第42話 氷の橋と二人の温もり
買い物から二日後、悠真たちは白霧の迷宮へ戻った。
一日休んで道具を揃えた体は軽い。新しい手袋は剣の柄に馴染み、靴下も暖かかった。セリカは青い首飾りを服の内側へ入れ、リラの髪には小さな花の飾りがある。
悠真は月鋼剣の帯を締め直し、入口へ向かった。今日こそ、下層の門の向こうを見に行ける。
数人ずつ声をかけ合い、壁の印を確かめながら進んでいた入口の冒険者たちが、悠真たちに気づいて道を空けた。
「悠真、下まで行くのか?」
声をかけてきた男に、悠真は頷いた。
「今日は行けるところまで」
「あんたが通ったあとなら、俺たちも安心して歩ける。頼むぜ」
期待の声を背に受け、三人は階段を下りた。
中層までは、前回ほど魔物が多くなかった。現れた白霧狼をリラが倒し、氷蜘蛛をセリカが焼く。並列記述で援護すれば、どの戦いもすぐに終わる。
氷角の巨獣を倒した広間へ着くころには、昼前だった。
門を開けると、冷たい風が顔を打った。
悠真が障壁を前へ置いて風を弱めると、セリカも手のひらへ炎を灯した。
「やっぱり、下は寒いわね」
「休みながら行こう。無理して震えながら戦いたくない」
リラも頷いたが、犬耳の先が白くなっている。悠真が上着のフードを引き上げて耳を布の中へ収めてやると、リラはくすぐったそうに首をすくめた。
下層へ入って間もなく、深い裂け目が現れた。
底は霧に埋もれて見えず、向こう側へ細い氷の橋が一本かかっている。その真ん中で動けなくなっているのは、奥から戻ろうとしていたらしい五人の冒険者だ。
皆、間を空けて身を低くしている。先頭の男が腹ばいのまま氷へ鉄の杭を打ち込んでいるのは、腰の縄をそこへ回すためだろう。
悠真が声をかけると、男は顔を上げかけて慌てて顔を伏せた。
「動くな! 揺れると割れる!」
「何があった?」
「来る時は一人ずつ渡ったんだ。帰りは奥で何かに追われて、待ってる暇がなかった。全員で乗ったら、真ん中から鳴り出した」
橋に目をやると、五人の足元から白いひびが両岸へ伸びていた。杭を打った場所からも、また新しい線が走る。
リラの耳が下がった。
「杭のところからも、割れてます」
「縄さえ張れれば、一人落ちても……」
男の返事を遮るように、氷が鳴った。
悠真は動いた。
橋の下へ障壁を広げ、左右にも手すりのような細い壁を立てる。割れかけた氷の一部が、透明な足場の上へ落ちて砕けた。
冒険者たちが悲鳴を上げた。
「大丈夫だ。下に俺の障壁がある。足元を確かめて、こっちへ来てくれ」
先頭の男が氷を握ったまま動けないでいる。
悠真は橋へ踏み出した。歩くのは氷ではなく、その上に重ねた薄い障壁だ。表面には、滑らないよう細かな凹凸をつけてある。
男のところまで行き、手を差し出す。
「立てるか?」
「落ちる」
「俺が持つ。手を出して」
ようやく伸びてきた手を掴む。身体強化した腕で引き起こすと、男は悠真の肩へしがみついた。
他の四人も、リラとセリカの声を頼りにこちらへ戻ってくる。全員が岸へ上がった直後、橋の中央が大きく割れた。
氷が障壁へ落ち、轟音が裂け目の底へ響く。
悠真の肩を掴んでいた男が、その場に座り込んだ。
「助かった……。杭に縄をつないで、一人ずつ岸へ渡すつもりだったんだ。橋ごと落ちたら、それも意味がなかったな」
「橋の下に床を作れる奴なんて、そういないさ」
悠真が胸を張ると、男は崩れた氷と透明な足場を見比べ、力の抜けた顔で笑った。仲間の女性が、泣きながら彼の背中を叩いている。
休める場所を探そうとしたとき、裂け目の中から風が上がった。
リラが大剣を抜く。
「何か来ます!」
白い翼が霧を裂いた。長い爪を持つ鳥が四羽、橋の両側から現れる。足場のない場所で人を襲うには、都合のよい魔物だった。
悠真は冒険者たちを障壁の内側へ入れた。
「俺たちの後ろへ」
突っ込んできた鳥の爪が障壁を削り、甲高い音を立てる。その翼へ、悠真は火球を二つ放った。
一羽が燃えながら裂け目へ落ちた。
セリカの紅蓮剣が次の一羽の胸を裂く。炎の尾を引きながら、魔物は橋の向こうへ吹き飛んだ。
残りの二羽が高く舞い上がる。
