第38話 本物は一つでいい
怒鳴り声のする広間では、四人の剣士が霧を斬っていた。
彼らを囲んでいるのは、黒い鎧の騎士たちだ。剣がぶつかる音はするのに、倒れる者はいない。剣士の一人が突き出した刃は騎士の胸を抜け、そのまま空を切った。
「また外れだ!」
「背中を合わせろ! 全部斬るんだ!」
悠真は入口から、その様子を見た。
見ている間にも、騎士の数は増えていく。四人が背を寄せるそばから、白い壁に次々と黒い影が湧いた。まともに全部を相手にしていたら、腕が先に動かなくなるだろう。
「リラ、本物の匂いは?」
「あります。でも、上からも下からもして……変です」
セリカが紅蓮剣を握り直した。
「燃やせば分かる?」
「試してみよう。人に当たらないよう、小さく頼む」
セリカが指先に灯して放った炎は、近くの騎士の胸を抜けて壁に当たった。当の騎士は何事もなかったように剣を上げる。
その向こうで、別の影がわずかに身をひねった。
悠真は笑った。
「熱いのは嫌なんだな」
影の一つがこちらを向く。兜の下で、二つの目が青く光った。
同じ顔が隣にも現れた。二体とも足を動かしているのに、床の水が跳ねるのは片方だけだ。悠真がそこへ意識を向けた途端、騎士たちは互いに重なり、また違う場所へ散った。
長く目で追えば、見失う。悠真は正面の幻へ剣を向けるより、囲まれた四人を守る方を選んだ。彼らが動かずに済めば、本体が近づく場所も絞れる。
広間の剣士たちがようやく悠真たちに気づいた。
「来るな! こいつら、倒しても増える!」
「分かってる。少し伏せててくれ」
「伏せたら斬られるだろ!」
答える代わりに、悠真は彼らの周りへ障壁を張った。
騎士たちの剣が透明な壁へ打ち込まれる。硬い音が響いたのは一度だけで、他の刃は音もなく通り抜けた。幻の刃が体を抜けていくのを見て、剣士たちが首をすくめながら悲鳴を上げる。
誰も傷つかなかった。
「いま、壁に当たった奴だ」
目で追う先で、音を立てた騎士が霧へ溶けて別の場所に現れた。すぐに追えば、また他の影へ紛れるだろう。
焦る必要はない。
「リラ、セリカ。俺の左右へ」
二人が並ぶのを待って、悠真は床へ薄く火を走らせた。威力を抑えて熱だけを広げると、白い霧が浮き上がって石の床が見えてくる。
影たちは平然と立っている。その中で一体だけ、足の裏から煙が上がった。
リラの耳が立つ。
「鉄と、獣の匂いです。あれ!」
悠真は風歩で飛び出した。
振り下ろされた騎士の剣を月鋼剣で受けると、重い衝撃が腕まで伝わった。確かな手応えがある。これだよ、これ。
「見つけた」
力を込めて押し返すと、黒い剣が折れた。
よろめいた騎士の兜から、細長い舌が飛び出した。鎧をまとった人間に見せかけて、中には別の生き物が入っているらしい。
悠真は舌を斬り落とし、そのまま兜へ剣を叩き込んだ。
割れた黒い金属の中から、蛙のような青い顔が現れた。その口が開いて、耳障りな鳴き声が上がる。
広間の影が一斉に悠真へ向かった。
「邪魔です!」
振り回したリラの大剣を幻たちはすり抜けたが、彼女は構わず悠真の横へ来た。セリカも炎を広げ、本体の逃げ道を塞ぐ。
魔物が跳ねようとする。
悠真の剣が、その胴を断った。
石の床へ重い体が落ちると、広間にいた騎士も走る男の影も、いっせいに白くほどけた。
霧の向こうには、何もいない。
障壁を消すと、剣士の一人が座り込んだ。
「終わった……のか」
「本体を倒したから、もう増えない」
悠真が示した残骸の青い顔に、剣士たちがぞっとしたように身を引く。
「こんな奴を相手に、俺たちは二刻も」
「全部斬らなきゃいけないと思ってたんだよ。幻って分かってても、本物が混ざってるから」
言われてみれば、その通りだ。幻に紛れて本物が斬りかかってくるのだから、どれも無視はできない。
「壁に当たって音を立てた奴が本物だ。幻の剣は、壁をすり抜けるからな」
「背中は合わせてたんだ。だが、幻の刃も本物の刃も、受けるまで見分けがつかない。先に壁で受けて確かめるなんて、俺たちにはできん」
剣士が自分の両手を見下ろす。
セリカは肩をすくめた。
「剣で受けたら、本物かどうか分かる前に斬られるものね」
「そうなんだよ。だから全部斬るしかなかった」
