第49話 英雄の帰る街
迷宮の入口にあった霧は、薄くなっていた。
悠真が石段を上がると、外で待っていた冒険者たちが立ち上がった。誰もがまず三人の顔を見て、それから奥の暗がりへ目をやる。
「どうだった?」
そう聞いてきたのは、氷壁の向こうから助け出した四人のうちの年配の男だった。
もったいぶる理由はない。
「倒したよ。白い獅子。これで、中も少し歩きやすくなるはずだ」
一瞬、静かになった。
次に起きた歓声は、丘の下まで届きそうだった。
「本当にやったぞ!」
「おい、聞いたか! 白霧の主を倒したって!」
セリカは悠真の隣で紅蓮剣の柄に手を置き、当然という顔をしている。
皆の前で勝ったと言うのは、やっぱり気持ちがいい。調子に乗って収納から氷の冠の欠片を出すと、青い光を残す大きな氷に周りがどよめいた。
「こんなのを頭につけてたのか」
「化け物じゃないか」
「まあ、強かった。でも、俺たちの方が強かった」
悠真が言うと、男たちはまた歓声を上げた。
二人の前で少し格好をつけたが、言ったことは本当だ。
次の相手にも、同じように勝ちたい。
リーデンへ戻るころには、先に走った者から話が伝わっていた。
門番が三人を見つけ、手を上げる。
「英雄のお帰りだ!」
通りの人々が振り返った。
悠真が思わず見回すと、自分たちへ向けられる目が以前よりずっと多い。店先の職人が頭を下げ、果物屋の女性が笑いながら籠を持ってきた。
「持っていって。うちの弟もあの迷宮へ行っててね、無事に帰ってこられたのはあんたたちのおかげだよ」
籠の中には、熟れた果実が積まれている。悠真は礼を言って受け取り、リラへ一つ渡した。
彼女の顔がすぐに明るくなる。
セリカには、花売りの女性が小さな花束を差し出した。
「赤い髪に似合う色を選んだの。お疲れさま」
「ありがとう」
セリカが笑うと、通りの男たちが少し見とれた。
いつの間にか、悠真は彼女の隣へ寄っていた。それに気づいたセリカが、彼の腕へ自分の腕を絡めてくる。
「少し、自慢したくなった?」
「かなり」
正直に答えると、彼女が嬉しそうに笑った。
リラが反対側へ入る。
「私も一緒です」
通りの向こうからも名を呼ばれ、悠真は顔を上げて応えた。自分のことかと、後ろを振り返る必要はもうない。
ギルドの広間には、ローデンとフィナが待っていた。
報告を聞くより先に、ローデンが悠真の肩を強く叩く。
「よくやった。お前たちを送り出して正解だった」
フィナも何度も頷いていた。
「戻ってきた人たちから、たくさんお話を聞きました。霧の中も、氷の橋も、奥の壁も、全部助けてくれたって」
「全部じゃないよ。俺たちが帰る道を守ってくれた人もいた」
「それでも、皆さん、悠真さんの名前を言うんです」
フィナの声は、自分のことのように弾んでいた。
「リラとセリカのことも、話してた?」
「はい。大剣で熊を吹き飛ばしたとか、炎で帰り道を開けてくれたとか」
悠真が二人を見ると、リラは胸を張り、セリカは得意そうに髪を払っていた。
大きな魔石を出すと、買い取り担当が慌てて奥から来た。
あれほど大きな石は、彼らも滅多に見ないらしい。牙と爪、冠の欠片、宝物庫の銀の器まで並べると、受付の前は小さな展示場のようになった。
「今日は、いい額を期待してる」
悠真が言うと、ローデンは大声で笑った。
「任せろ。けちなことはせん」
報酬と買い取りの話は短く済んだ。渡された袋の重さは、悠真の期待を十分に上回っている。リラが覗き込み、耳を動かした。
「すごくあります」
「うん。好きな物を買おう」
セリカは花束を抱えたまま、楽しそうに彼を見る。
「もう買い物のことを考えてるのね」
「考えるだろ。何のために稼ぐんだよ」
「そうね。私は紅蓮剣の手入れ道具を、いい物に揃えたいわ」
そんな話をしていると、ローデンが地図を机へ広げた。
「お前たち、次はどうする?」
悠真は地図へ目を落とした。
まだ通ったことのない道が何本もある。その中から、ローデンはリーデン近郊を指で示した。
「ここに残るなら、いい依頼を回せる。お前たちを頼りにしたい者も多いぞ」
悠真はさっきの通りを思い出した。顔を出せば名前を呼ばれ、店へ入れば一番いい席を勧められる。正直、悪くない。
「ありがたい。でも、次はもっと強い冒険者のいる街へ行きたい」
「勝負してみたくなったか」
