第28話 助けてほしいと言ってくれ
倉庫街の外れに、朝の荷運びを終えた男たちが腰を休める小さな茶店があった。空いていた奥の席へセリカを座らせ、悠真は温かい飲み物と食べやすいパンを頼んだ。
水を飲み干して、ようやく彼女の肩から力が抜けた。頬にかかった赤い髪の下で、さっきまでの張りつめた表情が少し柔らかくなる。
「助かったわ。倉庫で倒れたら、また仕事が遅いって言われるところだった」
「体を焼きながら働いて、遅いも何もないだろ」
悠真が言うと、セリカは苦笑した。
「そう言ってもらえるの、久しぶり」
リラが半分に割って渡したパンを、セリカは礼を言って受け取った。初めは小さくかじっていたのが、次の一口は少し大きい。
悠真はその様子を眺めつつ、店主へ追加を頼んだ。美味しそうに食べる女性を見るのは好きだ。リラなら素直に喜ぶところを、セリカは平気な顔のまま目だけで皿を追う。その違いも面白い。
「それで、ベルガーとの関係は?」
落ち着いたところで聞くと、セリカは首飾りへ手を添えた。
「焔心が強くなりすぎた時に、あの人がこれを貸してくれたの。装備を作る仕事を手伝えば、調整もしてやるって」
「貸しただけで、あんなふうに痛めつけるのか」
「最初は、ここまでじゃなかった。仕事を断ったら熱が戻るようになって、そのうち、私の意思に関係なく……」
彼女が言葉を切っても、続きは分かる。治療を餌にして働かせ、逆らえば苦痛を与える。あの使いの男の様子からして、いつものことなのだろう。
気に入らない。
セリカが強いのは、倉庫で見た。自分の足で踏み込み、剣を振り、危険を前にしても人を下がらせた。そんな彼女が他人の機嫌一つで苦しむ姿は見たくない。
「外してしまえば?」
「炎が溢れる。前に一度、鎖が切れたことがあるの。その時は、部屋の壁が真っ黒になった」
「抑える道具に、わざわざ苦痛を与える仕掛けまでつけたわけか」
悠真が首飾りへ意識を向けると、赤い石からセリカの力へ絡む文字が見えた。炎を制限し、外からの命令を受ける仕組みだ。複雑なようでも、書記には文字として読める。
嫌な仕掛けは取り除けるし、焔心の反動も消せるはずだ。
気づけば、悠真は笑っていた。
「何か、わかったの?」
「助けられる」
セリカが顔を上げた。
「その首飾りを外して、炎で自分を焼くこともなくせると思う」
「そんなこと、できるの?」
「リラも、似たようなことで困ってた」
悠真が隣を見ると、リラは自分の手を開いた。
「私は、力を使うと自分がわからなくなるスキルでした。仲間を傷つけるかもしれなくて、ずっと怖かったです」
セリカの表情が変わった。リラは続ける。
「悠真さんが、怖いところだけ消してくれました。今は自分のままで、思いきり戦えます」
「……だから、あんなに楽しそうだったの」
倉庫で戦うリラを思い出したのか、セリカが目を細める。頷いたリラは、悠真の腕へ触れた。
「嬉しいんです。強い自分を、好きになれました」
リラの顔を見てから悠真へ向き直ったきり、セリカはしばらく黙っていた。その間に窓の外を荷車が通り、車輪の音が遠ざかっていく。
「信じたいわ」
ようやく出た声は、小さかった。
「でも、何も返せないかもしれない。貯めたお金も、ほとんど調整代に取られていて」
「金を取り立てに来たんじゃない」
悠真はセリカの手元へ、温かい飲み物を寄せた。
「助かったら、一緒に旨いものを食ってくれ。あと、自由になった剣を見せてほしい。気が合えば、一緒に冒険もしたい」
「それだけ?」
「今はそれで十分。セリカは強いし、綺麗だし、隣にいてくれたら俺が嬉しい」
彼女が目を丸くするのと同時に、横からリラが悠真の腕をつついた。
「悠真さん、すぐにそういうことを言うんですね」
「思ったことを言っただけだよ」
「……綺麗なのは、私も思いますけど」
リラがちらりと目を向けると、セリカのほうが少し赤くなった。
「あなた、変わってるわ」
「そうか?」
「でも、さっき助けてくれた時は、少し格好よかった」
「少し?」
悠真が聞き返すと、セリカは笑った。
「かなり。これで満足?」
「満足だ」
笑いが収まると、セリカは悠真の手に目を落とした。
