっていた。
石が一つ転がるたびに、下の人々が肩をすくめる。悠真は近くにいる商人へ声を掛けた。
「縄はあるか」
「ある! だが、引き上げている間に上が崩れたら」
「その間は守る。三人とも、頼むぞ」
縄を受け取ったリラがすぐに丈夫な岩へ回し始め、セリカは道に残った馬車を離れた場所へ動かすよう指示する。結衣だけは白花の杖を握ったまま、崖の下を見つめていた。
「私が結界を張る」
「ああ。ただ、あの大岩まで受けるなら、もう少し強くしたほうがいい」
結衣の肩へ手を置いて、悠真は聖愛の文字を読んだ。その中の光の壁へ意識を向け、薄く広げるだけだった力を重ねて支え合うように組み直していく。
聖光結界。
白い光が幾層にも重なって悠真の指先から広がると、結衣の杖も同じ調子で輝き始めた。驚いた彼女が悠真を見上げる。
「張る前から、形が分かる」
「俺も使えるようにした。二人で一緒に広げよう」
「うん!」
崖下の商隊を覆うように、光の天蓋ができた。今までの丸い壁より厚く、縁には花のような模様が走っている。下にいた人々が顔を上げた。
「上から助ける! その光の中にいてくれ!」
悠真が叫ぶと、旅人たちが頷いた。その直後、斜面が大きく震える。
崩れ出した濁った土砂が、人の何倍もある岩を巻き込んで商隊へ落ちていく。叫び声が上がったが、逃げる場所はない。
悠真は結界へ力を通した。
轟音が谷に響く。
大岩は白い天蓋にぶつかり、その上を滑って谷底へ落ちた。土砂も外側へ流れ、旅人たちの髪一本にさえ届かない。悠真の腕には重みが掛かったが、結界はびくともしなかった。
これだけの岩を受け止めても、まだ余裕がある。新しい力が思い通りに働くこの手応えがあるから、やめられない。
「結衣、いけるな」
「うん。私も平気!」
彼女の声が弾んだ。杖を握る手も、もう震えていない。
リラが縄を下へ垂らすのに合わせ、悠真は結界の大半を結衣へ預けて風歩で崖を降りた。出っ張った岩を足場にすれば、旅人たちのいる場所まではすぐだ。
女の子を抱いた母親が、すがるように近づいてくる。
「この子を先に、お願いします」
「二人とも上げる。縄につかまって」
母娘の身体を障壁で支えてリラへ合図を送ると、上から縄が力強く引かれた。ゆっくり浮き上がる二人が崖にぶつからないよう、支えの障壁を少しずつ動かしていく。
「大丈夫です! こっちへどうぞ!」
リラの明るい声が聞こえる。母娘が無事に上へ届くと、次の者も落ち着いて縄を待てるようになった。
怪我をした男はセリカが受け取って安全な場所へ運び、結衣は結界を保ちながら届いた者へ小さな治癒の光を送る。白花の杖が助けているのか、彼女の呼吸は乱れない。
年配の男が縄を前にして座り込んだ。片手に古い革袋を抱え、上を見るたびに身体が強張っている。
「高いところは、どうしても……。若い者を先にしてくれ」
「もう順番は来てる。袋も一緒に運べるよ」
「娘に持っていく商売道具なんだ。失くしたら」
預かった袋を目の前で収納へ収めてみせ、手品でも見たような顔の男へ悠真は掌を差し出した。
「落ちそうになったら俺が支える。上にも、この人数をまとめて引ける仲間がいる」
「そんな娘さんが?」
「見た目は可愛いけど、頼れるんだ」
崖の上で聞いていたリラが、照れながらも大きく頷く。それでようやく縄を握った男は、悠真に支えられて浮く間も上だけを見ていた。やがてリラに抱き上げられ、道へ膝をつく。
悠真は上から聞こえた笑い混じりの礼に手を振った。袋の中身まで守れたなら、今夜その男も娘の顔を見て笑えるだろう。
革袋の男が、上からもう一度声をかけてきた。まだ下に、小さな箱が残っているという。
「赤い布を巻いたやつだ。針と小さな金槌が入ってる。重くはないが、あれだけは」
「見つけた。一緒に届ける」
悠真が持ち上げると、蓋が外れかけて中身がこぼれた。とっさに金槌を障壁で受け、土へ落ちる前に細い針も収納へ収める。上で男が大きく息を吐くのが聞こえた。
