第七話 デマリの誓い
「わざわざ遠くまですまないね。感謝する」
目の前の不動産王こと豊川は、対面でソファに浅く腰掛け膝の上で手を組むと、前のめりになりながらこちらの表情を窺っている。「早く対象と会わせたい」言葉や表情には出ていないが態度や周囲にいる精霊の動きでそれが伝わってきていた。
「奇跡を願う相手はここに?」
この場所に座るまでは、奇跡を願う対象は豊川自身なのだと思っていた。権力者は欲深い。長生きを望むものは多い。
しかし直接目にした後だと違うことがわかる。この男に死の精霊は寄り添っていない。
白髪の混じり始めている短髪に髭。更に年齢を感じさせる顔の皴から判断するに異世界ならばすでに死んでいてもおかしくはないほどの老いなのだが、その影は微塵も感じない。
この世界は年寄りが多い。しかしそれは死の精霊を寄せ付けないわけではない。目の前の男のように気配がないというのは異常だ。
「ああ。すぐにでも会ってもらいたい」
「いいよ。行こうか。奇跡が起きるかは見てみないことにはわからない」
俺の言葉に豊川は黙って頷いた。
案内され向かった先は大きな窓のある一室。外と繋がるガラスを開ければウッドデッキとなっており、現在はオーニングによって半分だけ日陰が作られている。残りの部分には光が当たり明るく照らされていて、日光浴も昼寝もできそうな快適な空間に見える。もちろんその先は緑あふれる広い庭。気まぐれな精霊によって癒しの効果も期待できそうだ。
室内の家具、更にはウッドデッキにも置かれているテーブルと椅子などを見るに、外の自然を楽しみがらティータイムなどといった優雅なひと時を過ごす場所らしい。
視線を部屋の隅に向けると安楽椅子の隣、絨毯の上では大きな犬がこちらへ顔を向けていた。犬はシェパードという名の種だったか。近所でも見かけたことがある。
見つめていれば自然と目線が交錯する。そしてすぐにわかった。この犬こそが豊川の奇跡を求める理由なのだと。
「気付いているようだが、彼女がそうだ。名はテマリという」
「ああ」
動きのない俺たちの姿に豊川が声をかけ、犬の名を告げた。
「近寄っても構わないか?」
「ああ。もちろん」
テマリへの問いかけに答えたのは豊川。だがそれでも構わない。テマリもこちらに興味があるようで、拒絶の感情は見えない。
離れた位置からでも見えた状態で察していたが、テマリはずいぶんと酷い状態にある。体中が誓いの精霊の影響を受け今も蝕まれ続けている。原因は強制的に囚われ姿を変えさせられている小さな人の形をした死の精霊の藻掻き。豊川の異常ともいえる状況はこれの影響だろう。
「それで、どうだろう?」
「集中している。少し黙っていろ」
むりやり誓いの精霊をテマリの体から剥がすことは俺であれば可能だ。ただ厄介なのは誓いの精霊を消すことができても、誰かとの誓いにより受けた影響が残り続けること。よってそれだけでは命の精霊の力を借りたとて本来の姿に戻すことはできない。
豊川の望むであろう奇跡は、おそらく本来の元気な姿に戻すこと。そのためにはテマリと誰かとの誓いを一旦解除し、死の精霊を開放する必要がある。
「テマリは、誰かと約束をしているか?」
背後から豊川の乾いた笑い声が聞こえた。
「君にはそんなこともわかるのか。恐ろしいね。テマリの約束か。それはきっと五年前に亡くなった妻との間に行われたアレだろう」
「内容は?」
「あの日妻の言った『テマリ。私の代わりに夫のことをお願いね』きっとこれだろう。その時のテマリの鳴き声は今も耳に残り覚えているくらいだから。それにあの日からあまりその場から動かなくなってしまった」
最悪のケース。相手となる豊川の妻が亡くなっているのであれば、テマリとの間に出来ている誓いを解除できる方法はほぼ無くなったと言っていい。俺に残された手段は、強制的にテマリから精霊を剥がし延命することと、誓い事態を終わらせるために豊川を物理的に消すこと。ただし後者を行った場合、今の状態のテマリであればそれに巻き込まれることも考えられる。
正直豊川がどうなろうが知ったことではないが、俺は犬好きであり、しかもこうして強い意志で誓いを守ろうとするテマリを殺したくはない。
苦しい。
自らの力でどうにもできない状況というのはいつぶりだろうか。以前は精霊王などと言われ持て囃された時期もあったが、所詮俺は人間たちが勝手に名付けた偽物の精霊王でしかないことを思い知らされる。
俯く俺の目に上級精霊たちの足が映る。いつの間にか傍にいたようだ。多くに対して俺の意思を尊重し代わりに行ってくれる彼らだが、今回のことを願う通りに成すのはさすがに難しい様子。
壊すことであれば楽なのになと思う。絡まった感情と意思を解きほぐすことは難しい。俺の中で黒い感情が形を成そうとしていたが寸前で押し留める。
この手にもっと力があれば――
そう思い顔の前に手のひらを持ってきて見つめる。
そんな俺の手の先にテマリの温かい舌が触れる。驚いて顔を上げれば、続けておでこや目尻が舐められた。温かさが伝わってくる。
この子は人間に愛されてきた子。自身の体が辛いだろうに家族からもらった愛を沈んだ俺にも少しだけわけてくれたらしい。
目の前でテマリの顔をよく見れば、目も濁り悪くなっている。そのためか通常見えるはずのない俺から漏れ出た黒いものがわかってしまったのだろう。迷いなくそこへ舌が伸びてくる。本当に優しい子だ。
胸の中に熱い想いが宿る。
覚悟は決まった。
『俺の中で眠る精霊王よ起きろ』
俺はテマリに貰った優しさに対価を払わなければならない。しかし自身でそれを行うことは不可能。ならばできる相手を呼び出すだけだ。
ただ精霊王はまだ赤子。力を行使するためには糧が必要だ。求められるのは記憶の一部となるだろう。
呼びかけにより無理やり起こされた精霊王。眠気眼だが目の前にいた見慣れぬ生物、犬であるテマリにすぐに興味を持った。手を伸ばしペタペタとテマリに触れ一度不思議そうに顔を傾けると、誓いの精霊によって巻きつけられた蔦を死の精霊ごとゆっくりと回収していく。そして最後には誓いの精霊を掴むとそれを大きく開けた口へと放り込み飲み込むと、ケフッと満足げにげっぷをした。
ここまでくれば俺でもテマリを元気な姿に戻すことが出来る。
命の精霊にテマリの回復を願えば、老いたように乱れていた毛並みが輝きを取り戻していく。
「これが奇跡の力か……」
別にテマリが実際に光っているわけではない。けれど起こっている変化が豊川の目でもわかったのだろう。驚き、そして歓喜の感情は精霊たちに力を与え、代わりとばかりに光る様子が俺の目には映しだされていた。




