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第37話 助けはここにいる

 声の主は、崩れた石柱の裏にいた。

 悠真が霧を抜けると、三人の冒険者が身を寄せていた。盾を持つ男は額から血を流し、女性の足には折れた槍の柄(え)が添えられている。立っているのはいちばん若い男だけで、剣の柄で石を叩き続けていた。


「もう大丈夫だ」


 悠真の声に、若い男が顔を上げた。


「来るな! そっちにいる!」


 頭上で羽音がした。

 人ほどもある蛾(が)が三匹、霧から浮かび上がった。幾重にも重なった目に悠真を捉えた途端、黄色い粉を噴き出してくる。

 悠真がとっさに広げた障壁へ、粉が湿った音を立てて貼りつく。足元の苔(こけ)へこぼれた分からは、小さな煙が上がった。

 なるほど、これで動けなかったのか。


「セリカ、人のいない方へ追い払えるか」

「任せなさい」


 紅蓮剣から炎が伸びると、蛾は熱を嫌って天井へ逃げた。その逃げ道へ、悠真が火球を放つ。

 光が霧の中で膨らみ、一匹の重い羽が燃えながら落ちてくる。低く逃げた残りの二匹を、リラの大剣がまとめて叩き落とした。石にぶつかった音が広間へ響き、若い男が口を開けたまま固まる。