風歩で障壁の橋を渡った悠真は、その先から月鋼剣を投じた。回転する刃に白い翼を切られ、鳥が姿勢を崩して落ちてくる。そこへリラの大剣が届いた。
「あと一羽です!」
最後の鳥は逃げようとした。
悠真は火球を並べて逃げ道を囲み、翼が炎を避けたところへもう一つをぶつけた。
短い鳴き声がして、白い影が消えた。
剣を回収して岸へ戻ると、助けた五人が口を開けたままこちらを見つめていた。
「橋を作ったまま、あんな魔法まで……」
「悠真さんならできます」
代わりに答えたリラの横で、セリカも満足そうに剣を収める。
剣についた水を払ってから、悠真は五人へ入口まで歩けるか尋ねた。先頭の男は頷こうとしたが、立ち上がるとまだ膝が震えていた。
裂け目の手前には、壁をくり抜いた小部屋があった。入口側の道へ戻る途中にあり、五人が腰を下ろせるだけの広さもある。三人でそこへ彼らを運び、まず火を起こした。
セリカが炎を灯すと、五人は両手をかざした。革の服が湿り、袖口には霜が付いている。
「帰るだけなのに、こんなに遠いとは思わなかった」
悠真は顔を覆った男に温かい飲み物を渡し、少し休んでから入口へ戻ればいいと告げた。
外では、まだ氷の破片が障壁の橋へ落ちていた。これから奥へ進む自分たちのために、道は残しておきたい。悠真は並列記述で足場を広げ、落ちた氷を橋の外へ押しやった。
リラが小部屋から出てきて、透明な橋を見た。
「渡る時、下が全部見えるんですね」
「下が透けてると怖いか。足場が見えるようにしよう」
古い毛布を出して橋の表面へ広げると、薄い布一枚でも道の幅がはっきり分かる。途中まで歩いてみたリラも、先ほどより渡りやすいと教えてくれた。
悠真も隣へ立ってみたが、二人で並ぶには少し幅が狭い。
「帰りも使うかもしれない。太くしておこう」
彼が魔力を流すと、橋の端が外へ伸びた。リラは新しく増えた部分を踏み、悠真へ手を伸ばす。
「これなら、一緒に歩けます」
二人で向こう岸まで渡り、奥にすぐ敵がいないことを確かめてから戻った。
小部屋ではセリカが五人へ入口までの道を教えていた。印をたどれば中層へ戻れるし、途中の広間には冒険者たちもいる。男の一人が、ようやく自力で立ち上がった。
「これなら歩けそうだ」
「冷める前に、もう少し飲んでいって。急ぐとまた足が滑るわよ」
セリカに器へ湯を足してもらって礼を言うと、男は奥で聞いた音について話し出した。
「風かと思ってたんだ。けど、何度も壁が震えて……大きな何かが歩いてたのかもしれん」
悠真は小部屋の外へ目を向けた。裂け目の先だけでなく、この部屋の脇にも細い通路が続いている。音がどちらから来たのか、男には分からないという。
「俺たちは奥を見てくる。そっちは体が温まったら、中層へ戻ってくれ」
悠真が言うと、五人は揃って頷いた。
礼を聞きながら火のそばへ座ると、隣へ来たリラが冷たくなった手を差し出した。
「暖めてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
悠真が濡れた手袋を外させて両手で包むと、指先まで氷のように冷えていた。指が楽に動くようになるまで、しばらくそのまま握っている。
反対側にセリカが腰を下ろしたので、悠真は片手をリラに預けたまま、もう片方を差し出した。
「セリカも、手」
「炎があるから平気よ」
「俺が握りたいんだ」
彼女は黙り、それから手を差し出した。
「悠真さんの手、暖かいです」
「火のそばにいたからな」
「……私も、もう少しこのままでいい?」
セリカが小さな声で聞いた。悠真が頷くと、彼女の指が彼の指の間へ入った。
向こうの火のそばで、冒険者の女性が微笑んでいる。照れくさいが、ここで手を放すのはもったいない。
そのとき、小部屋の隣で壁が低く震えた。
脇の通路から、重い足音が一つ届く。
リラの耳が立ち、セリカも顔を上げる。
火の向こうで、五人の顔から再び血の気が引いた。
悠真は二人の手をそっと放し、月鋼剣を握った。
「休憩は終わりだな」
小部屋の入口を、巨大な影が塞いだ。
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