第26話 燃える市場と焦げた首飾り
市場へ着くと、屋台の間を犬ほどもある火のイタチが走っていた。踏んだ跡に炎が残り、そこから果物の木箱が一つ燃え始めている。
店主たちは鍋や蓋を叩いて、大きな音で追い払おうとしていた。だが獣は逃げるどころか、音のする方へ向かっていく。新しく騒ぐ店が出るたびにそちらへ走るので、獣は市場じゅうを駆け回っていた。
「音を止めて、店の裏へ下がってくれ!」
「野良の獣なら、これで山へ逃げてくんだ!」
「こいつは音に寄ってきてる!」
悠真が叫び返すと、鍋を持った男が目を見開いて手を止めた。ほかの店主たちも、リラの大剣を見て道を開ける。
「水をかけるか?」
桶を抱えた男が聞いた。
「燃えている箱に頼む。獣は俺たちがやる」
悠真は月鋼剣を抜いて、火の獣の前へ出た。胸のD札は、朝から服の上へ出したままだ。見せたくて出しているのだから、しまう理由もない。
獣が吠えて炎の牙をむくのと同時に、横へ広げた障壁が人のいる場所を切り離した。市場の真ん中に、透明な囲いができる。
「中へ飛び込むなよ。外から見ていてくれ」
「逃げ道を、塞いだのか?」
男たちが驚きの声を上げた。囲いの中で獣が障壁へ突っ込み、鼻先をぶつけて跳ね返る。ひるんだところへ踏み込み、悠真は月鋼剣を一度振った。
火の体が真っ二つになった。
だが散った炎が、地面へ転がった赤い石へ戻っていく。能力の文字を読めば、核はその一つだけだ。壊さない限り、体を何度でも作り直すらしい。
「リラ、石の周りを払ってくれ」
「はい!」
黄色い服の裾を揺らして、リラが軽やかに走る。集まりかけた炎を金色の刃が横へ散らし、その隙に悠真が剣先を石へ突き込んだ。
硬い石が割れると、残った炎も霧のように消えた。
市場が静かになった。
次の瞬間、歓声が上がる。鍋を持っていた店主が、そのまま両腕を突き上げた。
「やったぞ! 火の化け物を倒した!」
燃えていた木箱には、もう水がかけられていた。屋台へ移る前に火は消え、逃げた人々も少しずつ戻り始めている。
「怪我をした人は?」
「いない。あんたたちが来なかったら、どうなってたか」
果物売りの男が深く頭を下げる。悠真が頷き返して隣を見ると、リラの服にも髪にも焦げた跡はなかった。
「無事でよかった」
「悠真さんが囲ってくれましたから」
「服も綺麗なままだな」
彼女は裾を見て、嬉しそうに笑った。
「買ってもらったばかりなので、大事にしたかったんです」
悠真はリラの腰へ手を添えた。拍手がなかなか鳴りやまないので、もう少しだけその場に立っていることにする。
そこへ、年配の露店商が駆けてきた。
「まだ一つある! 奥の荷車だ!」
示された荷台で、金属の首輪が一つだけ赤く光っていた。はめ込まれた石にひびが走ったかと思うと、噴き上がった炎が渦を巻いて膨らみ、見る間に熊の形になる。最初のイタチの何倍もある巨体が、燃える腕を振り上げて荷車を叩き潰した。
人々の悲鳴が戻ってくる。飛び散る木片は、重ねて張った障壁がすべて受け止めた。
「その荷車、誰の荷物だ?」
悠真が聞くと、露店商は首を振った。
「魔道具の荷だ。持ってきた奴は、最初の獣が出た時に逃げた!」
「わかった。下がってて」
熊の炎が一層強くなり、近くの屋根を焦がす。悠真は荷車と隣の露店をまとめて障壁で囲み、人々へ熱が届かないようにした。露店の台には、布の上に熟した果物が並んでいる。
獣が内側で暴れるたび、炎が障壁に押し返される。そこへ自分の火術を送り込み、敵の火を強い流れで一か所へ寄せていく。核さえ見えれば、あとは簡単だ。
「そこか」
熊の胸の奥で、赤い石が輝いた。障壁の外から、悠真の名を呼ぶ声が聞こえる。
一撃で決めてやろう。悠真は剣を大きく振りかぶり、核へ向けて横に薙いだ。
白い斬撃が熊の胸を抜けた。石が割れ、起きた風が隣の露店まで走る。
炎の熊は音もなく崩れ、残った火も障壁の中で消えていく。悠真が手を下ろした時、獣のいた場所には荷車の残骸があるだけだった。
店主たちは今度こそ、言葉を失っていた。やがて誰かが手を叩くと、拍手が市場いっぱいに広がった。
