第55話 逃げ道の先に立つ者
昼前に宿場を出た商隊は、午後には丘陵地の細い道へ入った。
荷馬車は六台。悠真たちが乗る最後尾からも、前を行く馬の耳がよく見える。雨のあとの空は澄んでいたが、道にはまだ水たまりが残っていた。
「次の町へ着いたら、焼き菓子が有名なんですって」
結衣が宿で聞いた話をすると、リラが身を乗り出した。
「どんなお菓子ですか?」
「薄い生地に蜜を何層も重ねるの。ナッツも入ってるらしいよ」
「買いましょう、悠真さん」
「ああ。多めにな」
セリカが横から笑った。
「あなたたち、到着する前に食べる物が決まるのね」
「セリカの分も買うよ。好きだろ、甘い物」
「……そこは小声で言って」
照れた顔が見られたので、悠真は満足して外へ目を戻した。護衛の報酬が入ったら、少し高くても一番いい店へ寄るつもりだった。
その予定を妨げたのは、先頭から響いた悲鳴だ。
急停止した馬車の荷台で、木箱が軋む。外へ出てみると、道の前方を大きな岩が塞いでいた。その上で、腕の太い魔物が数頭、石を持ち上げて商隊へ投げつけようとしている。
「石猿だ! 荷車を横にしろ、隙間を埋めろ!」
護衛隊長の号令に、御者たちが手際よく応える。いつもの襲撃なら、これで凌げるのだろう。
だが岩の上の魔物は、人の頭より大きな石を抱えている。道の両側は低い斜面だ。馬車を並べて固まれば、上から投げられる石の的になる。
「待ってくれ。馬車は後ろの広い場所へ下げてくれ」
悠真が声を掛けると、隊長が振り返った。
「下がる間に背中を襲われる! この人数じゃ、列の隙間まで守りきれん!」
「その隙間は俺たちが守る。ここで固まったら、石を避ける場所もなくなる」
言い終わる前に、最初の岩が飛んできた。悠真が前へ出した障壁で岩が砕け、その破片を結衣の白い壁が受け止めた。
荷馬車の屋根へ降るはずだった石が、光の外側を滑り落ちる。
「いまのうちに!」
セリカが声を張ると、ようやく御者たちが馬を返した。退く先が見えれば早い。馬車は順番に広い場所へ下がり、荷物を積んだまま避難していく。
悠真はリラへ目を向けた。
「前の岩を片づけられるか」
「任せてください!」
リラが獣王の大剣を振り上げる。闘神の力を宿した一撃に、道を塞いでいた岩が粉々に砕けた。慌てて飛び退いた石猿の着地先へ、すかさずセリカの炎が走る。
焔姫の炎に呑まれた石猿が悲鳴を上げる。斜面へ逃げた別の一頭を貫いたのは、結衣の聖光だった。
「当たった!」
「いいぞ、結衣。次も頼む」
悠真が言うと、結衣はすぐに次の光を指へ集めた。昨日まで治療のたびに痛みに耐えていた彼女が、今は力を使う喜びに頬を染めている。
その姿を見ていたいところだが、親玉が道へ飛び降りてきた。ほかの石猿の倍はある。握っている棍棒も、ほとんど木の幹だ。
親玉が吠え、悠真へ殴りかかる。
腕が空気を裂き、道の石が跳ねる。悪くない重さだ。強化したこの身体で、どこまで受けられるか試してみたい。
月鋼剣を合わせると、棍棒の芯まで刃が沈んだ。鈍い衝撃が腕へ届くが、痛みにはならない。
「このくらいか」
そのまま剣を押し切ると、棍棒が裂けて親玉が目を見開いた。逃げる暇を与えず、返す刃で胸を斬る。
巨体が倒れる音に、後ろの護衛たちが息を呑んだ。まだ石を抱えていた魔物たちまで動きを止める。
「リラ、セリカ。残りを」
「はい!」
「任せて!」
大剣と炎が左右へ走り、斜面を下りようとした一頭は結衣の聖光が止める。悠真が最後に剣を振るう頃には、街道から魔物の気配が消えていた。
ほんの短い戦いなのに、道には大きな魔石が幾つも残っている。拾い上げて透かしてみた限り、報酬に加えてこちらもかなりの値になりそうだ。
護衛隊長が帽子を脱いで近づいてきた。
「石猿なら、いつもは荷車の陰で凌げるんだ。あんな岩を投げる親玉は初めて見た。下がると決められたのも、背中を任せられる相手がいたからだ」
「障壁があるからな。俺がいる時は、下がる方も選べる」
「あの岩まで砕くとはな。君たち四人だけで、騎士の一隊より強いんじゃないか」
褒められて、悠真の頬は自然と緩んだ。
