第16話 暗闇さえ見通す目
休憩所で目を覚ますと、リラがすぐ隣にいた。
毛布は二枚敷いたはずなのに、いつの間にか肩が触れるほど近い。栗色の髪が悠真の腕へかかり、柔らかな耳が寝息に合わせて動いている。
可愛い。
これが見られるなら、迷宮に泊まるのも悪くない。
彼が少し動くと、リラの目が開いた。
「おはようございます」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい。悠真さんが近くにいたので」
照れる様子もなく答え、彼女はもう少しだけ肩を寄せた。悠真は髪を撫でたが、しばらくして自分から起き上がる。ここで甘えてばかりでは、欲しい剣に会えない。
朝食を済ませ、二人は休憩所を出た。昨日助けた探索組は、少し前に地上へ向かったらしい。礼にもらった干し果物の残りを収納し、悠真は階段へ進んだ。
巨大猪を倒した広間は静かだった。
その先の階段を降りると、灯りの届く範囲が急に狭くなる。炎の大きさは変わらないのに、壁の黒さへ光が吸われるようだ。
悠真は足元を確かめた。ひび割れた石が続き、ところどころに深い窪みがある。
「リラ、近くにいて」
「はい。右の奥で何か動いてます」
彼女の声を頼りに剣を構えた。
見えない相手と戦うのは面白くない。せっかく強くなったのだから、どんな魔物か見ながら倒したい。
悠真は目を凝らした。闇の中に、二つの緑の光が浮かぶ。
獣の目だ。
書記の力を向けると、文字が浮かんだ。
『影猫 夜目 忍び足』
夜目。今欲しいものが、ちょうどある。
悠真はその文字を自分へ写した。暗かった通路が少し明るくなり、大きな黒猫のような獣の姿が見える。
輪郭はまだぼやけている。悠真は能力の説明を書き換えた。
もっとはっきり、距離まで分かるように。
『明視』
視界が開けた。
黒い壁の凹凸も、床の割れ目も、影猫の毛並みまで分かる。
「見える」
悠真は笑った。
影猫が地面を蹴った。短剣ほどもある爪が胸へ迫るが、今は速さまでよく分かる。
悠真は体をずらし、通り過ぎる首へ剣を振った。獣が床へ転がり、黒い毛が一瞬だけ灯りに浮かぶ。
後ろにもう二匹。
「リラ、左から一匹。俺が右をやる」
リラが大剣を振るう。彼女は音で相手を捉え、飛び込んできた影猫を確実に打ち落とした。
悠真は右の一匹へ踏み込み、喉元へ剣を通す。
すべて倒れるまで、ほんの短い間だった。
「よく見えるようになったんですか?」
リラが尋ねた。
「夜目を写して強くした。リラにも渡すよ」
手を重ねて付与すると、彼女がぱちぱち瞬きをした。
「わあ……壁の端まで見えます」
「これなら歩きやすい」
リラは悠真の顔を見つめた。それから、少し恥ずかしそうに笑う。
「近くじゃなくても、悠真さんの顔が見えます」
「でも、近くにいていいよ」
彼女はすぐに腕へ寄り添った。
明視を使うと、迷宮の奥は別の景色になった。
壁には薄い銀色の筋が走り、天井には小さな結晶が散っている。暗闇の中に隠れていた光景を見ながら歩くのは、秘密の場所を見つけたようで楽しい。
途中、リラが耳を立てた。
「人の声です。左の通路から」
悠真もそちらを見た。倒れた石柱の向こうに、三人の冒険者がいた。灯りは一つ消え、残る一つも布で半分覆われている。
なぜ覆っているのか尋ねる前に、頭上の影が動いた。
黒い翼の魔物が飛び降りる。
悠真は火を細く放った。炎が翼を貫き、魔物が地面へ落ちる。続く二匹は、リラが大剣の先で叩き落とした。
「助けに来ました。動けますか」
悠真が声をかけると、冒険者の一人が泣きそうな顔をした。
「入口が分からなくなった。灯りを出すと魔物が来るから、隠してたんだ」
「それで足元も見えなくなったんですね」
男が頷いた。
悠真は周囲を見回した。通路の先に石の階段があり、来た道もはっきり分かる。いまなら簡単に案内できる。
「俺たちには見えます。まず安全な場所へ出ましょう」
「この暗さで?」
驚く男へ、悠真は頷いた。