疲れた顔で笑う男たちに、悠真は水袋を渡して入口までの道を教えた。壁の印をたどれば怪我人を運んでいる冒険者たちに会えると伝えると、ようやく彼らの表情がほどけた。
別れ際、いちばん年かさの剣士が小さな箱を差し出した。
「途中で拾った物だ。持っていってくれ」
ふたを開けると、青い宝石が入っていた。小さな明かりを映しただけで、底に星のような光が散る。
「助けてもらった分には足りんだろうが、俺たちにはそれしかない」
悠真が箱を受け取ると、男はようやく肩の力を抜いた。
「帰りに誰かが困っていたら、今度は俺たちも手を貸すよ。あの入口の連中みたいにな」
「ありがたくもらう。次は安全なところで稼いでくれ」
「そうする。あの透明な壁の話は、酒場で十回はするぞ」
四人は深く頭を下げ、入口の方へ戻っていった。
悠真が宝石を指に挟むと、リラが顔を近づけた。
「きれいですね。夜の空みたいです」
「飾りにできるかな」
「できますよ。セリカさんにも似合いそう」
突然名前を出され、セリカが瞬いた。
「私? リラ、あなたが欲しいんじゃないの?」
「見たいです。でも、首につけるならセリカさんの方が似合いそうで」
悠真は宝石とセリカの顔を見比べた。赤い髪に青い石。確かに、よく映えそうだ。ただ、首飾りと口にする前に一度だけ迷った。
彼女の首には、以前、自由を奪う道具があった。
その視線に気づいたのか、セリカの方が先に笑った。
「普通の飾りなら、着けたいわ」
「じゃあ、街へ戻ったら店を覗こう」
「あなたから贈ってもらうなら、なおさらね」
悠真は青い石を彼女の服へ当ててみた。セリカが肩へかかった赤髪を後ろへ払うと、色の違いがはっきりする。
「銀の鎖が合いそうだな。店で見てみよう。リラにも何か選ぼう」
「私は悠真さんと一緒に選べれば、何でも嬉しいです」
「何でもって言われる方が悩むぞ」
笑いながら宝石を収納へ入れる。戻ってからの楽しみが、また一つ増えた。
セリカが魔物の残した鎧をつま先で軽く押した。
「これも売れるかしら」
「持って帰ろう。剣は折れたけど、材料にはなるだろ」
鎧の胸には、何本もの刃が擦った跡が残っていた。助けた剣士たちが本体へ届かせた攻撃もあったのだろう。悠真は鎧と魔石を収納し、拾える破片まで集めた。
出発する前に、リラが獣王の大剣の柄を見せてきた。巻いていた革の端が浮き、水を吸って少し滑るらしい。
「締め直してもらえますか。自分だと、力を入れる場所がずれるんです」
悠真は剣を受け取り、濡れた革を一度ほどいた。下の柄に傷はなく、新しい布を挟んで巻けば使えそうだ。
セリカが布を温めて乾かし、リラが端を押さえる。三人で巻き直しながら、リラは先ほど幻へ大剣を振った時のことを話した。
「何も当たらないのに、目の前から剣が来るんです。分かっていても、手が出そうになります」
「俺も最初は剣で追いたくなった。あの音がなければ、もっと面倒だったな」
悠真が革を強く引いて根元へ留めると、受け取ったリラがゆっくり振ってみる。
「これなら、しっかり持てます」
「帰ったら職人にも見てもらおう。大事な剣だからな」
頷いたリラが、悠真の差し出した空の手に気づく。大剣を肩へ担いでから、その手を嬉しそうに握った。
広間の奥には、下へ続く緩やかな坂があった。
床が濡れていた。壁の隙間から流れ出た水が、その先で白く凍りついている。迷宮の奥ほど冷えているのだろう。
リラが耳を伏せる。
「嫌な音がします」
小さく乾いた音が、坂の下から重なってくる。骨を打ち合わせたような、不快な響きだった。
悠真は月鋼剣を抜き、炎を一つ浮かべた。
光の中へ、細い脚が入ってくる。
氷でできた蜘蛛だった。最初は数匹に見えたが、壁にも天井にも張りついている。奥の暗がりから、さらに同じ音が続いた。
セリカが紅蓮剣へ炎を通す。
「今度は本物ばかりね」
「ああ。分かりやすくて助かる」
笑って二人を近くへ呼び、悠真は壁を伝う群れと床を進む群れへ目を走らせた。
それから剣を持たない手を上げ、魔法の文字へ意識を集中させた。
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