第3話 数字を書き換えた朝
翌朝、悠真は宿の裏にある空き地へ出た。
夜のうちに書き換えた文字は、今も視界の端に残っている。身体強化の倍率は三倍から三十倍へ。試しに思い切った数字を入れると、書記は抵抗もなく受け入れた。
寝室で使うのは危ないと思い、実験を朝まで我慢した。おかげで眠りは浅かったが、今は眠気より期待が勝っている。
地面に置かれた薪を一本持ち上げた。何の変哲もない太い薪だ。昨夜は抱えるのに少し力が要ったものを、今朝は片手で軽々と持てる。
悠真は両手で端をつかみ、力を加えた。
硬い音がして、薪が真ん中から折れた。
「……本当に変わってる」
勢いがつきすぎた手を見つめる。骨も筋肉も痛まない。自分の力で自分を痛める心配はなさそうだ。
昨日までの暮らしなら、絶対にあり得ない感覚だ。
悠真は笑いながら、少し離れた木まで走った。景色が一気に流れ、予想より早く幹が迫る。慌てて足を踏ん張ると、地面に深い跡が残った。
強い。扱いを覚える必要はあるが、これはもう岩狼一頭に怯える力ではない。
息を整えながら、自分の能力をもう一度見た。身体強化には、使用を続けると疲労が蓄積するという説明が付いている。悠真はそこへ指を伸ばし、負担が小さくなるように文字を直した。
胸の熱が穏やかに落ち着いた。
駆け出す。止まる。跳ぶ。
何度か繰り返しても、呼吸は乱れなかった。
「いいな、これ」
感想がそのまま声に出た。もっと試したい。その気持ちを抑え、まずは宿へ戻る。食堂では、昨日助けた商人がパンをちぎっていた。
「早いな。もう旅立つか?」
「リーデンへ行こうと思います」
「俺もリーデンへ向かう。一緒にどうだ。護衛代も出そう」
「引き受けます。途中で魔物を倒したら、魔石は俺がもらっても?」
「もちろんだ。危ない時に前へ出てもらうんだからな」
商人が荷台の隣の席を空けた。悠真は鉄剣を腰へ帯び、そこへ乗り込んだ。
商人の荷車には、途中から年配の魔術師が乗り込んだ。リーデンへ魔道具を届けに行く途中だという。灰色の髭を撫でながら、朝食の残りらしい干し肉をあぶり始める。
指先に小さな炎が灯った。
悠真が見つめると、魔術師は得意げに笑った。
「火術を見るのは初めてか。慣れると便利だぞ」
「戦いにも使えるんですか」
「もちろんだ。ただ、わしの火では小さな魔物を追い払うくらいだな」
指先の炎へ意識を向ける。『初級火術』という文字が見えた。悠真は荷車の縁に手を置いたまま、それを自分へ写した。
胸の中に、もうひとつ温かな感覚が増えた。
人の能力でも複写できる。魔術師の火は、そのあとも変わらず燃えていた。
「俺も試してみていいですか」
「資質があればな。焦って大きくしようとするなよ」
悠真の指先に火が灯った。魔術師が、あぶっていた肉を落としかける。
「おい、今教えたばかりだぞ」
「見ていたら、何となく」
「何となくでできるものか。わしが初めて火を出したときは、三月かかったんだぞ!」
商人が声を上げて笑う。
「この兄ちゃんはそういう奴なんだ。昨日は初めて戦って岩狼を倒したんだとよ」
魔術師が半信半疑で悠真を見た。
「もう一度、出せるか」
悠真は掌に炎を浮かべた。今度は小さく回し、明るさも変えてみせる。魔術師が干し肉を差し出したので、端だけを焼いて返した。
「お前さん、火の扱いで飯が食えるぞ」
「魔物も倒してみたいです」
答えながら、悠真は街道の先へ目を向けた。火術も収納も、早く何かで試してみたい。
昼前、荷車が小川のそばで止まった。
商人は水袋を持って川へ向かい、魔術師は肩掛けの革袋から鍋を取り出す。袋の口より明らかに大きな鍋が、するりと出てきた。
悠真は思わず身を乗り出した。
「その袋、どうなってるんですか」
「収納の魔法がかかっておる。荷を減らせるから旅には欠かせん。高かったがな」
袋の文字を読むと、『収納』とあった。中に別の空間があり、触れた品を収められるようだ。
悠真は能力を複写した。自分のものになった文字に意識を向け、足元の水袋を入れてみる。
水袋が消えた。
胸の奥に、どこへ置いたか分かる感覚がある。取り出したいと思うと、そのまま手の中へ戻った。
「便利ですね」
「お前さん、何をした?」
魔術師の目が、今度こそ丸くなった。
