第29話 炎の姫は笑って剣を振る
ベルガーの商館の門は閉じられ、両側に立つ鉄の鎧が悠真たちへ槍を向けてきた。兜の中に人の顔はなく、胸元の赤い石だけが光っている。
「歓迎されてないな」
月鋼剣を抜いた悠真は、鎧が動き出すより早く一体の槍と腕をまとめて切り落とした。ほぼ同時に、リラの大剣がもう一体の胸の核まで砕く。
門の向こうで、誰かが悲鳴を上げた。
残った鎧を障壁で押し潰し、悠真は門へ手をかけた。身体強化を使えば、太い鉄の棒も十分に曲がる。扉ごと内側へ押し開くと、中庭にいた護衛たちが後ずさった。
「ベルガーはどこだ?」
返事を待つまでもなく、建物の入口へ太った中年の男が現れた。金色の飾りが多い服を着て、赤い石の杖を握っている。セリカの顔を見た瞬間、その口元が歪んだ。
「勝手な真似をしてくれたな。誰のおかげで剣を握っていられると思っている」
セリカの肩が固くなるのを見て、悠真は彼女の前へ出た。
「本人の力だろ。あんたの物じゃない」
「その女にかかった金を知らんのか」
「知る気はない。セリカに追手を出すのをやめろ」
ベルガーが杖を振り、赤い光がセリカへ向かう。だが、何も起きなかった。
それどころか、彼女は自分から一歩前へ出た。
「首飾りは、もう外したわ」
「外せるはずがない。そんなことをすれば、お前の炎が――」
セリカの掌に金色の火がともると、ベルガーは言葉を失った。悠真が説明するまでもない。火に包まれても、彼女の手は少しも焼けていない。
「もう、あなたの仕事は受けない」
炎を消したセリカが剣の柄へ手を置くと、ベルガーの顔がみるみる赤くなった。
「勝手なことを……その道具を返せ!」
「砕いた。もう使えない」
悠真が答えると、ベルガーは杖を振り上げた。
放たれた火球は正面の障壁にぶつかり、赤い光を広げてすぐに消えた。
熱すら届かない。
「次は俺の番だ」
悠真が押し出した障壁に杖をへし折られ、ベルガーは体ごと階段へ転がった。剣を抜きかけた護衛の一人も、リラが獣王の大剣を地面へ軽く打ちつけるとすぐに手を離した。
「もう、やめた方がいいと思います」
彼女の穏やかな声に、誰も逆らわなかった。
ベルガーだけは、まだ諦めていない。倒れたまま口へ運んだ腰の笛が甲高く鳴り、商館の奥で鎖のちぎれる音がした。
大きな扉が内側から吹き飛んだ。
中から現れたのは、炎をまとった巨大な牡牛だ。その体には、市場で倒した獣とは比べものにならない魔力が渦巻いている。
「獄火獣だ! 私の最高の商品を、その女ごと焼け!」
叫びながら這って逃げようとするベルガーの襟首を、悠真はつかんで門の脇の柱の前へ放り出した。そこへすかさず、リラが大剣の切っ先を男の鼻先へ置く。
「逃げるな。見ていろ」
隣で、セリカが剣を抜いた。
悠真が横目で見ると、緑の瞳はまっすぐ炎の獣へ向いていた。苦痛を堪える顔は、もうなかった。
「私がやってもいい?」
「もちろん。そのために強くした」
「町へ火が飛ばないようにだけ、お願い」
「任せてくれ」
中庭を囲った悠真の障壁は屋根より高く、獄火獣の吐いた炎をそのまま押し返した。その間にリラが護衛たちを入口の脇へ下がらせる。
セリカが前へ出る。
熱い風に赤い髪が広がった。片手剣にともった炎がすぐに明るい金色へ変わり、彼女は驚いたように目を見開いてから笑った。
「痛くない」
大きく振った剣から炎が弧を描き、獄火獣の前脚を焼き切った。魔物が悲鳴を上げる。自分も火に包まれているくせに、獣は彼女の炎に耐えられない。
セリカは一歩、また一歩と進んだ。
「こんなに出しても、平気なのね」
楽しそうな声だった。悠真はその横顔に見惚れた。
飛び退いた獄火獣が、残った前脚を壁へ叩きつける。商館の窓の奥で使用人たちの悲鳴が上がった。獣の火は、主人の建物だろうと構わず焼こうとしている。
悠真が囲いの壁を窓の前へ寄せると、セリカはその前を走って窓へ届く炎を自分の剣へ引き寄せた。引き寄せるほどに、剣身を包む金色が明るくなっていく。
「それ、吸い込めるのか?」
「できるみたい。私の方が、強いわ」
火をまとったまま構えた彼女が、獄火獣の逃げる先へ横一文字に炎を放つ。金色の壁に行く手を塞がれて、巨体は悠真の前へ押し戻された。
悠真の掌が、その額の角を押さえて突進を止めた。獣がいくら首を振っても、手は離れない。
