第50話 ずっと君を探していた
出発の朝、悠真は新しい服の上へ星銀のマントを羽織った。
窓から差し込む光を受け、銀の糸が細かく輝く。腰には月鋼剣。荷物の大半は収納に入っているから、旅立ちにしては身軽だった。
リラが扉のそばから彼を見た。
「格好いいです。今日は、街道でも目立ちますね」
「強そうに見える?」
「すごく」
満足して笑った悠真を、セリカが腕を組んで頭から足まで眺める。
「見えるだけじゃないでしょう。胸を張って歩けばいいのよ」
「そうする」
彼女の胸元では、青い宝石が光っていた。リラも花の飾りをつけている。どっちも、俺が贈った物だ。
二人を連れて部屋を出ると、食堂ではメルが焼きたてのパンを並べて待っていた。昨日渡された道中用とは別に、朝は温かい物を食べていけということらしい。
リラが嬉しそうに椅子へ座る。
「最後の日も、パンがたくさんですね」
「最後なんて言わないよ。また来るんだから」
メルに言われ、彼女は大きく頷いた。
悠真もパンを手に取る。麦穂亭の朝の匂いは、すっかり馴染みになっていた。ここを出るのは、少し寂しい。それでも、グランゼルの迷宮の方が気になる。
昨日もらった地図を開き、最初の宿場までの道を確かめる。そこへメルがパンをもう一つ差し出したので、地図をよけて受け取った。
「向こうで面白い場所を見つけたら、帰ってきて話すよ」
「うちの食卓で聞かせておくれ。立ち話じゃ終わらなさそうだからね」
宿を出るとき、メルは三人をまとめて抱きしめるように背を叩いた。
「元気で行くんだよ。怪我をして帰ってきたら、叱るからね」
「叱られるのは嫌だな。気をつける」
悠真は礼を言い、振り返って手を上げた。
通りには朝の買い物客が増え始めている。いつも果物を買った店、肉の焼ける匂いを出している店、武器を並べた店。歩くたびに、誰かが三人へ声をかけた。
「グランゼルへ行くんだって?」
「向こうでも派手にやってくれよ!」
悠真は笑って応えた。噂が広まるのは早い。自分の名前が街で使われていることにも、もう少しで慣れそうだった。
セリカが横から彼の顔を覗いた。
「嬉しそうね」
「そりゃ、これだけ応援されたらな」
「向こうでも、きっと同じになるわ」
「そのつもりで行く」
リラが誇らしげに胸を張った。
「私たちも、いっぱい活躍します。悠真さんの仲間だって、覚えてもらいます」
「恋人だってのも?」
悠真が聞くと、彼女の耳がぴんと立つ。
「もちろんです」
セリカも笑い、悠真は上機嫌で街道へ出る門へ向かった。
門の前では、職人たちが門柱の飾りを直していた。
高い足場に男が二人上がり、欠けた石の獅子像へ道具を当てている。白い獅子を倒したばかりの身には、どうにも目につく像だ。
そのとき、乾いた音がした。
足場の板が割れる。
上にいた男の体が傾き、道具を掴んだ手が空を切る。下の職人が叫ぶ。周りの人々が顔を上げるより早く、悠真は動いていた。
風歩で門柱へ近づき、落ちてくる男の下へ障壁を置く。
透明な板で受け止めた男を、衝撃を逃がしながらゆっくり地面へ下ろす。
今度は、緩んでいた獅子像が動いた。
大きな石の塊が、もう一人の職人へ倒れかかる。悠真は足場へ跳び上がり、その石を両手で受けた。
重さが腕へかかる。
身体強化を少し上げると、十分に支えられた。
「下へ降りて。像は俺が持ってる」
職人が声も出せずに頷き、残った足場を伝って下りていく。それを見届けてから、悠真も獅子像を抱えたまま障壁を足場に地上へ戻った。
石を門柱の根元へ置くと、ようやく歓声が上がった。
「今、飛んできたぞ!」
「落ちたのを、空中で止めた!」
助けた職人が、震える手で悠真の手を握った。
「ありがとう。本当に、助かった」
「怪我がなくてよかった」
「板は今朝替えたばかりなんだ。像を外そうとしたら、重さが一枚にかかっちまった」
男は割れた板を見上げ、首を振った。門番も走ってきて、悠真が下ろした像と足場を見比べる。
悠真が二人のところへ戻ると、リラの尾が勢いよく揺れていた。セリカは彼のマントについた石の粉を払う。
「最後まで、目が離せない人ね」
「朝から格好つけられたな」
「ええ。ちゃんと見てたわ」
悠真もつられて笑った。
