第27話 炎を振るう赤毛の剣士
東の倉庫街へ入ると、朝の冷たい風に焦げた匂いが混じっていた。リラと並んで歩くうちに、開いたままの倉庫の扉が目に入る。
中から剣の音がした。
「近づかないで!」
女性の声と同時に、赤い炎が扉から噴き出した。とっさにリラを引き寄せて、悠真は障壁で受け止める。火は一瞬で消えたが、倉庫の中ではまだ何かが暴れていた。
黒い甲殻を持つ巨大な蠍が、木箱を踏み潰していた。その前に立ちはだかる赤毛の剣士が、炎をまとわせた片手剣で鎌のような鋏を鮮やかに受け流している。
歳は悠真と同じか、少し上くらいだろう。長い脚を包む革の装備がよく似合っている。悠真の目が一瞬、蠍より脚の方へ行った。
綺麗な人だ。
次の瞬間、その胸元が赤く光った。苦しげに顔を歪めて、彼女は剣を振る手を止めてしまう。そこへ頭上から、蠍の尾が落ちてきた。
悠真は障壁を差し込んだ。
毒針が透明な壁へ激突し、乾いた音を立てる。女剣士が驚いて顔を上げた。
「手伝う!」
倉庫へ踏み込みざまに、悠真は月鋼剣で蠍の鋏を切り落とした。黒い甲殻は岩竜よりずっと柔らかい。反対側へ回ったリラが、獣王の大剣で尾を叩き砕く。
蠍が暴れるたびに木箱が宙を舞う。女剣士の方へ飛んだ箱を悠真が障壁で弾き、返す刃を敵の頭へ突き立てる。
巨大な体が沈む。倉庫の床が揺れ、やがて静かになった。
女剣士は片手で胸元を押さえながら、悠真たちを見た。
「あなたたち……」
「悠真。こっちはリラ。昨日の市場の魔物について聞きに来たんだけど、忙しそうだったから」
「昨日のって、あの火獣を倒した二人?」
悠真が頷くと、彼女は息を吐いて剣を下ろした。
「助かった。私はセリカ。ここの魔物を片づける仕事をしているの」
言葉ははっきりしているが、顔色はよくない。赤い髪の下に見える首には薄い火傷の跡があり、襟の隙間で赤い石の首飾りが揺れていた。
その首飾りへ悠真が目を向けた時だった。能力の文字が浮かぶより先に、奥の箱が大きく動く。
「下がって。まだいるわ」
剣を上げたセリカの前へ、悠真が進み出る。
「今度は一緒にやろう。何が出る?」
「鉄牙の猿。箱を開ける前に暴れ始めたのよ」
「全部で何匹?」
「三匹」
箱の蓋がはじけて、腕の異様に長い猿が飛び出してくる。二匹は悠真へ、残る一匹は出口へ向かった。
「リラ、出口!」
「任せてください!」
リラの大剣が横へ走り、逃げようとした猿を倉庫の奥へ叩き戻した。悠真の方は一匹を斬り捨て、もう一匹の腕を障壁で受け止めた。
その隙にセリカが飛び込んだ。
剣が炎に包まれる。さっきより明るく、強い火だった。魔物の黒い毛が一瞬で燃え、刃が胸へ深く入る。
「いい剣だな」
「そっちこそ、楽に止めすぎよ」
セリカが笑った直後、胸元の石がまた赤く光る。彼女の息が詰まり、剣の炎が乱れた。
悠真は駆け寄って、その肩を支えた。
「大丈夫か?」
「平気。少し、熱が戻っただけ」
言葉とは裏腹に、肩に触れた手へ異常な熱が伝わってくる。額には汗が浮き、呼吸も浅い。
悠真は自分の火術を弱く使い、周囲の熱を散らした。根本的な解決にはならないが、彼女が息を整えるだけの余裕はできる。
リラが最後の猿を倒すと、倉庫の奥で小さく声がした。積まれた木箱の下から、男の手が出ている。
セリカは顔を上げた。
「まだいたの? 他の人と出たと思ってたわ」
「脚が挟まって、動けなかったんだ」
悠真がすぐに木箱を持ち上げると、中身は魔道具らしくかなり重かった。空いた隙間から這い出した男が、自分の脚を確かめる。
「痛むか?」
「少し擦れただけだ。助かったよ」
セリカが立とうとしたので、休んでいるよう悠真が止めた。リラが男を支えて入口へ連れていくと、外で待っていた荷運びの仲間たちが駆け寄ってきた。
「あの蠍は?」
「もう動きません。奥の猿も、全部倒しました」
リラの答えに、男たちはようやく倉庫へ入ってきた。セリカは彼らへ壊れた箱を指し、中に残る小さな赤い石には触れないよう頼んだ。
悠真はその石を一か所へ集め、転がらないよう空箱へ入れた。魔獣を呼び出す品は、まだ起動していない。男たちには、触らずに見張っていてもらえばいい。
「後は俺たちで片づける。セリカ、あんたは休んでくれ」