「見たか、今の! 一振りだぞ!」
「まあ、あれくらいはな」
悠真が答えると、歓声はさらに大きくなる。そこへ、鋭い声が割って入った。
「ちょっと、あんた!」
隣の露店の女主人だった。台に敷いた布がひっくり返り、果物が石畳いっぱいに転がっている。潰れた実から、赤い汁がにじんでいた。
「魔物を倒すのに、うちの商品まで吹き飛ばすんじゃないよ! 周りを見てから振りな!」
悠真は剣を下ろした。格好よく決めたつもりだったのに。耳まで熱くなる。隣のリラも、台から落ちた果物を見ていた。
「……すみません。弁償します」
「それと、拾うのを手伝って」
「はい」
しゃがみ込んで、傷んでいない実を籠へ戻していく。リラも手伝ってくれたが、その顔はまともに見られなかった。代金を渡してから、もう一度短く謝る。
女主人は銀貨を数え、ふんと鼻を鳴らした。
「次は気をつけな」
「はい」
悠真は胸の上に出していた札を、黙って服の内側へしまった。
火を消していた店主たちが、食べ物を持って集まってきた。焼き串、丸いパン、甘い果物。リラの影収納袋が早速役に立つ。
「こんなにいただいていいんですか?」
「店を守ってもらったんだ。遠慮せず食ってくれ」
窺うように見てくるリラに、頷いてやる。彼女は笑顔で礼を言い、もらった物を袋へ収めていく。
「これで、今夜の分まで食べられますね」
「俺は焼き串が気になる」
「一本、もういただきますか?」
「そうしよう」
二人で熱い肉を食べていると、荷車の残骸に同じ形の首輪がいくつも転がっているのが目に入った。詳しい用途はわからないが、獣を呼び出す魔道具なのだろう。
市場にこんなものを運び込まれるのは困る。せっかく見つけた旨い店が、次に来た時に焼けていたらたまらない。
「誰が売っていたものか、心当たりはある?」
悠真が露店商へ聞くと、男は少し声を落とした。
「ベルガーの商館だと思う。ああいう赤い石を使うのは、あそこだからな」
「有名なのか」
「魔道具なら大抵のものは揃う。値段も態度も高いがね」
向かいで花を売っていた丸顔の女店主が、首輪を覗き込んだ。
「それ、首飾りに似てるわ。赤毛の剣士がつけてるもの。あの子も最近、苦しそうにしていたの」
「首飾り?」
「胸元に赤い石があるのよ。焦げた跡を隠すみたいに、いつも上着の襟を立ててる」
悠真は焼き串を食べ終え、木串を屋台の屑籠へ捨てた。首飾りで苦しむ剣士、か。あの子、と言うからには女の子だろう。
「その人はどこにいる?」
「商館の仕事で、東の倉庫へよく行ってる。今朝も見たわ」
悠真が頷くと、リラが隣から覗き込んできた。
「行ってみますか」
「明日な。今日はもう十分働いた。今夜はリラと過ごしたい」
彼女の頬がすぐに染まり、それを見た女店主がにこにこしている。悠真は目をそらしたが、言ったことは取り消さなかった。
ギルドから駆けつけた職員へ状況を短く伝え、荷物の回収は任せてしまう。それが済むと、すぐにリラの手を取った。
市場を出る前に、果物売りの男が追いかけてきた。手には小さな花束がある。
「向かいの花屋からだ。彼女に渡してやってくれ」
「ありがとう。ちょうど欲しかった」
受け取った白と黄色の花を悠真が差し出すと、リラは大剣を袋へしまって両手で大切に抱えた。
「服と同じ色ですね」
「似合うと思った。今夜は部屋に飾ろう」
リラは花へ鼻を寄せている。その横で悠真は男へもう一度礼を言い、市場を後にした。
夕暮れの通りを、二人でゆっくり歩く。背後の市場からは、もう店じまいの声が聞こえていた。肩を寄せてきたリラの髪で、銀の髪飾りが夕日を弾く。
「部屋の窓辺に置きたいです。朝も、よく見えるので」
花束を持ち上げてみせるリラに、それなら細い花瓶も買って帰ろうと答える。まだ開いている雑貨屋が、どこかにあるはずだ。
明日は東の倉庫へ行く。面倒な魔道具がまた暴れるなら、片づけてしまえばいい。
首飾りで苦しんでいるという赤毛の剣士にも、会って話を聞いてみたかった。
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