リラが先に立ち、悠真は後ろを守った。途中で襲ってきた影猫は、近づく前に火で倒す。見えてしまえば、ただの大きな猫だ。
冒険者たちは、二人の後ろを必死に歩いた。
休憩できる小部屋へ着くと、全員がその場へ座り込む。青い石は小さいが、入口にきちんと埋められていた。
「もう駄目だと思った」
杖を持つ女性が水を飲み、深く息を吐いた。
「昨日から、ずっとあそこで。魔物がいなくなるのを待ってたけど、何度も戻ってきて」
悠真は食料を少し渡した。彼女たちは驚いた顔をしたあと、素直に礼を言って食べ始める。
自分たちの荷物には余裕がある。渡しても帰りに困らないし、助けた人が元気になるのを見るのは気分がいい。
リラは彼女の隣に座り、帰り道の分かれ目を指で床に描いていた。
頼もしい相棒だ。
悠真が見ていることに気づくと、リラは嬉しそうに笑った。
杖の女性が、リラの胸元へ目を留めた。緑の石が服から少しだけ覗いている。
「きれいな指輪ね。彼にもらったの?」
「はい。昨日、一緒に見つけました」
リラは嬉しそうに石を取り出した。女性は微笑み、今度は悠真を見た。
「強くて、優しくて、贈り物もしてくれる。いい恋人ね」
リラの耳が一気に立った。
「こ、恋人は、まだ……」
言いかけてから悠真を見る。頬が赤い。女性は楽しそうに笑い、干し肉をひと口かじった。
悠真は、まだ、という言葉を頭の中でもう一度聞いた。それなら、いつかは、ということだ。
「リラと一緒にいるのは、俺も好きですよ」
悠真が答えると、リラは両手で指輪を包んだ。彼女の尾が腰の後ろで忙しく揺れる。
女性は満足そうに頷き、二人のおかげで元気が出たと言って水を飲んだ。
「この先へ行くのか?」
男の冒険者が尋ねた。
「剣がある部屋を探してます」
男はすぐに顔を上げた。
「俺たちも、それを探してた。大きな扉を見つけたんだ。月みたいな模様があって、隙間から白い光が漏れてた」
悠真は思わず身を乗り出した。
「場所、分かりますか」
「途中までは。そこから魔物に追われて、ここまで戻った」
男が覚えている道を説明した。倒れた柱、二つ並んだ像、下へ続く短い階段。悠真は頭に入れ、礼を言う。
「助けてもらったんだ。宝の情報くらい持っていってくれ」
男は笑った。悠真も遠慮しなかった。
「助かります。探し始めてから、ずっと気になってたんです」
「今まで拾った魔石で、新しい剣を買う手もあるぞ。あの扉には、番人がいるかもしれん」
悠真は腰の鉄剣を見た。欠けた刃で、ここまでの魔物には勝てた。それでも、次の大物に全力をぶつければ折れるかもしれない。
「買う前に、扉の向こうの剣を握ってみたいんです。あそこまで行けた人がまだ少ないなら、剣も残ってますよね」
「ああ。俺たちも、中は見ていない」
「なら、取れたら帰りに見せます」
男は悠真の顔を見て、諦めたように笑った。
「楽しみにしてる。俺たちが見つけて戻った扉を、開ける奴の名前くらい教えてくれ」
悠真が名乗ると、男は隣の二人へも聞こえるように繰り返した。リラも自分の名を告げ、剣を取る時は一緒に戦うと胸を張った。
冒険者たちをもう少し浅い分かれ道まで送り、二人は再び奥へ戻った。明視があるので、道を見失う心配はない。
リラが悠真の手を取った。
「もうすぐですね」
「そうだな。どんな剣か、早く見たい」
「悠真さん、さっきから楽しそうです」
「かなり楽しいよ」
素直に答えると、リラが笑った。
「私もです。あなたが嬉しそうだと、私までわくわくします」
悠真はその手を握り返した。教わった二つの像が、暗い通路の先に見えてきた。
像の間を抜け、短い階段を降りる。
そこに、銀色の扉があった。
丸い月の模様が彫られ、隙間から淡い光が漏れている。扉の向こうで、重いものが動いた。
悠真は鉄剣へ手をかけた。
「宝の番人かな」
リラも大剣を抜く。
悠真は扉へ掌を当て、ゆっくり押し開いた。
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