使い込まれて角の擦り減った箱は、壊れた留め具だけ押さえて男の荷と同じ場所へ収めた。
最後の御者を上げたあと、悠真は馬へ近づいた。驚いて暴れそうだったが、障壁でやさしく囲むと逃げられないと分かったらしい。落ち着いたところで、同じように上へ運ぶ。
「馬まで助けてくれるのか!」
上から商人の声が落ちてきた。
「ここへ残したら可哀想だろ。まだ荷物もある」
荷物は収納へ収めれば済む。車体まで丸ごと戻す必要はなく、使える部品と荷だけ拾った。売り物や使い慣れた道具が残れば、次の町でも商売を続けられるだろう。
悠真が地上へ戻ると、待っていたリラがすぐに抱きついた。
「おかえりなさい!」
「ただいま。よく引き上げたな」
「何人でもいけます。悠真さんのおかげで、力を使うのが好きになりました」
そう言われると、悪い気はしない。悠真は彼女を抱き返してから、結衣へ合図をした。
白い天蓋がほどける。残っていた小石がぱらぱらと落ちたが、もう下に人はいない。結衣は杖を胸へ寄せ、大きく息を吐いた。
「守れた」
「全部受け止めたな。よくやった」
悠真が肩を抱くと、結衣は遠慮なく体重を預けてきた。セリカも側へ来て、二人を眺める。
「手を重ねて練習した甲斐があったわね」
「今度はセリカさんも、悠真くんと練習すれば? 手を添えてもらうと分かりやすいよ」
「……分からないところがあったら、頼むわ」
こちらを見たセリカに悠真が頷くと、彼女は少し照れた顔で剣帯を直した。
助かった商人たちが集まり、四人を囲んだ。深く頭を下げる者もいれば、泣きながら礼を言う者もいる。悠真が子供の無事を確かめると、先ほどの女の子が小さな拳を上げた。
「お兄ちゃん、すごかった!」
「ああ。お姉ちゃんたちもすごいだろ」
「うん!」
三人へ向けて元気に頷かれ、リラの尾が大きく揺れた。母親の袖を引いて空に白い花ができたのだと何度も話す女の子に、結衣が杖の花を見せて同じ形だったかと尋ねる。
商隊の責任者は、礼として宝石の入った小袋を差し出した。悠真は中身を確かめ、素直に受け取る。
「ありがとう。助けた甲斐がある」
「命も荷も戻してもらったんだ。これでも足りないくらいだよ」
「じゃあ、グランゼルで旨い店を教えてくれ」
その頼みには、商人も笑った。街の南通りにある肉料理の店が一番だという。四人で行くなら大皿を頼めと勧められ、リラが早くも目を輝かせる。
道が崩れたままでは、商隊は先へ進めない。待つより、自分たちも早く街へ行きたい。悠真が崩れた部分を硬化と障壁で支え、セリカが邪魔な枝を焼き払うと、道は通れるようになった。
「こんなに簡単に道まで直すのか」
「崩れたところを支えて、上を平らにしただけですよ」
「その『だけ』が、できないんだよ」
商人の驚く顔を見ると、気分がいい。
夕方、山道を越えた先で景色が開けた。
遠くに巨大な城壁が見える。夕陽を受けた石の壁の内側に、幾つもの塔が並んでいた。その向こうには煙突の煙、さらに遠くには迷宮の入口を囲む高い建物がある。
「あれがグランゼルか」
悠真は思わず立ち上がった。リーデンよりずっと大きい。あれだけの塔の下に、まだ誰も見ていない宝が眠っているかもしれない。
「すごい街ですね」
リラが悠真の腕へつかまる。セリカも景色から目を離さず言った。
「あそこなら、強い相手に困ることはなさそう」
「じゃあ、どんどん稼げるな」
「家の鍵も、近くなったね」
結衣は城壁の内側に並ぶ屋根を見て、あの辺りなら窓から山が見えそうだと言った。悠真も同じ場所を探し、着いたら街を歩いてみようと答えた。
「まずはいい宿だ。風呂の大きいところを選ぼう」
リラが歓声を上げ、セリカが賛成する。結衣は悠真の手を取ったまま、白花の杖を肩へ寄せた。
城壁へ向かって進む馬車の上で、悠真は口の端が上がるのを止められなかった。宿を決めたら、南通りの肉料理だ。大皿を、四人で空にしてやる。
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