第10話 冒険の支度は二人で
試験を終えた夜、悠真は麦穂亭のベッドで脚を伸ばしていた。
体は疲れていない。それでも、人前で力を見せたあとの気分は特別だった。訓練場の歓声を思い出すと、自然に笑ってしまう。
椅子に座ったリラが、大剣の柄へ布を巻いていた。買ったばかりの剣を、少しでも手になじませたいらしい。
「明日は森ですね」
「薬草を採って、見つけた魔物も倒す。最初の正式な依頼だ」
「私、楽しみです」
彼女が顔を上げた。以前なら戦うと聞いただけで怯えていただろう。今は金色の目に期待がある。
悠真はその顔が好きだった。
「リラの鼻、頼りにしてる」
「はい。いっぱい見つけます」
そう言って、彼女は悠真の隣へ座った。巻き終えた柄を見せるためだが、肩が自然に触れる。
悠真は剣を受け取って握った。布はきつく巻かれ、滑りにくくなっている。
「いい感じだ。俺のも頼める?」
「もちろんです」
リラは嬉しそうに鉄剣を受け取った。
悠真は彼女の髪へ手を伸ばし、耳の付け根を軽く撫でた。
「悠真さん、そこ……手が止まっちゃいます」
「嫌?」
「好きです」
思いがけないほどまっすぐな返事に、悠真の方が黙った。
リラは剣を膝へ置き、少しだけ頭を寄せる。悠真は調子に乗って、もうしばらく撫でていた。明日の準備は大事だが、この時間も手放したくなかった。
翌朝、メルは頼んでおいた弁当を渡してくれた。
肉と野菜を挟んだパンに、ゆで卵、それから小さな焼き菓子。包みを開いて確かめると、リラの尾が楽しそうに揺れた。
「森で食べるんですか?」
「そのつもり。いい場所を探そう」
「魔物に取られないようにします」
真剣な顔だったので、悠真は笑った。メルも笑いながら水袋を差し出す。
「食いしん坊が二人なら足りないかもね。帰ったら夕飯は大盛りにしてやるよ」
「お願いします」
悠真は遠慮なく頼み、弁当を収納した。
宿を出た二人は、まず道具屋へ寄った。
収納があるので荷物の重さは気にならない。けれど、何を持っていくべきかは分からなかった。店主に依頼の内容を伝えると、薬草を切るナイフと丈夫な手袋を勧められる。
「根から引っこ抜くなよ。次に生える分まで持っていくと、あとで困るからな」
ナイフと手袋を二人分、雨具や縄、清潔な布と一緒に買う。摘んだ葉を入れる木箱も勧められた。
悠真が空箱を幾つも収めると、店主は奥にある大きなものも出してきた。
「それだけ入るなら、これも。たくさん採れた時に使えるぞ」
「いただきます。リラが見つけてくれた分は、全部持って帰りたいので」
リラは店の隅に並ぶ髪留めを見ていた。
冒険用の丈夫な革製で、飾りは小さい。犬の耳を邪魔しない形のものを、店主がわざわざ取り分けている。
「欲しい?」
悠真が聞くと、リラは慌てて顔を上げた。
「いえ、見てただけです」
「俺が一つ選んでもいいか」
「はい。悠真さんの好きなものを」
彼は茶色の革に白い花をつけた品を取った。栗色の髪に当てると、小さな白が明るく見える。
リラは鏡を覗いたが、値札が見えると隣の飾りのないものへ視線を移した。
「こっちでも、髪は留まります」
「花がついてる方を見たいんだ。嫌じゃなければ、こっちにしてほしい」
リラは少し俯き、それから白い花を手に取った。
「私も、これが好きです」
その場で髪をまとめると、頬がよく見えるようになった。悠真が可愛いと告げると、彼女は鏡を見たまま笑った。
店主は包むための紙を出しかけたが、リラが首を振る。
「着けていってもいいですか」
「もちろんだ。なくすなよ」
悠真が代金を払う間、彼女は店の外で待った。通りを歩く人に耳と花を見られると、隠すように俯く。その顔を悠真が見つけると、今度は見てもらうように顔を上げた。
ギルドでは、フィナが薬草の見本を用意してくれていた。
葉の縁に細い白い線があり、触れると甘い匂いがする。リラはすぐに頷いた。
「これです。森の少し湿ったところに生えてます」
「よくご存じですね。根元を傷つけず、大きな葉を採ってください。似た草もありますので、分からなければ見本と比べて」
悠真は見本を小さな袋へ入れた。聞いたことを全部覚えるより、実物を持っていく方が確実だ。