「助けてほしい。もう、あの人の顔色を見て剣を振るのは嫌」
「分かった。どこで誰と剣を振るかは、セリカが決めればいい。首飾りに触れていいか」
頷いた彼女が襟元を開く。悠真が赤い石へ指を当てて外から命令を受ける部分を消すと、石の奥にあった不気味な光が弱まった。
続けて焔心の文字へ触れ、使用者にも熱の害を返す項目を消す。炎の量と強さは、本人が選べるように整えた。これだけの力を、無理に抑え込む必要はない。
文字が輝き、新しい名に変わった。
「焔姫。今のセリカの力だ」
息を吸ったセリカの背筋が伸び、強張っていた手が胸元へ触れる。
「もう、熱くない」
悠真が鎖を切って赤い石を外すと、セリカは黙ったまま何度も自分の首を確かめた。
「火、出してみてもいい?」
「少しだけな。店の中だから」
彼女の掌に、小さな炎が灯った。金色の火が肌に触れても、傷一つできない。もう片方の指を恐る恐る近づけて、セリカが目を見開く。
「痛くない。本当に……」
その声が少し震えた。炎が消えるのを待って悠真が取った手は、もう普通の体温に戻っている。
握り返してきたセリカが、何か言おうとして唇を結ぶ。その目に涙が浮かんでいる。悠真は何も言わず、布だけを渡した。
茶店の扉が乱暴に開いたのは、その時だった。
戸口には、倉庫の使いと棍棒を持った男たちが立っている。客たちが息をひそめ、店主が奥へ下がる。
「セリカを返せ」
悠真は椅子に座ったまま、使いへ目だけを向けた。
「本人に聞けよ」
「商館の仕事だ。よそ者が口を出すな」
「もう戻らないわ」
答えたセリカの首元に気づいて、使いの顔が強張った。
テーブルへ近づいた男の一人が、セリカの腕をつかもうとする。伸びてきた手は、悠真がその前へ置いた障壁にぶつかって押し戻された。
「店を壊したら弁償してもらうぞ」
その一言で、男たちが武器を構えた。腰を浮かせかけたリラを軽く手で制して、悠真は自分で立ち上がった。
最初の棍棒は素手で受け止めた。硬化を強めた腕に痛みはなく、握ったところから木が砕けて相手の顔が青くなる。
残る二人は障壁でまとめて押し、入口の外まで転がした。通りで悲鳴と笑い声が重なる。怪我をさせるほど力は込めていないが、立ち上がる気力は失ったようだ。
使いだけが、扉の横で固まっている。
「ベルガーに伝えてくれ。今から話をしに行く」
「お前、何様だと――」
「岩竜を倒した冒険者だ。言えばわかるだろ」
名乗りは効いたらしく、使いは顔色を変えて男たちを急かしながら逃げていった。悠真は店主へ騒がせた詫びを言い、壊れた棍棒をまとめた。
「店は無事だ。気にしないでくれ」
店主はそう言って笑い、追加のパンまで包んで持たせてくれた。礼を言って席へ戻ると、セリカはもう椅子から立ち上がっていた。
「商館へは、私も行くわ。追いかけてくるのを、もう終わらせたい」
「一緒に来てくれ。あそこの仕掛けを知ってると助かる」
外した首飾りを悠真が握り潰し、残骸を小さな袋へしまう。それを最後まで見届けてから、セリカは剣を腰へ戻した。
リラが入口へ並びながら尋ねた。
「商館の用が済んだら、何を食べたいですか?」
「……甘いもの。ずっと、我慢してたから」
「では、いいお店を知っています」
「商館には、守りの魔道具もあるわ。入り口の鎧は勝手に動くし、ベルガーは炎の杖を持ってる」
思い出したようにセリカが言う。聞くほどに楽しみになってきて、剣の位置をつい直してしまう。
「迷宮で動く像は倒した。炎も受け止められる。ほかには?」
「大きな獣を飼ってる。私にも触らせなかったものが」
「それも片づけよう。町へ逃がされたら、せっかくの休みがまた潰れる」
悠真が笑うと、セリカは呆れたように息を吐いた。それでも口元は笑っている。
「あなたと話してると、私まで勝てる気がしてくるわ」
「勝つからな」
三人で茶店を出ると、大通りの突き当たりにベルガーの商館が見えた。赤い屋根と大きな門が目印だ。
先ほどまで襟で隠していた首を上げて、セリカが真っ直ぐ前を見て歩きだす。その横に並び、悠真も月鋼剣へ手を添えて大通りを進んだ。
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