第八話 奇跡の対価
室内で歩き回るテマリの背には本物の精霊王である赤子が乗り楽しそうに笑っている。当初俺が思い描いていた結果とは異なるが、よくなった分には問題ないと思うことにした。
現在のテマリの情況であるが、いくら命の精霊に手を借りたとはいえ本来ならばこんなに早く元気になるはずなどない。しかしそれを成したのが精霊王ということであれば納得はいく。精霊王はずいぶんとテマリのことが気に入った様子。
テマリに乗る精霊王の後には多くの精霊が付き従い、今もなお増え続け長く列をなしていく。精霊の隊列など俺でさえ初めて見る光景だ。
心配された俺の記憶だが、糧となることはなく終わった。おそらくは精霊王自身がテマリに興味を持ったことと、テマリと豊川の妻による誓いという名の記憶が余程濃いものだったのだと思われる。
「本当にありがとう。妻を亡くてからのテマリは元気がなかったんだ」
共にテマリの動き回る様子を眺めていた豊川。純粋な喜びの感情が自然な形で出始めている。時間を経て奇跡の結果を実感し満足したのか感謝の言葉を紡ぎ始めた。
「では約束の一億円もしくは不動産だったか。用意させてもらう。君の言葉を借りるならばテマリの価値はもっと上のつもりなんだがね。すぐ動かせる金となると一億が限界なんだ」
顔を合わせた時に比べ、豊川の表情はずいぶんと柔らかいものに変わっている。不動産王などと呼ばれているのでもっと商売人として振り切れた人間なのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
よくよく考えれば妻との想い出があるとはいえ、愛犬のために大金を払う人間だった。場面場面で上手く切り替えるタイプなのだろう。今更ながらそんな印象を受けた。
改めて口にされた報酬の一億円という言葉。完全に気配を消し、保護者としてただ共にいるだけになっていた養父の感情が動き始め、精霊たちの視線が僅かに向いた。
「それなんだが、百万円だっけ。それでいい」
俺の口から出た言葉を聞き、豊川が顔を顰める。
更には養父が慌てて身じろぐ様子も横目に映った。
「テマリの価値がその程度だと言うことかね?」
怒気をはらんだ言葉。室内の精霊たちが騒めく。
「いや。俺がテマリに付けた価値はあんたと同額。だから残りは俺と養父の一日分の稼ぎってこと」
俺がテマリの方を向きながらそう返すと、豊川も同じように顔を横に向けテマリを見つめる。
テマリはいつの間にか最初に座っていた絨毯の方へと戻っており、運動に疲れたのか安楽椅子の傍で横になっていた。元気になったとはいえ、瞬時に肉体が完璧な状態に戻ったわけではない。さすがに疲れたのだろう。ただその顔は穏やかで満足気で、落ち着いているように見える。
先ほどまでテマリに乗っていたはずの精霊王はというと、今度は安楽椅子へ移動し見たことのない人型の精霊の上でテマリと同じようにうつらうつらと頭を揺らしていた。
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空がオレンジから茜色に変わる頃。帰りの車内でも行きと同じように眠ろうとしていた俺だが、隣に座る男が邪魔をする。どうやら寝ることは許されないらしい。何せここまで静かだった養父の口が動きっぱなしなのだ。
車内ですやすやとのんきに寝ているのは精霊王だけ。羨ましい。
「百万円で本当に良かったのかい?」
やはり養父としては心残りらしい。本来ならば百倍。一億円が手に入るはずだったのだ。あの時なぜ俺が百万円でいいと言ったのか聞きたいし、保護者としてお金を管理する者としてそれについて一言物申したいという気持ちは当然のもの。
「奇跡の対価はな。だが他にも払わせるからそれだけじゃないぞ」
「あれ? そうなの?」
「盗聴していた分の詫びを貰わないといけないしな」
「それはあの時病院で受け取ったじゃないか」
「そっちは病院側からの分。豊川側からはまだだったろ?」
「あっ。そうか。それにしてもいつそんな話になっていたの?」
「おっさんがトイレ行ってる間」
まさか自らがいない間にそんな話がされているとは思ってもいなかったのだろう。
どこか責めるような口調は、戸惑いが入り混じる物に変わった。
「で、何を貰うんだい?」
「保留中」
「そうか……」
期待した答えと違ったのか、養父は僅かに肩を落とし口を閉ざした。
豊川との交渉の場面で何度か家という単語を発したが、実際に欲しかったわけではなく対価の目安として使っていただけ。現在リムの部屋がないので大きくなるのは望ましいが、引っ越してまで変えたいとは思っていない。それにあいつがいつまで居るつもりなのかもわかりはしない。
では改めて何が欲しいのかと問われれば、特には浮かんでこなかった。そのため一旦保留中。
思いついた時のためということで、豊川からは直通の連絡先を受け取っている。向こうは今回のことで感謝もしているし俺との関係も繋いでおきたいようだ。気軽に連絡してくれと告げられている。その姿はあまり反省している様子がなく若干腹立たしい気もするが、あの程度であれば特定の権力者に比べればかわいいもの。わざわざ何かアクションを起こすほどでもない。それに彼には今後何かに利用できる部分も残されている。
家に着くとすでに辺りは暗くなっていた。家から漏れる光はリビングから。リムには遅くなることを養父から連絡してあったので食事は終えているだろうが、起きて待っている様子。
停車後待っているとガチャという音と共に車内に空気が入ってきた。もちろん外にいた精霊たちも。
「お疲れさまでした」
「ありがとう。そうだ。おじさん名前なんて言うの?」
降りかけに名前を問う。
「私ですか? 島です」
「そう。島さんね。覚えておくよ」
ドアを開けてくれた腕にちょこんと触れて、チップ代わりに命の精霊を使い疲労やちょっとした体の不調を治しておく。
今回養父以外で一番共に時間を過ごした相手はこの島という男だ。必要以上のことは語らず、不快な部分がなかった。もしまた豊川と会うことになるならば、次もこの人がいいなと思い名前を確認しておいたのだ。
玄関前で遠ざかる車の光を見つめていると家のドアが開く。
「おかえりなさいませ。入浴の準備できています」
「留守中何もなかった?」
「はい」
中に入るとすぐに風呂へ向かう。実はすでに頭はぼんやりとしてきていて瞼も重い。なので風呂をキャンセルしようかと思ったが、待つ時間がないとなれば別。ササっと体を洗い、リビングで疲れた表情でソファに沈む養父に挨拶をして自室へと向かう。
そして傍にいる七種の精霊が見つめる中、俺は眠りにつくのだった。