フィナは二人の装備を見て、少し安心したように微笑んだ。
「準備は十分ですね。森の奥には毒蜘蛛がいます。普段は採取場所まで来ませんが、巣を見つけたら離れてください」
「分かりました」
悠真は頭に入れておく。毒はまだ試したことがない。強い体でも平気だと決めつけるのは早いだろう。
受付を離れようとすると、昨日の試験を見ていた若者が声をかけてきた。
「採取か? 俺たちも同じ森に行く。よかったら一緒に」
悠真が返事をする前に、リラが彼の袖をつまんだ。
いつもの甘え方より、少し強い。
彼女の顔を見ると、金色の目が小さく訴えていた。
「今日は、二人で行く約束なので」
リラが若者へ丁寧に答えた。
悠真は少し嬉しくなった。独り占めしたいと思ってくれているのかもしれない。
「そうなんだ。また今度な」
若者は気にした様子もなく手を振った。ギルドを出ると、リラは袖をつまんだまま俯いた。
「勝手に言って、ごめんなさい」
「俺も二人がよかったよ」
「本当ですか?」
「弁当も二人分だし。それに、今日はリラに森を教えてもらいたい」
彼女の顔が明るくなった。悠真は袖をつまむ手を取り、そのまま握った。
南門を抜けた先で、道は畑と草原の間を続いていた。朝の風が涼しく、買ったばかりの髪留めがリラの横顔に似合っている。
「前に、森で暮らしたことがあるのか?」
「小さい頃は、よく家族と木の実を採りに行きました。食べられるものを覚えるのが、得意だったんです」
「じゃあ、今日は薬草だけじゃなくて、うまい実も探そう」
「はい。今の季節なら赤い実があります。甘くて、少し酸っぱくて」
話しているうちに、彼女のお腹が小さく鳴った。
悠真が笑うと、リラも照れながら笑った。二人分の弁当を多めに頼んでおいてよかった。
森の入口には、他の採取者が数人いた。大きな籠を背負い、木の枝へ赤い布を結び直している。足元には、端の千切れた布がいくつも落ちていた。
「何をしてるんですか」
悠真が尋ねると、年配の女性が答えた。
「帰り道の印だよ。森の獣がかじって落としていくんだ。人の匂いがついてるからね。毎朝、結び直しさ」
拾った布の端には、確かに歯の跡があった。手の届く高さの枝は、どれも同じように千切れている。
「本当は高い枝に結べばいいんだけどね。梯子を担いで森へ入るわけにもいかないし、木登りする年でもない」
「その布、少し貸してもらえますか」
悠真は布の束を受け取り、身体強化を少しだけ上げた。地面を蹴ると、頭上の太い枝がすぐ目の前に来る。片手で枝をつかみ、もう片方の手で布を結んでから飛び降りた。
「……あんた、今どこから跳んだんだい」
女性が手に残した布を落としかけた。近くの男も口を開けて枝を見上げている。悠真は入口のまわりの枝へ、同じように高く布を結んでいった。
リラが隣で誇らしそうに胸を張った。
女性は残りの布を籠へしまい、奥へ行く仲間にも知らせた。悠真たちが先を通ると、ほかの採取者も道を空けてくれた。
木々の間へ踏み込むと、空気がひんやり変わった。
土と葉の匂いが濃い。リラが鼻を動かし、すぐに右の小道を指した。
「あっちです。薬草の匂いがします」
「もう分かるのか」
「はい。たくさんあります」
悠真は彼女へ道を譲った。リラが大剣を背負ったまま、軽い足取りで進んでいく。
最初の分かれ道で、悠真は地図を開いた。印のある大きな道とは別に、リラは細い踏み跡を見ている。
「そっちで大丈夫か」
「すぐ先に、水の音がします。薬草は湿ったところにあるので」
悠真にも、木々の間から流れる音が聞こえた。地図をしまい、彼女の選んだ方へ足を向ける。
リラが茂みの前で振り向く。
「見つけました、悠真さん!」
木漏れ日の下に、白い筋の入った葉が広がっていた。
リラはしゃがみ、いちばん大きな葉を示した。悠真も隣へ膝をつき、見本と見比べた。
「間違いないな。さっそく頼りになった」
褒めると、彼女の尾が落ち葉を軽く掃いた。悠真は笑いながらナイフを取り出した。
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