第35話 君だけの炎を
朝の通りで赤い煙突はすぐに見つかった。工房の扉を開けると、炉の熱が悠真の頬を撫でた。
昨日、橋のたもとで声をかけてきた鍛冶師が、作業台の前から大きな手を上げる。台の上には赤い布がかかっていた。細長い膨らみを見て、隣のセリカが足を止める。
「その下にあるのが、見せたい物?」
「ああ。ずっと置いてあったが、使い手がいなかったんだよ」
鍛冶師が布を取り去った。
赤みを帯びた刃に、細い金色の線が走っている。赤髪の彼女が握る姿を、悠真はすぐに思い描けた。
伸ばしかけた指先を止めて、セリカが悠真を見る。
「触ってみたらいい」
「でも、これ、かなりの物よ」
「そのために呼んだんだ。遠慮されると困る」
鍛冶師に急かされ、彼女は柄を握った。台から持ち上げると、火を近づけたわけでもない刃が淡く輝く。
リラの耳がぴんと立つ。
「セリカさんの髪みたいな色です。すごく似合ってます」
「そ、そう?」
刃を傾けて重さを確かめるセリカの目は真剣なのに、いつもの勝ち気な顔はどこか柔らかい。気に入ったらしい。これはもう、買うしかない。
「名は紅蓮剣。炎を通すために打った剣だ。普通の火術じゃ、少し温まるだけだがな」
悠真が意識を向けると、刃の上に能力の文字が浮かんだ。炎の伝導と刃の耐熱。持ち主の力を受け止めるための性質が、無駄なく備わっている。
セリカの魔力を流しても、刃へ無理な熱が溜まることはなさそうだ。
「セリカなら使いこなせる」
「使うだけならね。でも、値段を聞いてからにしなさいよ」
鍛冶師の言った額に、セリカの肩がわずかに上がる。だが、悠真には十分払える。迷宮で稼いだ金は、こういう時に使うためにある。
「買うよ」
「悠真」
「贈らせてくれ。これからも一緒に戦うんだから」
何か言おうとしたセリカが口を閉じ、鍛冶師がにやりとする。リラは羨ましそうに剣を見てから、自分の獣王の大剣の柄を抱いた。
「私も悠真さんにいただきました。使うたびに、嬉しくなるんです」
「そんなこと言われたら、断れないじゃない」
セリカが紅蓮剣を胸の前に置く。
「ありがとう。大事にする」
悠真へ向けた声が、炉の音の中でもはっきり聞こえた。
代金を払う前に、悠真は石切り場で拾った鉱石を取り出した。その小さな欠片を炉のそばへ置いて、鍛冶師が熱した鉄を押し当てる。
鉄の赤みが薄れる間も、鉱石の表面は変わらない。
「こいつは炉の内張りに使える。武器の芯にも混ぜられるが、今ある紅蓮剣へ足す必要はないな」
「それなら、工房で使ってくれ。買い取ってもらえるか?」
「もちろんだ。助けてもらった上に、いい材料まで運んでくるとはな」
鍛冶師の示した額で、紅蓮剣の代金の一部が賄えた。セリカは鉱石の入った箱を見て、少し得意そうに悠真へ顔を向ける。
「持って帰ってよかったでしょう」
「ああ。よく見つけた」
古い剣は鍛冶師が預かって、刃を整え柄の革も巻き直しておいてくれるという。次の遠出から戻ったら受け取ると答えて、セリカは紅蓮剣だけを腰へ下げた。
試し斬りは工房の裏の空き地で行うことになった。
職人が薪を何本も束ねて立てると、セリカは困った顔をした。
「これ、燃やし尽くしちゃうと思うけど」
「剣の具合を見るなら、それで構わん」
紅蓮剣が彼女の炎をまとった。痛みをこらえる気配は、もうどこにもない。炎は肌を傷つけることなく、彼女の望む通りに刃へ集まっていく。いつまでも見ていられそうだ。
セリカが振り抜く。
乾いた音が一つした。束ねた薪が真ん中から滑り、切り口が赤く光る。次の瞬間には炎が膨らみ、木は黒い粉となって崩れた。
職人たちが歓声を上げる。
「何だ、今の! 火が剣を追いかけたぞ!」
「切ってから燃えたのか?」
鍛冶師だけが黙っていた。やがて目の端を親指でこすり、セリカへ顎を向ける。
「もう一度、頼む。今度は鉄の板でやってくれ」
持ち出された板は、盾の材料にするほどの厚さがある。こちらを見たセリカに、悠真は笑って頷いた。
「思いきりやっていい。俺が周りを守る」
悠真が空き地の端に障壁を張ると、見物していた弟子たちがその透明な壁を恐る恐るつついた。
セリカの笑みが深くなる。
「じゃあ、遠慮しない」
紅蓮剣が燃え上がった。
今度は振り下ろすより早く、熱が地面を震わせる。刃を受けた鉄板は抵抗する音さえ立てず、真っ二つになった。炎がその先を走り、障壁へぶつかって明るい花のように広がる。