「セリカ、戻すぞ」
押し返された魔物が、庭の中央へ転がる。そこにはセリカが待ち構えていた。剣を下げた姿勢から振り上げ、立ち直ろうとする獣の胸へ炎を叩き込む。
重い胴が浮き、石畳へ落ちた。首元に魔石の赤い光が覗いた途端、彼女の表情が変わる。
「見えた。次で終わらせる」
獄火獣が口を開き、大きな火柱を吐く。セリカは逃げなかった。剣を立て、真正面から炎へ切り込む。
彼女の炎が、獣の火を呑み込んだ。
中庭を満たした金色の波は悠真の障壁に当たって渦を巻き、魔物の巨体を包み込んだ。その中心へ踏み込んで、セリカは額の角の間へ剣を振り下ろす。
輝く一撃が、獄火獣を頭から断った。
炎が空へ抜けると、焼けた地面と大きな魔石だけが静かな中庭に残った。剣を下ろしたセリカが、自分の腕を見つめている。
どこにも新しい火傷はない。
彼女が振り返った。涙が頬を伝っているのに、笑顔だった。
「悠真。できた。私、好きなだけ振れた」
「ああ。格好よかった」
大股で歩いてきたセリカが、剣を収めるのももどかしそうに悠真の右手を両手でつかみ、そのまま額を押し当てる。
「ありがとう。本当に、ありがとう……!」
握ってくる指は、剣を振る者らしく硬い。その手が、今は小さく震えている。
助けてよかった。
空いた左手の置き場に迷った末、悠真はそれを赤い髪の上へそっと載せた。いい匂いがする、とは今は言わないでおく。
隣へ来たリラも、セリカの肩へ触れる。
「よかったですね」
「うん……本当に」
泣きながら笑って、セリカはようやく顔を上げた。悠真の手の甲を濡らしたと気づくなり、慌てて袖で拭こうとする。
「気にしなくていい」
「でも」
「その代わり、さっき約束した甘いものに付き合ってくれ」
彼女は顔を赤くして頷いた。
その時、柱の前でベルガーが騒ぎながら腰を浮かせた。すぐに戻ったリラが、大剣の切っ先をもう一度その鼻先へ据える。それきり男は立ち上がれず、護衛たちも誰一人近づかなかった。
駆けつけた衛兵に、セリカは自分の口で何をされたか話した。
市場の荷の持ち主を捜して来たという衛兵は、セリカの話を聞くと護衛にも事情を尋ね、ベルガーを連れていった。
「杖と首飾りの代金を払え!」
男が叫んだが、セリカはもう振り返らなかった。
護衛たちが武器を置いたところへ、商館の奥から荷運びの男が出てきた。使い込んだ革袋を、まっすぐセリカへ差し出す。
「裏の部屋に置いてあった物だ。あんたのだろう」
受け取った袋の着替えを確かめていたセリカが、小さな木の櫛を見つけて大事そうに取り出す。その口元が、ふっと緩んだ。
「ありがとう。剣だけしか持って出られなかったから」
「他の荷は、衛兵に見てもらってから送る。もうあいつに渡す必要はない」
男は悠真へも頭を下げた。袋を運ぼうと悠真が手を出すと、セリカは自分で持つと言う。そのかわり、門まで隣を歩いてほしいと頼まれた。
もちろん喜んで頷く。反対側にはリラが並び、三人で壊れた門をくぐった。
門の外には、騒ぎを聞いた人々が集まっていた。その中にいた茶店の店主が、悠真たちに気づいて片手を上げる。
「本当に片づけちまったのか。たいした冒険者だ!」
「今日は、彼女の手柄だよ」
悠真がセリカを示すと、皆の視線が彼女へ集まった。驚いて胸元へ当てかけた手が、途中で止まる。隠す首飾りはもうない。
「私、勝ったのよ。自分の剣で」
その言葉に拍手が返り、セリカは一度俯いてから顔を上げて笑った。隣で見ているこっちまで、なんだか誇らしい。これからもっと大きな歓声を、彼女と一緒に浴びるのも楽しそうだ。
通りを歩き出すと、昼の風が吹いていた。
何もついていない首へ触れて大きく息を吸うと、セリカは悠真へ向き直り、少し背伸びをした。
頬に、柔らかなものが触れた。
「お礼。今の私に、すぐ渡せるもの」
悠真は一瞬だけ言葉を失った。真っ赤になったセリカの反対側から、リラが頬を膨らませて腕へ抱きついてくる。
「悠真さん、嬉しそうです」
「……嬉しいよ」
正直に答えると、二人とも違う理由で顔を赤くした。それがおかしくて、笑いながら両側へ声をかけた。
「甘いもの、食べに行こう。今日は好きなだけ頼んでくれ」
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