「……一匹倒すのに、半日かかったんだぞ」

「じゃあ、一日半は得したな」


 悠真は剣を収め、負傷者の前へしゃがんだ。

 盾の男は意識がはっきりしている。女性の足はひどく腫れていたが、血は止まっていた。無理に歩かせるより運んだ方がよさそうだ。


「動ける人は水を飲んでくれ。入口までは安全に戻れる」


 収納から水袋を出すと、三人が目を見張った。その間にセリカが女性の肩へ自分の予備の上着をかけている。


「寒かったでしょう」

「ありがとう。もう、誰も来ないかと」


 女性が上着を握りしめた。

 悠真が改めて足を確かめると、槍の柄がうまく添え木の代わりになっていた。これは外さずに運ぼう。

 リラが女性の前へしゃがみ、背を向ける。


「私が運びます。しっかりつかまってください」

「その大きな剣まで持って、私も?」

「平気です。悠真さんには、もっと重い物も持てるって褒められました」


 女性は半信半疑で背に乗り、リラが軽々と立った瞬間に小さく声を上げた。

 悠真が肩を貸すと、盾の男は最初こそ遠慮したものの、足を引きずる痛みに負けて体重を預けてきた。


「すまん。俺がこの二人を連れてきたのに、このざまだ」

「帰ってから休めばいい。また歩けるようになる」


 それ以上の慰めは浮かばなかった。悠真が体を支えて歩き出すと、男は小さく礼を言った。


 階段まで戻る途中、霧の中で赤い光が揺れた。

 セリカが前へ出たのと同時に、壁の窪みから氷の鎧をまとった小型の魔物が甲高い声を上げて飛び出してきた。

 数は七。動ける仲間だけなら問題にもならないが、いまは怪我人がいる。

 悠真は盾の男を壁際へ座らせた。


「ここで待っていてくれ」

「その数を、一人で止める気か?」

「三人いるよ」


 リラが女性を安全な場所へ下ろし、獣王の大剣を構えた。セリカも悠真の隣へ並ぶ。

 魔物たちは氷の槍を一斉に投げた。

 穂先はどれも障壁に刺さって砕けた。悠真はその割れた氷の向こうへ踏み込み、月鋼剣を振り抜く。

 先頭の一体が倒れた時には、後ろの五体もセリカの炎とリラの大剣でまとめて片づいていた。

 通路の奥へ逃げようとした最後の一体には、風歩で追いついた。振り返った魔物の目に、彼の刃が映る。

 迷いなく切り伏せた。

 霧の下へ沈んだ魔物から、小さな青い石が転がり出た。悠真がそれを拾って明視で周囲を確かめると、今度こそ近くに敵は残っていなかった。


「進めるよ」


 振り返ると、怪我人の三人が彼らを見つめていた。

 盾の男が苦笑する。


「青銅の迷宮を攻略した奴がいるって聞いて、酒場の大ぼらだと思ってた」

「私たちです」


 嬉しそうに言うリラに、悠真は少し笑った。「私」より「私たち」と言う時の方が、彼女の声はずっと弾む。


「信じるよ。もう、何を言われても信じる」

「それは、ちゃんと考えてくれ」


 悠真が返すと、女性まで笑った。張り詰めていた顔に血の気が戻っている。歩いている間だけでも、恐怖を忘れられるならよかった。


 入口近くの広間では、先ほどの冒険者たちが待っていた。

 負傷者を見つけるなり数人が駆け寄り、用意していた担架へ女性を移す。女性が上着を返そうとすると、セリカがその手を止めた。


「地上で返して。まだ寒いでしょう」

「絶対に。洗って、きれいにして返します」


 女性の目に涙が浮かぶのを見て、セリカは少し困った顔で彼女の肩を軽く叩いた。

 救助を引き受けた男へは、壁の目印をたどれば迷わないと悠真が教えた。蛾を倒した場所から先には、まだ探索に出た者がいるかもしれない。


「俺たちはもう少し奥へ行く」

「分かった。こっちは任せろ。今日は全員、無事に外へ出す」


 男の力強い声に、悠真は頷いた。

 若い剣士が彼へ近づいてくる。まだ顔色は悪かったが、剣を握る手はしっかりしていた。


「俺、あんたみたいになりたい」


 悠真は思わず若者の顔を見返した。


「助けを呼ぶしかできなかった。仲間を残して逃げるのも嫌で、でも、戦ったら俺も死ぬと思って」

「呼んでくれたから見つけられた。ちゃんと役に立ってるよ」


 口を閉じた若者は、やがて唇を噛んで小さく頷いた。


「……次は、もっと役に立つ」

「そのために、まず帰って治すんだ」


 悠真が差し出した拳へ、若者の拳が触れた。

 担架へ並びかけたところで、若者がもう一度悠真を振り返った。


「戻ったら、あんたの名前を皆に話していいか。酒場で大ぼらだって言った連中にも」

「もちろん。リラとセリカのことも頼む。三人で来たんだから」


 セリカが紅蓮剣を軽く上げ、リラが頷いた。若者は二人の名を繰り返してから、担架の後ろを支えに戻る。

 その姿が見えなくなるまで、悠真は見送った。帰ったら、あいつの行く酒場に顔を出してみたい。自分の話で盛り上がっている所へ、自分から入っていける。考えただけで、足取りが軽い。

 横へ来たリラが、彼の腕を取った。


「私、いまの悠真さん、すごく好きです」

「いまだけ?」

「いつもです。いまは、もっとです」


 悠真は少し照れながら、彼女の手を握り返した。

 セリカも彼の顔を見ている。


「人を強くするの、能力だけじゃないのね」

「立派なことを言えたつもりはないけど」

「それでいいのよ。あなたに言われたら、できそうな気がするもの」


 セリカは紅蓮剣へ目を落とした。


「私も、この剣ならもっと先へ行けると思ってる」

「そんなふうに言われたら、また張り切るぞ」

「張り切って。見てるから」


 セリカは目を逸らさずに笑った。


「二人とも近くにいてくれ。その方が俺も楽しい」


 悠真が言うと、リラは腕を取ったまま頷いた。

 途中の分かれ道で、セリカが足を止めた。壁に残した印のすぐ横で、別の線が白く光っている。悠真が顔を寄せると、細い傷に霜が詰まっていた。


「さっきは、ここまで凍ってなかったわ」

「下から冷えてきてるんだな」


 周囲の匂いを確かめたリラによると、負傷者を連れてきた道とは別に新しい人の匂いが続いているという。それなら、そちらへ進もう。

 見張りを引き受けた男たちの声は、もう遠かった。セリカは前へ灯りを出し、リラはいつでも剣を使えるよう悠真から少しだけ離れて歩き出す。


 再び下の階へ戻ると、霧がさらに厚くなっていた。

 悠真は立ち止まり、明視へ流す力を増やした。能力の文字に意識を通すと床と壁の境目がくっきりと浮かび、霧に埋もれていた足跡まで見えてくる。


「こっちだ。二組ぶんくらい、先へ進んでる」

「まだ救助できる人がいるのね」


 セリカの声が引き締まり、リラも鼻を動かして頷いた。

 通路の奥で白い影が走る。

 火球を放とうとして、悠真は指を止めた。影は人の形をしている。剣を持った男が、何かに追われるように霧の向こうを走っていく。


「待ってくれ!」


 悠真の声は届かなかった。

 角を曲がって消えた男が、また別の場所から現れた。さっきと同じ姿勢で、同じように走っている。道がつながっているにしても、早すぎる。

 リラが悠真の袖を引く。


「あの人、匂いがありません」


 悠真が剣へ手をかけたのと同時に、霧の奥で金属がぶつかり合った。

 続いて聞こえたのは、人の怒鳴り声だ。


お読みいただき、ありがとうございます。

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