その笑い声の向こうから、別の声が聞こえた。
「悠真くん」
悠真は足を止めた。
聞き慣れたような、ずっと遠い場所で聞いたような声だった。いま、この街にいるはずのない相手の呼び方に、胸が小さく跳ねる。
門の柱のそばに、白いマントを着た女性が立っていた。
裾には旅の埃がつき、足元に大きな旅行鞄が一つ置かれている。こちらをまっすぐ見つめる顔は、記憶の中と変わらず整っていた。
思わず、息をのむ。
「白瀬……?」
彼女が笑った。
専門学校の教室で、いつも人の輪の中にいた白瀬結衣だった。誰かが話しかければ穏やかに答え、男子が彼女を目で追うのも珍しくなかった。悠真も、綺麗だと思っていた。
結衣が、こちらへ走ってきた。
とっさに両腕を開くと、彼女はそのまま胸へ飛び込んで強く抱きついてきた。
黒髪が頬へ触れた。
「見つけた」
声が少し震えている。
「やっと、見つけた」
どう返せばいいか分からないまま、悠真は彼女の背へ手を置いた。
「白瀬、どうしてここに」
「探してきたの。悠真くんを」
抱きしめる力が強くなる。彼女の体温が服越しにはっきり伝わった。
驚いた。だが、嫌なはずがない。
教室で遠くから眺めていた白瀬が、俺に抱きついている。顔が熱くなった。
リラが隣で耳を立て、セリカは結衣をじっと見ている。
「悠真さん、その方は?」
悠真はそこでようやく二人の方を見た。
「一緒にこの世界へ来た、白瀬結衣だ。同じクラスだった」
ようやく少し体を離しても、結衣の手は悠真のマントを握ったままだ。
半歩も離れないまま、彼女はリラからセリカへ目を移した。
「そう。この二人が、一緒に旅をしてる人たちなんだね」
「知ってるのか?」
「悠真くんの話、たくさん聞いたから。犬獣人の綺麗な人と、赤い髪の剣士と一緒だって」
結衣はもう一度、彼の顔を見る。
「元気でよかった。怪我も、してない?」
「大丈夫だ。白瀬こそ、王宮にいたんじゃ」
「出てきたの」
返事は静かだった。
「悠真くんに会いたかったから」
セリカが少し眉を上げる。リラは悠真の袖へ手を添えた。両側からの視線が、ちくちく痛い。
供も護衛も連れていない結衣は、王の使いとして来たようには見えない。その目は、ずっと悠真に向いていた。
「戻れって言いに来たわけじゃ、ないんだよな」
「うん。私が会いたかったの」
結衣は迷わず答えた。
悠真の胸がまた鳴った。知り合いとの再会というには、彼女の距離が近すぎる。けれど、離れてほしいとは思わない。
リラが隣から、小さく咳払いをする。
その音で、結衣はようやく腕を緩めた。悠真が柱の脇の石段を示すと、彼女は置いてきた鞄を取ってそこへ腰を下ろす。めくれたマントの裾から、靴についた街道の泥が覗いた。
「そのマント、似合ってるね。さっき職人さんを助けたところも、見てたよ」
「見られてたのか」
「うん。みんなが悠真くんを見て、驚いてた。私まで嬉しくなった」
結衣は少し笑い、それから門の外へ目を向けた。
「でも、話しかける前にどこかへ行っちゃうかと思って、少し怖かった」
「まだ出発しない。少し休んでいこう」
悠真が隣へ腰を下ろして水を渡すと、結衣は杯を受け取って一口飲んだ。その指に、鞄の持ち手の跡が赤く残っている。
「昨日の夜、この街に着いたの。宿の人に、悠真くんたちは朝には街を出るって聞いて。だから今朝は、門で待とうと思って走ってきた」
「間に合ったよ。鞄は、俺が持つ」
結衣は鞄を差し出したが、その手をすぐには引かなかった。悠真が鞄を足元へ置いて差し出されたままの手を握ると、ようやく彼女の肩から力が抜けた。
教室では自分から話しかける理由を探していた相手が、手に跡がつくほど重い鞄を提げて追ってきてくれた。悠真は少しだけ、彼女の方へ座り直した。
結衣が尋ねる。
「これから、どこへ行くの?」
「グランゼル。迷宮都市で、もっと冒険しようと思って」
結衣は目を細め、悠真を見上げて少し身を寄せた。
「じゃあ、私も一緒に行きたい」
悠真は彼女を見た。
結衣はつないだ手を膝へ置き、甘い声で続ける。
「今度は、離れないよ。悠真くん」
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