悠真は同じように鍋を持ち上げ、収納して戻した。魔術師が自分の袋を見て、悠真の手を見て、最後に商人を見る。
「裸の手で収納を使う者など、初めて見たぞ」
「俺は剣だけでも驚いたんだがねえ」
悠真は照れながら笑った。説明はまだうまくできない。このスキルの便利さに、本人が一番驚いているところだ。
食事の準備をしていると、街道の先から怒鳴り声が響いた。
茂みの向こうの草地に、色とりどりの天幕が張られている。旅芸人の一座が、昼の休みを取っていたらしい。
その天幕の周りを、口から火花を散らす猪に似た魔物が何頭も走っていた。
「火猪だ!」
魔術師が鍋を置いた。
一座の男たちは水をかけた舞台の幕を衣装箱へかぶせ、火の粉を防いでいた。旅慣れた手際だ。だが、剣を持った用心棒は一人しかいない。一頭を追い払うたび、別の火猪が天幕の裏へ回り込んでいく。
悠真は鉄剣を抜いて走りだした。
「加勢します! 中の人を逃がしてください!」
「助かる! 裏に娘と爺さんが残ってるんだ!」
用心棒が目の前の火猪を押し返し、天幕の裏への道を空けた。そこから、化粧をしたままの娘と年寄りの楽師が走り出る。
火猪がその背を追った。
悠真は間へ入り、剣を振った。重いはずの火猪の体が宙へ跳ね、草地の土を大きくえぐって倒れる。
手応えはあった。だが、昨日の岩狼と比べれば驚くほど軽い。
残りの魔物が一斉にこちらを向いた。五頭。まともにぶつかれば、天幕ごと潰される。
悠真は空いた左手を前へ出した。初級火術の文字を呼び出し、威力を上げる。ただ炎を大きくするだけでは、天幕まで焼いてしまう。向けた先へまとまって進むよう、感覚を確かめながら放った。
赤い光が草の上を走った。
熱風が髪を揺らし、魔物たちの咆哮が途切れる。土煙が晴れた先には、焼け焦げた地面と動かない魔物が残っていた。
悠真は自分の手を見た。指先には焦げひとつない。
強化した火術は、想像した以上の力になっていた。
「……終わり、か?」
用心棒が剣を下げた。派手な上着の座長が駆け寄ってきて、悠真の両手を強く握る。
「ありがとう! どこの上級冒険者だ? 名前を教えてくれ、次の芝居の主役にする!」
「朝倉悠真です。冒険者には、これからなります」
「これから?」
一座の驚いた顔を見て、後から来た商人が愉快そうに笑った。
「俺も昨日、同じ顔をしたよ」
座長の礼を受け取り、魔石を回収してから荷車へ戻った。芝居の主役というのは、悪くない。どんな役者が自分を演じるのか、ちょっと見てみたい。
悠真が手にしたものは、すべて収納の中へ収まった。荷物が増えても体は軽い。魔術師はリーデンへ向かう道中、何度もその手を眺めていた。
「お前さん、師匠はおるのか」
「いません」
「そうか。なら、その力を面白がっておくことだ。わしも若い頃は、新しい術が使えるだけで嬉しかった」
それは今の悠真にもよく分かる。
「魔道具の店には、他にもこういう物があるんですか」
悠真は収納から水袋を取り出して見せた。
「灯り、湯を沸かす石、風を起こす杖。買うなら金はかかるぞ」
「見に行きます。今の護衛代で足りなければ、また稼げばいい」
商人が笑い、魔道具の店が並ぶ通りを教えてくれた。魔術師は荷台の箱を叩き、まずは自分の荷を届ける店へ来るといいと言う。悠真は二人の話を聞きながら、街で歩く順を決めた。
夕方、リーデンの門が見えてきた。
王都ほど高い壁ではないが、出入りする人々には活気があった。剣や杖を持つ男女が笑いながら歩き、露店に魔石が並ぶ。悠真は荷車を降りて商人たちと別れた。
「宿なら麦穂亭だ。女将の飯がうまいぞ」
教わった通りへ向かう途中、道端で二人の冒険者が話していた。
「西の奴隷商、また獣人を入れたらしいな」
「犬の娘か。きれいな顔だが、力を使うと暴れるんだと。買い手もつかんさ」
悠真の足が止まった。
暴れる力。使えない能力。
自分の身体強化の文字を思い浮かべる。余分な負担を消したときの感触は、まだ指に残っていた。
悠真は二人に声をかけ、店の場所を尋ねた。
お読みいただき、ありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや☆からの評価をいただけるとうれしいです。
感想も楽しみにしています。




