第19話 扉の前の約束
休憩所の暖炉に火が入ると、石の壁に赤い光が映り、冷えていた指先にも温かさが戻った。悠真は収納から肉とパンを出し、リラの前に置く。彼女の目が、扉を守る石の兵を見た時より明るくなった。
「これ、私の分ですか?」
「半分ずつだ。足りなければ追加しよう」
「悠真さんといると、ご飯が楽しみです」
パンを割ったリラが、柔らかい方を差し出してくる。悠真が受け取ると、彼女は残った方へ肉を挟んでかぶりついた。犬耳が気持ちよさそうに傾く。
外の通路には、石を引きずる重い音が響いている。それでもここへ入ってくる気配はない。悠真は入口を見渡せる場所に座り、焼いた肉へ香草を乗せた。
「リラは、肉なら何でも好きなのか?」
「好きです。でも今なら、悠真さんが分けてくれるのが一番です」
「それは味の話じゃないだろ」
「味もいいんです。熱いところを先に冷ましてくれるし」
自分でも気づかない癖を挙げられ、悠真は肉を持つ手を止めた。確かに、さっき渡したものは少し火から離していた。リラはそういう小さなことまで見ている。
「火傷されたら困るからな」
「じゃあ私も、悠真さんの分を冷まします」
彼女が差し出した肉には、きちんと香草まで添えられている。悠真は素直に受け取り、口へ運んだ。表面は香ばしく、中から甘い脂が出る。
「うまい」
「はい!」
元気な返事が返ってきた。
「帰ったら、何を食べたい?」
悠真が聞くと、リラは真剣に考え込んだ。尾が床をゆっくり叩く。
「麦穂亭の肉のパイも好きです。市場にあった、丸くて甘いパンも食べたいです」
「あの果物が入ったやつか」
「はい。二つ並べて売っていたものです」
「じゃあ帰りに買おう。パイの後でも食べられるだろ」
「食べられます!」
勢いのよさに笑うと、リラも照れたように頬を緩めた。
食事を終えても、彼女はすぐに立とうとしなかった。大剣を横へ置き、悠真の隣へ少しずつ寄ってくる。肩が触れたところで止まり、金色の瞳が見上げてきた。
「迷宮を出たら、また一緒に次の仕事をしますよね」
「するよ。何か心配か?」
「心配というか……楽しいことが続くの、まだ慣れていなくて」
悠真は彼女の手に触れた。
「続ければ、そのうち慣れる。仕事だけじゃなく、遊びにも行こう」
「遊び?」
「買い物とか、景色のいい場所に行くとか。俺もこの世界のこと、まだほとんど知らないし」
「じゃあ私が、いい匂いのお店を探します」
「頼もしいな。それと俺は、いずれ別の町にも行ってみたい。もっと大きな迷宮がある所へ」
「今の迷宮よりも?」
「ああ。この剣で、どこまで行けるか知りたい。リラは、行きたい所があるか?」
彼女は少し考え、広い場所で思いきり走ってみたいと言った。市場の人混みや迷宮の狭い通路では、大剣を持ってのびのび動くことはできない。
「じゃあ、次は草原を探そう。俺も追いかける」
「競走ですか?」
「どっちが速いか、試してみよう」
リラの顔が明るくなった。迷宮の外で力を使うことを思いついたらしく、走った後に水辺で休みたいと続けた。
「お昼も持っていきましょう。私、お腹がすくと思います」
「俺もだ。遊びに行く日を一日空けておこう」
リラの手が、悠真の手を握り返す。温かく、少しだけ緊張していた。
「その先も、ずっと一緒がいいです」
悠真は彼女へ向き直った。
「俺も、一緒にいたい」
リラは大きく息を吸い、嬉しそうに俯いた。耳の先まで赤い。悠真も顔が熱くなって、暖炉の薪を一度だけ崩した。
しばらく二人で、手をつないだまま火を見ていた。
外で石の音が止む。悠真が顔を向けると、赤い光が通路の奥を横切った。兵が巡回を変えたらしい。
「そろそろ行くか」
「はい。約束した甘いパンのためにも、勝ちます」