「その人たちでも行けなかった場所へ、俺たちで行ってみたいんだ。帰ってきた時、どんな顔をされるか見たい」
ローデンは口元を緩め、地図の遠い場所へ指を移した。
「だったら、グランゼルだな」
指の先には、リーデンの何倍もある都市の印があった。
「迷宮都市と呼ばれてる。街の周りにも地下にも、いくつも入口がある。腕の立つ冒険者も多い。お前たちなら、面白い仕事が見つかるだろう」
セリカが頷いた。
「聞いたことがあるわ。武器も道具も、いい物が集まる街よ」
リラの目が輝く。
「おいしい物も、たくさんありそうです」
そこは俺も気になる。
「二人はどうしたい?」
セリカが地図へ身を寄せた。
「行くわ。白霧の主に勝てたもの。今の剣で、どこまで斬れるか見たい」
「私も行きます。今度は、もっと大きな魔物を任せてください」
地図の上の街道をリラが指で辿り、その先の都市へ悠真も指を置く。
「じゃあ、グランゼルだ。明日、出発しよう」
ローデンは満足そうに地図を畳み、悠真へ渡す。
「向こうのギルド長へ、俺から話を通しておく。お前たちは気にせず行け」
「ありがとう。世話になった」
「気が早い。まだ今夜は街にいるだろう?」
「いるよ。うまい物を食べてから出たい」
ローデンの笑い声が、広間へ響いた。
ギルドを出ると、入口の階段に鍛冶師が腰掛けていた。白霧の主が倒れたと聞いて、工房を放り出して来たらしい。
「紅蓮剣を見せてみろ。主と打ち合った刃だ」
セリカが剣を渡すと、鍛冶師は刃を日にかざして満足そうに頷いた。そのまま彼女の戦いの話に、何度も大きな声で笑っている。
「いい使い方をしてくれた。剣も喜んでるだろうよ」
「私も、この剣でよかった」
そう言ってこちらを見たセリカに、悠真は笑い返した。
出発すると聞くと、鍛冶師は腰の袋から砥石を出し、階段に座ったまま三人の刃を整え始めた。足を止める冒険者が一人、二人と増えて、見物の輪ができていく。受け取った月鋼剣は、磨かれて刃の光が一段と冴えていた。
「次も、これで勝ってくる」
「おう。折れるくらい使ってもいい。今度はもっといいのを探せるだけ稼いでこい」
遠慮のない送り出しが気持ちよかった。セリカが手入れ道具の話をすると、鍛冶師は袋から油と布、それに砥石をもう一つ出して階段に並べた。代金は、しっかり取られた。
抜け目のない親父だ。言われた額をそのまま払って、二人と宿へ向かう。
麦穂亭では、メルが大きな鍋を用意していた。
悠真たちの姿を見ると、彼女は嬉しそうに手を叩く。
「帰ってきたね! 今日はお腹を空かせてると思ってたよ」
「正解」
悠真が答えると、リラも勢いよく頷いた。
食事の前に風呂へ入って、迷宮の汚れを落とした。湯へ沈むと、体の力がゆっくり抜けていく。寒さに強くなっても、この気持ちよさは別物だ。
食堂へ戻ると、二人も買い物の日の服に着替えていた。セリカの胸元には青い宝石が光り、リラの髪には花の飾りがある。
悠真はしばらく見とれてから、席へ着いた。
「待った?」
「少し。でも、待つのも楽しかったわ」
セリカが答え、リラは大きな皿を彼の前へ寄せた。
「今日は私たちからも、お疲れさまです」
肉と野菜がたっぷり盛られた皿から、香辛料の匂いが立つ。二人の杯へ飲み物を注いでから、悠真は自分の杯も上げた。
「白霧の迷宮、攻略おめでとう」
「おめでとうございます!」
「三人とも、よく頑張ったわね」
器が触れ合う。
食べて、笑って、明日の旅を話す。街道の宿はどこへ寄るか、荷物は何を買い足すか。細かな準備より、途中で何を食べられるかの方で話が長くなった。
こういう話が、一番楽しい。
セリカが地図の宿場を指でたどるたび、リラが横から身を乗り出す。空いた皿を悠真が下げて、二人が同じ地図を見られるよう机を広くしてやった。
夜、出発の荷物をまとめ終えたとき、メルが包みを持ってきた。
「道中で食べるパンだよ」
包みは、両手で抱えるほど大きかった。
「三日分はありそうだな」
「あんたたちなら、二日でなくなるね」
「一日だと思います」
リラが真顔で言うと、メルは腹を抱えて笑いながら出ていった。
扉が閉まると、リラが悠真の手を握り、セリカも隣へ来る。
「明日から、また新しい旅ですね」
「楽しみだな」
窓の向こうで、街道へ出る門の灯りが小さく揺れていた。
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