第56話 隣を歩く約束
夕食を終えて宿を出ると、結衣はすぐに悠真の腕を取った。
夕方に広場から見た川沿いの道には、低い灯りが点々と置かれている。広場を離れるにつれて夕涼みの人影は減り、水音が近づくと濡れた草の匂いがしてきた。
「手をつなぐだけでいいのかと思ってた」
悠真が言うと、結衣は腕を抱き直した。
「今日は二人だけだから、こっちがいい」
腕へ伝わる柔らかさに平静な顔を保とうとしたが、たぶん保てていない。教室で遠目に見ていたクラスのマドンナと、異世界の川辺をこうして歩いている。それだけで、足取りが軽くなる。
「嬉しそうだね、悠真くん」
「嬉しいからな」
「隠してくれないんだ」
「隠したら、結衣が不安になるだろ」
腕につかまったまま笑う彼女の頬は、灯りに照らされて昼より赤く見えた。
橋のたもとでは、夜だけ開く小さな屋台が果実を煮た温かい飲み物を売っていた。悠真が二つ頼むと、店の老婆はお似合いだと笑う。
「恋人同士かい。夜は少し冷えるから、くっついて歩くといい」
結衣は答えず、悠真を見た。
その目に期待があることくらい、今の悠真にも分かる。ここで曖昧に笑って済ませる気にはなれなかった。
「そうなりたいと思ってます」
あらあらと笑った老婆が結衣の杯へ果実を一つ多く入れても、当の結衣は杯を持ったまま固まっている。
「行こうか」
悠真が声を掛けると、彼女は急いで隣へ戻った。
「今の、どういう意味?」
「そのままだよ。結衣と恋人になりたい」
川の音が妙に大きく聞こえた。二歩ほど進んだところで結衣が足を止めたので、悠真も立ち止まって彼女の顔を見る。
「リラさんたちがいても?」
「ああ。二人を大事にしてるし、結衣も大事にしたい。欲張りだと思う」
「欲張っていいよ」
返事は早かった。それでも彼女はすぐには笑わず、確かめるように続けた。
「私のことも、ちゃんと好き?」
「好きだ。一緒にいると嬉しいし、もっと触れたいと思ってる」
結衣の瞳が潤むのを見て、悠真は自分の杯を長椅子の脇へ置き、彼女の杯も受け取った。両手が空くのを待っていたように、結衣が勢いよく抱きついてくる。
「私も好き。ずっと、ずっと好き」
彼女の背中へ腕を回して抱きしめると、細いと思っていた身体は温かくて柔らかかった。もう、離したくない。
顔を上げた結衣が、唇が触れそうな近さで笑う。
「キスしてくれる?」
悠真は答える代わりに顔を近づけた。短く触れたあと、結衣の腕に力がこもる。もう一度とねだるように見上げられ、悠真も素直に応えた。
川を渡る風が冷たい。それでも抱き合っている間は、寒さを感じなかった。
長椅子へ並んで座ると、果実の飲み物はまだ温かかった。一口飲んだ結衣が、悠真の肩へ頭を預けてくる。
「グランゼルでは、私も恋人だって紹介してくれる?」
「ああ。今夜から、そう紹介する」
「知らない女の人に笑いかけられても?」
「結衣」
悠真が名前を呼ぶと、彼女は顔を上げた。笑っているのに、目は真剣だ。
「心配なの。やっと隣に来られたから」
「出かける時は、一緒に来るか聞くよ。一人で行く用なら、どこへ行くか話してから出る」
「誰と、どこへ、いつ帰るかも?」
「分かる範囲でな」
「約束」
差し出された小指に、悠真は自分の指を絡めた。子供の頃以来の指切りなのに、結衣の顔が真剣すぎて笑う気になれない。
指を離した結衣は、今度は悠真の掌へ頬を寄せてきた。
「一人占めしたいなって思うことは、あるよ。今も思ってる」
「言ってくれていい。聞くから」
「でも、リラさんとセリカさんが悲しむと、悠真くんも悲しいでしょう」
「ああ」
「なら、二人を傷つけることはしたくない。悠真くんが大事にしてる人だから」
悠真は黙って結衣の髪を撫で、額を軽く寄せた。
「今夜は、あの橋の向こうまで歩きたい。結衣と二人で」
「もう少し遠回りしてもいい?」
「いいよ。見つけた道を教えてくれ」
結衣が満足そうに頷いた。
橋を渡ると、川沿いに小さな花畑が広がっていた。夜に開く白い花が、月の光を受けて浮かんで見える。悠真は花を踏まない場所を選び、彼女の手を引いたまま腰を下ろした。
結衣は空を見上げた。
「星が違うね」
「そうだな。知ってる星座が見つからない」
