第12話 毒まで消せる書記の力
白い糸の向こうで、男が倒れていた。
腕と脚に糸が絡み、顔はひどく青い。悠真たちに気づくと、動かせる指だけで奥を示した。
「来るな……まだ、いる」
木の上で何かが動いた。
胴だけで人の胸ほどもある蜘蛛だった。口元から滴った紫の液が葉に落ちると、じゅっと嫌な音がした。
悠真はリラを横へ下がらせた。口から毒を飛ばすなら、二人で並んでいてはまとめて狙われる。
「俺が引きつける。あの人を頼めるか」
「はい。気をつけてください」
リラが木の陰へ回った。
蜘蛛が口を開く。悠真は土を蹴って横へ飛んだ。毒液がさっきまでいた場所へ落ち、草を黒く染める。
当たれば痛いでは済まないかもしれない。
悠真は剣を構えながら、蜘蛛へ書記の力を向けた。
『毒蜘蛛 猛毒生成 毒耐性』
狙っていた文字があった。
悠真は毒耐性だけを写し取った。体の奥で冷たい感覚が広がる。説明には、自分の毒に耐える程度の強さだと書かれていた。
それなら、もっと強くすればいい。
空中の文字へ指を滑らせる。
『完全毒耐性』
体の内側がすっと落ち着いた。
蜘蛛が二度目の毒を吐いた。悠真は避けず、前へ出た。飛び散った雫が手の甲へ当たる。
痛みはなかった。
服に付いた分は小さな穴を開けたが、皮膚には赤みさえ出ない。悠真は笑った。これで怖がらず近づける。
「その毒、もう効かないぞ」
蜘蛛が木から飛び降りた。鋭い脚が顔へ迫る。
悠真は鉄剣で払った。硬い脚が折れ、蜘蛛の体が傾く。重い胴を蹴り上げ、露出した腹へ剣を突き込んだ。
紫の液が噴き出す。
悠真は顔を背けて受け流し、そのまま刃を振り抜いた。蜘蛛の体が地面へ落ち、脚が数度動いて止まる。
力を使った実感が、腕に気持ちよく残った。
「悠真さん、糸、切りました!」
リラが男を抱えて下がっていた。男はまだ震えており、唇の色も悪い。
悠真は駆け寄った。
「毒を受けたんですね」
「足を……噛まれた。薬は、落として……」
話すだけで息が乱れる。
悠真は男の肩へ手を置き、今手に入れた能力を思い浮かべた。リラへ闘神を渡せたのだから、これもできるはずだ。
完全毒耐性を付与する。
男の体を淡い光が包んだ。震えがゆっくり止まり、苦しそうだった呼吸が深くなる。
「……痛みが、引いた?」
男が自分の脚を見た。噛み傷そのものは残っているが、毒の影響は消えたらしい。
悠真は傷へ布を当てながら、ほっと息を吐いた。
「立てますか」
男はリラに支えられて起き上がった。足を地面へつけ、驚いた顔で二人を見る。
「助かったのか。俺、本当に……」
「まだ巣の近くだ。礼は出てからでいい」
悠真はそう言い、リラの手にも触れた。同じ能力を彼女へ渡す。リラがあんな顔色になるところは、見たくない。
「リラにも毒耐性をつけた。服は溶けるから、わざと浴びなくていいけど」
「ありがとうございます。悠真さんは大丈夫ですか? 袖が」
「ああ、これはあとで直す。体は平気」
リラは穴の開いた袖へ目をやったが、悠真の手に傷がないと分かると、大剣を森へ向け直した。
奥の茂みが揺れた。
まだ二匹いる。リラが大剣を構え、悠真も鉄剣を握り直した。
「一匹ずつだ」
「はい!」
悠真は火術を放った。狭くまとめた炎が蜘蛛の頭を焼き、倒れたところへ踏み込んで斬る。
リラの大剣が、もう一匹の脚をまとめて砕いた。毒が飛んでも彼女は怯まず、重い一撃で胴を断った。
あっという間に終わった。
助けた男が座り込み、力の抜けた笑いを漏らす。
「お前ら……本当に新人か?」
悠真は胸のGの札を見せた。
「一昨日、登録しました」
「嘘だろ」
その反応に、リラが自分のことのように嬉しそうな顔をした。
森を出る頃には、夕方の風が吹いていた。
助けた男は採取者の仲間と合流し、何度も頭を下げて治療所へ向かった。毒は抜けたが、傷の手当ては必要だ。
悠真とリラは、薬草と魔石をギルドへ持ち込んだ。
受付のフィナは、次々に出てくる箱を見て目を見開く。
「これ、全部お二人で?」
「リラがすぐ見つけてくれたので」
「森にはいっぱいありました」
リラは少し照れながら答えた。彼女の手袋は土で汚れているが、葉はほとんど傷ついていない。フィナは箱を一つ確かめ、感心したように息をついた。
「状態もいいです。薬師の方が喜びますよ」
悠真は続けて角犬の魔石と角、毒蜘蛛の魔石を出した。
最後の紫色の魔石を見た瞬間、フィナの表情が変わる。
「毒蜘蛛まで倒したんですか!」
「巣に人が取り残されていたので。全部で三匹いました」
