第52話 探していた背中
最初の一頭が飛び掛かった瞬間、月鋼剣の光が街道を横切った。
太い牙も硬い頭骨も、悠真の手にはほとんど抵抗を残さない。獣の巨体が土を削って転がり、後ろの群れが足を止めた。先頭さえ倒せば怯むのかと思ったが、森の奥からさらに大きな唸り声が返ってくる。
「奥に親玉がいます!」
リラはそう言うなり、横から回り込んだ二頭を獣王の大剣でまとめて吹き飛ばした。セリカが紅蓮剣に赤い炎を走らせると、道を塞ごうとする獣たちの前へ火の壁が立った。群れはそれに押し戻され、悠真のほうへ固まってくる。
逃がして追いかけるより、ここへ集めてしまったほうが早い。ただ、背後にはこちらを避けて止まった旅人の馬車がある。
「結衣、馬車を頼めるか」
「任せて」
結衣の手から広がった白い光が、馬車を丸く覆う結界になった。驚いていた馬が落ち着き、中の商人も安堵の息をついている。それを確かめて、悠真は剣先へ魔力を流した。
森を焼く必要はない。道を走る敵だけを狙えばいい。
並列記述で炎を細く分けると、獣が逃げようとする先々へ光が追いつき、一頭ずつ確実に貫いた。焼ける臭いが漂うたびに重い足音が一つ減り、あれだけいた群れの向こうに街道が見通せるようになっていく。
「悠真くん……」
背中に届いた声に怯えた響きがないのが、妙に嬉しい。
林から姿を現したのは、馬車ほどもある獣だ。首の周りを硬い棘が覆っている。喉から低い音を絞り出すだけで、商人の馬が再び震えた。
「黒牙獣だ! そいつには矢も通らん!」
御者席から男が叫ぶ。
悠真が前へ出ると、獣は棘を立てて土を蹴った。受ければ人間など砕ける重さだが、その勢いもちゃんと見えている。
障壁を目の前に張ると、突進は鈍い音とともに止まった。地面が震え、棘が何本も折れる。獣がふらついた一瞬に、悠真は月鋼剣を振り抜いた。
首を守る硬い棘ごと、斬撃が通る。
黒牙獣が倒れた風で、悠真のマントが大きくなびいた。もう唸り声はしない。リラが周囲を確かめてから、嬉しそうに大剣を下ろす。
「終わりました。逃げたのもいません」
「こっちも平気よ。結衣、馬車は?」
「みんな無事。怖い思いも、少しで済んだと思う」
結衣の結界がほどけると、商人たちが次々と外へ出てきた。悠真が剣を収める間も、口々に礼の言葉が続く。
「この先の道も危ないかもしれない。宿場までは一緒に行きましょう」
「そこまでしてくれるのか。もちろん礼は払う。頼む、どうか頼む!」
年配の商人が深く頭を下げた。悠真が顔を上げてもらおうとしている間に、結衣がすぐ隣へ来る。
「格好よかった」
真正面から言われて、悠真はつい目を逸らした。
「怪我がなくてよかった。結界も助かったよ」
「私、悠真くんの戦うところ、ちゃんと見たのは初めてだから」
結衣は剣の柄を見て、それから悠真の顔へ視線を戻した。
「あの王様に見せてあげたいくらい。でも、見せたらきっと返せって言うね」
「返すような物じゃないだろ、俺は」
「うん。だから見せなくていい」
きっぱりとそう答えると、結衣は悠真の袖をつまんだまま今度はリラとセリカへ笑いかけた。
「二人とも、すごく強いんだね」
「悠真さんが強くしてくれたんです」
「悠真のおかげで、できることが増えたの。次はもっと派手に見せるわ」
セリカが言うと、結衣は楽しみだと頷いた。
魔石を回収したあと、商人は空いている馬車へ四人を乗せてくれた。歩くのも悪くないが、結衣の靴には旅の泥がこびりついている。彼女の足を休めるには、ちょうどいい。
荷台に座ると、彼女は悠真の隣を選んだ。リラは向かいで林檎を抱え、セリカは外を見張りながら腰を落ち着ける。
「王宮は、どうやって出たんだ」
そう切り出したのは、車輪の音が耳に馴染んだ頃だった。
結衣は少し考えるように指を組む。
「最初は、悠真くんがどこへ行ったか教えてもらえなかったの。訓練が大事だとか、安全のためだとか、そんなことばかり」
「すぐには動けなかったんだな」
「うん。部屋の外にはいつも護衛がいた。でも、怪我をした人は城に運ばれてきたから、その人たちに町の話を聞けたの」
聖女の治療を受けた兵士や商人。その誰かが、書記なのに強い冒険者の噂を知っていた。リーデンで迷宮を攻略した黒髪の青年。犬獣人の娘と赤髪の剣士を連れていると聞いて、結衣は行き先を絞ったという。