「学校からの帰り道でも、こうして一緒に歩いてみたかった」
「俺は、その頃の結衣が俺と歩きたいなんて考えてなかった」
「今なら?」
「もっと早く誘えばよかったと思う」
結衣が笑って、悠真の手を両手で包んだ。
それから彼女の目が夜の花へ向いた。白い花弁の裏は少し青く、月の光を受けると色が変わって見える。よく見ようと悠真が掌に灯りを出すと、近くの花がゆっくり閉じ始めた。
「明るいと閉じるのか」
灯りを消すと、花はまたほどけた。二人は花から少し離れて座り直し、暗さに目が慣れるのを待つ。
「今ならよく見えるね」
結衣は声を落とし、花から悠真へ目を移した。さっきの屋台で答えてくれた時は、夢かと思ったという。
「またこの町へ来たら、お礼を言ってこようかな。果実まで多く入れてくれたから」
「一緒に行こう。恋人になったって、今度はちゃんと答えたい」
彼女は照れたように笑い、悠真の手を握り直した。
「結衣の杖、少し傷んでたよな」
「旅でぶつけちゃったの。まだ使えるよ」
「明日、店を見よう。似合うのを買いたい」
「いいの?」
「俺が贈りたいんだ」
嬉しそうに口元を押さえてから、結衣は身を寄せて悠真の頬へそっと唇を触れさせた。
「じゃあ、一番大事にする」
「杖も俺も?」
「悠真くんが一番。杖はその次」
迷わない答えに、悠真は声を上げて笑った。結衣も笑う。この笑顔が、今は俺に向いている。
帰り道、結衣は橋の途中で立ち止まり、水面に映る二人を見た。
「悠真くんは、これから何が欲しい?」
「グランゼルで、まだ誰も取ってない宝があるなら探しに行きたい。街で、俺たちの話をしてもらえるくらいのを」
「リーデンでも、いっぱい聞いたよ」
「向こうには、強い冒険者がもっといるだろ。その人たちが驚くところも見てみたい」
悠真は笑って、結衣の肩を抱いた。
「結衣は?」
「同じ家の鍵が欲しい」
思いがけない答えに悠真が顔を向けると、結衣も水面から目を移してこちらを見た。
「帰ったときに悠真くんがいて、私もおかえりって言える場所。出かけてても、ここへ帰るって分かる場所が欲しい」
「それ、いいな」
リラは広い庭を、セリカは雨の日にお茶を飲める軒先を欲しがっていた。その家の鍵が、もう一本増える。悠真は結衣の手を取った。
「見つけたら一緒に選ぼう」
「約束、増えたね」
結衣は嬉しそうに腕へ頬を寄せ、悠真もそのまま歩き出した。
宿へ戻ると、リラとセリカが食堂の隅で待っていた。半分以上残った菓子の箱を前に、二人の視線がつないだ手へすぐに向く。
「話、決まったみたいね」
悠真は頷いた。
「結衣とも付き合うことになった。二人へちゃんと伝えたかった」
リラが結衣を見て、柔らかく笑う。
「おめでとうございます。でも、悠真さんの隣は私も好きですから」
「うん。分かってる。二人とも、これからもよろしくね」
「よろしく。悠真は約束を守ってね。私たちとの時間もちゃんと作ること」
セリカが差し出した手を、悠真は結衣の手を離して握り返した。それを見たリラも、すぐに空いている側へ来る。
「明日の朝は、私と散歩してください」
「分かった。朝食前に行こう」
「私は装備を見たいわ。一緒に選んで」
「ああ。結衣の杖を買ったあとでな」
悠真は朝の散歩から店が開くまでの順を話した。リラが早起きすると答え、セリカは朝食の時間だけ忘れないでと付け加える。
結衣が残っていた菓子をリラへ渡し、その間にセリカが茶を四つ頼む。座る場所では小さな張り合いがあったが、今度は結衣が正面の席を選んだ。
「さっきは私が隣だったから」
「ありがとうございます」
リラが嬉しそうに座り、セリカも悠真の隣へ来る。結衣は正面から悠真を見つめ、目が合うとゆっくり微笑んだ。
昼までのどこか急いだような笑い方とは、もう違っている。その視線を受け止めたまま、届いた茶を三人へ渡していく。
「明日は、いい物を探そう」
「杖の次は、私の装備ね。忘れないで」
セリカが念を押し、リラは菓子の箱を抱えたまま、散歩の時間に起こしてほしいと頼んだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや☆からの評価をいただけるとうれしいです。
感想も楽しみにしています。