助け出された男が言った。セリカは少し迷ったが、倒れた蠍が動かないのを見て頷いた。
リラがこちらへ戻ってきた。
「お水、飲めますか?」
礼を言って受け取ったセリカは、水を飲む間も首飾りに触れないよう気をつけていた。その様子が、どうにも気になった。
「その首飾り、痛むのか」
「……見ればわかる?」
「かなり」
困ったように笑って、セリカは倉庫の壁にもたれた。見上げてくる緑の瞳にはまだ警戒が残っているが、助けてもらった相手として話す気にはなったらしい。
「私の炎は強すぎるの。使うと、自分まで焼く。この首飾りが抑えてくれるから、なんとか動ける」
「それでも痛い?」
「抑えきれない時があるわ。今日は少し多く使ったから」
悠真が能力の文字へ意識を向けると、セリカ本人の力が浮かんだ。焔心。炎を生み出し、剣へまとわせ、離れた敵まで焼ける強力な能力だ。
その下に、使用者にも熱の害を返すという項目があった。
リラの狂戦士を見た時と似ている。力そのものは優秀なのに、余計な条件が足を引っ張っている。悠真の指が、無意識に動きかけた。
「悠真さん?」
その手を見たリラが、期待した顔をする。彼女もわかったのだろう。小さく頷き返して、悠真はまずセリカへ目を戻した。
「その力、いつから?」
「子供の頃から。最初は小さな火だけだったけど、強くなるたび熱も増えた。剣を振れるようになった頃には、一人では扱いきれなかった」
痛みが引いたのか、彼女の指は自然に剣の柄へかかっていた。
「好きなんだな、剣で戦うの」
「ええ。だから、やめたくなくて」
悠真は頷いた。あの剣がもう一度、思いきり鮮やかに走るところを見てみたい。
「あなた、魔法剣士なの?」
セリカが悠真の剣へ目を向けた。
「剣も炎も、あの壁も使っていたわ。そんなふうに戦う人、初めて見た」
「俺のスキルは書記だよ」
「書記?」
意外そうな声が返ってきた。セリカの目が、剣と悠真の顔を何度も行き来する。
「名前だけで決めると、損をする能力なんだ」
「そうみたいね。さっきの蠍、硬い殻を割るのに何人もいるはずなのに、一人で斬ってしまうんだから」
感心したように見つめられると、悪い気はしない。気分よく頷いてから、首飾りへ話を戻した。
「首飾りを売ったのは、ベルガーか?」
セリカの表情がわずかに固くなった。
「そう。あの人の商館で働いている。今日の魔物も、商館の商品よ」
「昨日、市場でも暴れた」
「聞いたわ。私が行くよう言われた時には、もう片づいたって」
唇を結んだ彼女が首飾りへ目を落とした時、倉庫の入口から足音がした。そこに立っていた細い男は上等な上着を着ていたが、悠真たちを見る目は冷たい。
「セリカ。終わったなら商館へ戻れ」
「まだ後片づけがあるわ」
「雇い主を待たせるつもりか」
男が胸元の小さな板へ触れた。セリカの首飾りが光り、彼女の肩が大きく震える。
悠真は男の手首をつかんだ。
「今、何をした?」
「放せ。これは商館の――」
「何をしたか聞いてる」
少しだけ力を込めると、男の顔が歪む。その手から取り上げた板を、悠真は床へ落として踏み砕いた。首飾りの光が弱まり、セリカが詰めていた息を吐く。
男が後ずさる。
「ベルガー様に逆らえば、ただでは済まんぞ」
「だったら本人が来い。彼女は休ませる」
悠真が腰に下げた月鋼剣が目に入ったのか、男は言い返しかけた口を閉じて、逃げるように倉庫を出ていった。
リラがセリカを支え直す。その足元には、悠真が砕いた板の残骸が散らばっていた。治療の道具に、遠くから痛めつける仕掛けなんかいらないだろう。
「セリカ。少し、話を聞かせてくれ」
「巻き込むつもりは……」
「俺が聞きたい。あんな奴に、いいようにされてるのは気に入らない」
こちらを見た彼女の顔には、まだ迷いがある。それでも、さっきまでの諦めた顔とは違っていた。
リラが優しく声をかけた。
「悠真さんなら、力になれます。私も、そうでした」
セリカは二人を見比べ、それからゆっくり頷いた。
「……少しだけ、休める場所へ行きたい」
「わかった。立てるか?」
差し出した手を、セリカが握った。熱の残るその指を、しっかり握り返す。
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