悠真の頬へ熱は届かない。それでも、炎の勢いには胸が躍った。
これを使う仲間が、自分のすぐ隣にいる。
「いい剣ね」
セリカが鍛冶師へ言った。
「振りたいところへ、勝手に来てくれるみたい」
「そいつを待ってたんだ」
鍛冶師が大声で笑うと、弟子たちもつられて笑い、リラが勢いよく拍手した。照れたように紅蓮剣を下げたセリカの唇は、端が上がったままだ。
工房を出る前に、鍛冶師が剣を拭く布と手入れの油を持たせてくれた。手入れの仕方を聞きながら、セリカは刃へかける油の量を何度も確かめている。
昼は通りの焼き肉屋へ入った。
皿が運ばれるたびにリラは耳を揺らし、セリカは椅子へ立てかけた剣を何度も見ている。つい笑ってしまった悠真に、彼女はすぐ気づいた。
「何よ」
「気に入ってもらえてよかったと思って」
「気に入ったわよ。すごく」
言い切ってから、セリカは肉を口に運んだ。頬がほんのり赤い。剣より、こっちの方が熱そうだ。
横からリラが、自分の皿の一番大きい肉を悠真の皿へ移してくる。
「悠真さんも食べてください。昨日から、人のことばっかり気にしてます」
「ちゃんと食べてるだろ」
「もっとです」
セリカも小さなパンを悠真へ差し出す。
「私からも。贈り物のお返しには足りないけど」
「それなら、次の迷宮で活躍してくれ」
「任せて。後ろから見ていてもいいのよ」
強気な返事に、リラの尾が椅子の横で揺れた。
「私も前に出ます。悠真さんを二人で守りましょう」
「守ってもらうのも楽しそうだな」
この二人なら、本当にやってしまいそうだ。悠真は笑って、運ばれてきた果実水に口をつけた。
窓の外では買い物客が行き交い、彼の姿を見つけた男が頭を下げる。昨日、橋で助けた旅人だった。隣にいた妻らしい女性も、何度も礼をしている。
悠真が軽く手を上げると、男は安心したように笑った。
そのまま通りの知り合いをつかまえて、男は悠真を示しながら昨日の橋のことを話し始めた。身振りが大きくなるたび、窓際の他の客までこちらを見る。照れたふりをしつつ、悠真は窓から顔をそらさなかった。
食後、セリカは店の前で足を止めた。
「悠真、少しだけ」
リラは通りの果物屋へ目を向け、ふわりと耳を揺らした。
「私、干した果物を買ってきますね」
気を利かせてくれたのだと分かる。セリカもそれに気づき、礼を言うように小さく頷いた。
二人きりになると、彼女の手が悠真の袖へ触れた。
「剣をもらったから言うわけじゃないんだけど」
「うん」
「私、最近、朝が来るのが楽しみなの」
悠真は返事を急がずに待った。
「今日はどこへ行くんだろう、何が食べられるんだろうって。そういうことを考えて起きるの。前は、目が覚めた瞬間から体が痛いかどうかを確かめてた」
セリカは紅蓮剣の柄に触れ、笑った。
「今度は、この剣を使いたくて目が覚めそう。だから、ありがとう」
「それなら、いくらでも一緒に出かけよう」
セリカがそっと悠真の手を取った。彼が握り返すと、彼女は驚いたように顔を上げたが、手を離さなかった。
「次は休みの日に、青い服で出かけよう。剣を持たずに歩くセリカも見たい」
「いいわ。でも、その前にこれを使わせてね」
彼女は新しい剣を示した。
「楽しみにしてる」
セリカが小さく笑ったところへ、リラが紙袋を抱えて戻ってくる。
「二人とも、これ甘いです。一つずつどうぞ」
果物を受け取った悠真の腕へ、リラが体を寄せてくる。セリカの方をちらりと見て、にこりと笑った。
「あとで私にも、手をつないでくださいね」
「もちろん」
「予約ばかり増えるわね」
三人で通りを歩き出した、そのときだった。
前方からフィナが駆けてくる。普段の受付の笑顔は消え、息が上がっていた。
「悠真さん。よかった、見つかりました」
悠真は足を止めた。
「何かあった?」
「白霧の迷宮です。戻った人たちが、いつもと違うと言っています。中に、まだ何組も残っていて……」
セリカの手が紅蓮剣の柄へ落ちる。リラも顔を上げた。
悠真は二人を見た。どちらも、彼の次の言葉を待っている。
「詳しく聞こう。場所を教えてくれ」
新しい剣の赤い刃が、鞘の隙間で小さく輝いた。
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