「今日は四人とも調子がいいんだ」
「いつもいいですよ」
すぐに訂正したリラにセリカが笑い、結衣は少し誇らしそうに悠真の隣へ立った。
悠真は馬車が戻ってくるまでの間に、三人の様子を確かめた。誰にも怪我はない。結衣の手にも震えは残っていなかった。
「よく当てたな。遠い相手も見えてたか」
「うん。セリカさんが炎で逃げる場所を狭くしてくれたから、狙いやすかった」
結衣は斜面に残る焦げ跡を指し、次はもっと遠くても届かせたいと言った。それなら上から追い込むとセリカが答え、リラは自分が岩を割る音を合図にしようと言い出す。三人の相談がまとまっていくのを、悠真は魔石を拾いながら聞いていた。
四人の手を一人ずつ取って何度も礼を言う商人の前で、結衣は初めての護衛を思い返すように杖を胸へ抱えていた。
商隊が動き出してからは、御者たちの声まで明るくなった。悠真が後ろへ戻ると、荷台には柔らかな毛布が敷かれている。商人が四人のために持ち出してくれたのだ。
「せめて楽にしてくれ。あれだけ戦ってもらったんだから」
悠真が遠慮なく腰を下ろすと、すぐ隣に結衣が来た。毛布へ横になったリラが悠真の膝へ頭を載せ、セリカは向かいに座って外を眺めている。
「全然疲れてなさそうね」
「もっと大きな魔物でもよかった。覚えたての聖光、まだ魔物には一度も撃ってないんだ」
「欲張り」
「強くなった分は楽しみたいだろ」
セリカが笑うのをよそに、結衣が悠真の指へ自分の指を絡ませてきた。
「楽しむとき、私も隣にいたい」
「ああ。いまみたいにな」
結衣の手を握ったまま、悠真は前へ続く道を眺めた。
次の町に着いたのは夕方だ。
約束以上の報酬に加えて、商人は魔石も高く買い取ってくれた。金貨の入った袋を収納へしまったら、その足で菓子店だ。
「本当に最初に来たわね」
セリカが看板を見上げる。
「食べたいと思ったときに買えるのが、稼ぐ理由の一つだろ」
「それ、好きな考え方」
店内には蜜と焼いた生地の匂いが満ちていた。リラが耳を揺らし、結衣も飾り窓の菓子へ目を奪われる。悠真が迷わず一番大きな詰め合わせを頼んだ途端、リラが小さく歓声を上げた。
店主が、道中に食べるならと切れ端を別の袋に入れて勧めてくれる。それも買い足して、綺麗な形の菓子は箱に詰めてもらった。
「これなら、着くまでに崩しても気にしなくていいな」
早速袋を覗いたリラが蜜の多く染みた端を見つけると、セリカもそちらを選んだ。結衣は形より香りを確かめている。
宿へ戻る途中、小さな広場の長椅子で一つずつ味見する。薄い生地は噛むと軽く割れ、そのあとに甘い蜜が広がった。
「おいしい……」
目を細めた結衣の唇の端に、欠片がついている。悠真はそれを指で取った。
「付いてた」
結衣の視線が指へ移り、それから悠真へ戻る。
「自分で食べてくれてもよかったのに」
「外でそれを言うのか」
「二人きりならいい?」
リラが菓子を飲み込んで、悠真の袖を引いた。
「私も、二人きりなら甘えていいですか」
「もちろんだ」
「じゃあ私も。順番は忘れないでね」
セリカまで当然のように加わってくる。嬉しい忙しさというやつだ。
「旅が終わったら、ゆっくり時間を作ろう」
「終わる前にも欲しいな」
結衣の言葉に頷いて目をやると、広場の先に川沿いの散歩道が見えた。夕暮れの光を受けて、水面が柔らかく輝いている。
「夕食のあと、少し歩くか。結衣」
彼女が驚いて、それから嬉しそうに笑う。リラとセリカへも視線を向けると、セリカが軽く肩をすくめた。
「今夜は譲るわ。約束を忘れなければね」
「私たちは宿でお菓子を守ってます」
リラが菓子の箱を抱え上げると、セリカが覗き込んだ。
「守る間に全部なくさないでね。明日の分もあるんだから」
「大丈夫です。四つは残します」
「私の分まで決めてるのね」
残りを数えたリラが、セリカの好きな端の部分を先に分けている。その相談を聞きながら悠真が手を差し出すと、結衣は川沿いの道へ目を向けたまま夕食のあとで待っていると答えた。
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