「すぐギルド長を呼びます」
ほどなくローデンが来た。既に採取者たちから救助の話を聞いていたらしく、悠真たちを見て大きく笑った。
「初依頼から派手にやったな。森の連中が、口を揃えて二人を褒めていたぞ」
悠真は少し胸を張った。
「彼女がいたから、早く見つけられました」
「それも含めて実力だ」
「だったら、迷宮の仕事も受けさせてもらえませんか。明日はそっちへ行きたいんです」
悠真は壁の上段に掛かる、迷宮の依頼札を示した。昨日、最初の依頼は森へ行けと言ったローデンが、口の端を上げる。
「今日の報酬を聞くより先に、次か」
「もちろん報酬も欲しいです。でも、いつ入れるのか気になってたので」
「なら、もう待たせる理由はないな。昨日の試験と今日の働きで、二人ともFへ上げる」
リラが悠真を振り向いた。初めての依頼を果たした日に、二人そろって昇格だ。受付の周囲にいた冒険者たちまでこちらを見ている。
悠真は、つい口元が緩むのを抑えずに礼を言った。
「青銅の迷宮なら、入口から数層はFでも探索できる。お前たちなら、かなり先まで進めるだろうが」
ローデンは地図を広げ、街の東側を指した。
そこに迷宮がある。魔石に加え、宝箱や珍しい武器が見つかることもあるという。
悠真は腰の鉄剣に目を落とした。借り物のように受け取った剣も、今日の戦いでようやく手に馴染んできた。これよりいい剣を自分で見つけられたら、どんな斬り方ができるだろう。
「武器が出るなら、ぜひ行きたいです」
ローデンは笑い、地図の印を指で叩いた。
「そう言うと思った。明日、入口で案内を受けろ。地下の歩き方くらいは聞いてから進め」
報酬の袋は、予想より重かった。
薬草の状態がよく、魔物の討伐と救助にも報酬が付いたらしい。悠真は袋を受け取り、隣のリラへ見せた。
「今日は好きなだけ頼もう」
「はい!」
フィナが二人を見て笑う。
「食べすぎて、明日の探索に響かないようにしてくださいね」
麦穂亭へ帰ると、メルが腕を組んで待っていた。
「聞いたよ。森で何人も助けたんだってね」
「噂が早いですね」
「うちは冒険者も来るからねえ。ほら、約束の大盛りだ」
机へ運ばれた皿には、焼いた肉が山になっていた。
悠真は笑いながら腰を下ろした。リラも向かいへ座り、胸のFの札を何度も見ている。
「二人で上がれましたね」
「次も一緒だ」
悠真が答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。
採ってきた赤い実をメルへ渡すと、すぐに蜂蜜と合わせた小皿が出てきた。焼き菓子へ載せて食べると、甘さと酸味がちょうどいい。
リラがひと口食べ、尾を大きく揺らした。
隣の机にいた男が、二人の札へ気づいた。
「あんたが毒蜘蛛を三匹やった新人か。明日は迷宮へ行くんだって?」
「はい。剣を探してみようと思ってます」
「だったら金を貯めて鍛冶屋に頼むのも手だぞ。俺は何度も潜ってるが、売る以外に使える剣なんか拾ったことがない」
男は自分の腰を叩いた。革をきれいに巻き直した剣が下がっている。
「まず一回、自分で探してきます。どんな場所なのかも見たいので」
「見つけたらここへ持ってこい。どんな剣か、俺にも見せてくれ」
「約束します」
悠真が答えると、リラも勢いよく頷いた。
男から、入口の店で寝具や灯りも揃うと教わった。青い石のある休憩所なら、途中で夜を越せるという。翌朝に一から潜り直すより、先へ行きやすそうだった。
「リラ、明日から何日か潜ることになっても平気?」
「はい。でも、悠真さんと同じところで寝たいです」
「もちろん。俺もその方がいい」
リラの頬が赤くなり、それを見て悠真の顔まで熱くなった。まだ大勢のいる食堂なのに、返事をするのに迷わなかった。
メルへ部屋を何日か空けると伝えると、戻るまで荷物を置いておいていいと言ってくれた。食料は朝にまとめて用意してくれるらしい。
部屋へ上がると、悠真は地図を広げた。
「森みたいに、日暮れまでに戻らなくてもいいんだな」
隣へリラが座った。彼女は街から岩山へ続く道を指でたどり、入口の印で止める。
「森を抜ける道なら、私が先を歩きます。鼻で道を探せますから」
「頼むよ。入口の店で灯りを買ったら、そのまま降りよう」
悠真は明日の分の金を取り分け、地図を畳んだ。リラが窓を開けると、遠くの岩山が夕焼けを残した空に黒く見えた。
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