「門を出る許可は、城の外の治療所へ行くためにもらった。そこからは自分で馬車を探したよ」
「一人でここまで?」
「宿の人とか、御者さんとか、親切にしてくれた人はいた。追いつけると思ったら、疲れてる暇がなかった」
気軽な旅行ではなかったはずだ。履き慣れない靴、知らない通貨、魔物のいる道。悠真自身、最初の夜の心細さを覚えている。
「よく来てくれた」
悠真が言うと、結衣は一度俯いた。
「もっと早く来たかった」
「今、一緒にいる」
「……うん」
悠真が手を握って肩が触れるほど近くに座り直すと、結衣はようやく力を抜いた。
向かいのリラが林檎を一つ差し出す。
「結衣さんも食べてください。旅って、お腹が空きますから」
「ありがとう、リラさん」
「リラでいいですよ。一緒に戦った仲間です」
「私も呼び捨てでいいわ。敬語を聞いてると、妙に背筋が伸びるのよ」
セリカまでそう言うので、結衣は林檎を両手で持ったまま少し困った顔で笑った。
「ごめんね。女の子には、ずっとさんを付けて呼んできたの。急に外すと舌がもつれそうだから、このままでもいい? 二人は、私のことを結衣って呼んで」
「じゃあ、結衣ね」
「私は……結衣さん、の方が呼びやすいです」
リラが真面目な顔で言うと、結衣は今度は声を出して笑った。
その膝へセリカが乾いた布を置いた。靴を拭くための物だと気づいて、結衣が小さく頭を下げる。
そのやり取りから荷台の外へ目を移すと、林はもう遠ざかって街道に旅人の姿が戻りつつあった。
宿場に着く頃、雨が降り始めた。
商人は四人のために大きな部屋を取ろうとしたが、セリカが先に口を出した。
「二部屋にしてちょうだい。落ち着いて着替えたいから」
「私、悠真くんの部屋でも大丈夫だけど」
「大丈夫なのは分かったわ。今夜は旅の疲れを取るの」
結衣は少し残念そうにしながらも頷いた。
夕食には商人から大皿の魚料理が差し入れられた。街道で倒した魔物の素材にも相応の買い値がつき、宿代まで払ってもらえる。悠真が礼を言うと、商人は食卓の向かいへ座った。
「明日からも、うちの商隊についてくれないか。行く先で仕事を紹介できる」
「行き先はグランゼルって決めてるんです。同じ道を行く間なら、話を聞きたい」
「なら、朝に相談しよう。今夜は腹を満たしてくれ」
悠真は勧められるまま、遠慮なく魚の追加を頼んだ。リラの前には、もう骨がきれいに並んでいる。
骨を取り終えた一切れを、リラが悠真の皿へ置いた。それをじっと眺めていた結衣が、スープを悠真の前へ寄せる。
「温かいうちに飲んで。外にいたとき、少し冷えたでしょう」
「ありがとう。結衣もな」
悠真が口をつけるのを見て、結衣も自分の器を持って中を覗き込む。見慣れない青い葉を、セリカが香草だと教えてやった。
食べ終える頃、隣の席にいた護衛の若者が遠慮がちに声を掛けてきた。
「黒牙獣を斬った剣、見せてもらえませんか」
悠真が鞘ごと渡した月鋼剣を両手で受け取り、若者は思ったほど重くないと目を丸くした。
「振れるようになるには、どれくらい鍛えれば」
「今、使ってる剣はあるか?」
月鋼剣を机へ置いて若者が見せた腰の剣は、握りが布で太く巻いてあった。わけを尋ねると、手の中で滑るのが怖くて巻き足しているという。
「これじゃ指が回りきらないだろ。一度、余計な分を外してみたらどうだ」
食卓の端で布をほどいて握り直した途端、若者は驚いたように掌を見た。指が柄をしっかり囲んでいる。
「持ちやすい。力を入れやすくなった」
「その太さで、自分の剣に慣れてみるといい」
リラも頷いて、最初は大剣の重さが嬉しかったと話している。熱心に聞いていた若者が必ず強くなると言うので、悠真は剣を受け取りながら次に会うのが楽しみだと答えた。
夜が深くなり、リラが大きな欠伸をする。その肩を押してセリカが先に部屋へ戻っていっても、結衣はまだ椅子から立たなかった。
「眠くないのか」
「もう少し、話したいの」
窓を打つ雨が強くなってきた。悠真は食堂の隅にまだ灯りが残っているのを確かめて、湯をもう一度頼んだ。
「俺も聞きたいことがある。どうして、そこまでして俺を探してくれたんだ」
結衣の目がまっすぐ悠真を捉えた。雨音の向こうで、彼女がゆっくり微笑む。
「こっちの世界へ来る前から、悠真くんを見てたからだよ」
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