リラは大剣を抱えて立ち上がった。今の彼女なら、あの兵を正面から打ち砕けるだろう。悠真は火を落とし、休憩所から通路へ出た。
扉を守る六体の岩兵が一斉に振り向く。胸の光が強まり、持っていた石の武器を掲げた。槍、斧、剣。どれも触れれば人の体など簡単に潰せる重さがある。
最初の一体が斧を振り下ろした。床が爆ぜ、砕けた石が雨のように降る。悠真は降りかかる石を肩で払い、月鋼剣を振り上げる。
剣は石の腕を軽々と断った。
岩兵が崩れる前に、胸の光へ刃を届かせる。赤い核が割れ、巨体がただの石の山へ戻った。手応えはある。それでも重すぎない。込めた力が、そのまま刃先まで届いている。
「リラ、二体いけるか」
「三体でも!」
彼女は飛んできた石槍を大剣ではじいた。その勢いで近づき、敵の胴へ横殴りの一撃を入れる。石の体が壁まで吹き飛び、後ろの一体を巻き込んで砕け散った。
リラの笑顔が見えた。思いきり振れて、楽しくて仕方ない顔だ。
だが倒れた一体が、腕だけを持ち上げた。大剣を振り終えたリラへ、鋭い石片が飛ぶ。悠真は彼女の前へ踏み込み、月鋼剣の腹で石片を受け流した。硬い音が何度も耳を打つ。
「まだ動けたんですか」
リラが振り返り、まだ光る核を踏み砕く。悠真は石片の刺さった壁を見た。まともに受けたら軽傷では済まない。相手が崩れても、光が消えるまでは目を離さない方がいい。
「次からは、胸の光が消えるまで砕こう」
「はい。助けてくれて、ありがとうございます」
「お互い様だろ」
彼女は頷き、悠真の背中を守る位置へ移った。
悠真は剣を握り直す。目の前の岩兵が一斉に近づいてきた。今度は好きに仕掛けさせる気はない。
残る三体が武器を捨て、胸の赤い光を膨らませた。能力の文字が浮かぶ。核を爆発させ、侵入者を巻き込むつもりだ。
「下がらなくていい。俺がまとめる」
悠真は火術を使った。狙いは岩兵の足元。炎が低く走り、三体を包んで柱になる。熱が通路を満たした瞬間、月鋼剣から放った斬撃が三つの核をまとめて砕いた。
爆発は炎の中へ飲まれ、短い衝撃だけが外へ漏れる。悠真は腕で顔をかばい、火が消えるのを待った。残ったのは黒く焼けた石と、赤い魔石の欠片だった。
「おしまいですね」
リラが大剣を下ろす。悠真は周囲を確認してから頷いた。六体いた兵は一体も動かない。扉の前まで、何も邪魔するものがなくなっていた。
胸の奥が気持ちよく熱い。
「怪我は?」
「ありません。悠真さんは?」
「俺も平気だ」
リラは安心すると、砕けた核の中から大きな魔石を拾った。赤い石を掌に並べて見せる仕草が、綺麗な木の実を拾った人のようで可愛らしい。
「これで、甘いパンをたくさん買えますか」
「店ごと買えるかもしれない」
「そんなに?」
「本当の値段は帰ってからだけど、かなりいい魔石だと思う」
リラは楽しそうに魔石を悠真の手へ載せた。悠真はそれを収納し、扉へ向き直る。青銅の縁取りがされた石の表面には、人の手を当てるほどのくぼみが二つあった。
片方へ触れると、扉の中で何かが動く。だが開かない。もう片方は、腕を伸ばしても届かない位置にある。
「リラ、そっちを頼む」
「二人で、ですね」
彼女が手を添える。悠真が力を込めると、低い響きとともに扉が奥へ押し込まれた。閉ざされていた空気が流れ出し、頬を熱く撫でる。
奥は広い回廊だった。左右に背の高い像が並び、その腕に丸い筒が抱えられている。砲口のようだ、と悠真が思った途端、手前の像の目に火がともった。
透明な壁が回廊を横切り、二人の行く手を塞ぐ。さらに奥で、赤い火球が形を取り始めていた。
悠真の目に、今まで持っていなかった能力の文字が浮かぶ。
「魔法障壁、か」
彼は月鋼剣を構えたまま笑った。欲しかった守りが、向こうから姿を見せてくれた。
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