第六話 一億円
室内に漂う緊張感から音の精霊は静寂の精霊へと姿を変え、集いし者たちの声を奪っていった。眼鏡の男の喉が、静かに上下に動く。
そんな中、突如ブイーンという音と共に何かが動く気配。静寂の精霊は嫌がる素振りを見せ、気分を害したためか俺の中へと消えていった。命を持たぬ道具の動きを気味悪がり嫌う精霊は多い。
石田という眼鏡の男がスマホを取り出し確認すると、慌てた様子に変わった。先ほどまで見せていた余裕のある笑みが消え、真剣な表情となり表示される情報を読み込んでいる。
すぐにスマホ上で指を動かし始めたが、漏れ出る感情に火と風の下級精霊が興味を示す。度々動きが止まるのは迷いと焦燥のせいか。額に薄っすらと汗が滲む。
石田は一人で顔を顰めたり忙しく動き続けた後、何かを諦めたように脱力しスマホを顔の付近へと運んだ。そしてここにはいない誰かと会話を始める。漏れ聞こえてくる声は当然知らない誰か。
「かしこまりました……」
その一言が発せられると、スマホがテーブルの中心付近に置かれた。不自然な行動に俺を含め全員が興味深くそれに注目する。
『ンンッ! 初めまして。豊川康秀です』
咳払いの後、先ほどより聞き取りやすくなった声が響く。
『うちの若い者が失礼しました。戻りましたら指導し直しておきます』
「そう。じゃあそうして」
誰も返事をしないので俺が返しておく。ただでさえ余計な時間を取られているのだ、これ以上無駄にしたくはない。
それにしても性懲りもなくここでの会話はどこかへ筒抜けだったらしい。そして相手はそれを悪びれる様子もなく当たり前のように話を進める。
『改めまして私の方から金額の提示をさせてください。成功報酬一億円。それで納得していただけませんか?』
養父がごくりと喉を鳴らす。
「それって家買える?」
『規模によるかと。そういった物の方がよければ用意します』
「相談するから返事は後でいい?」
『結構です。是非前向きにご検討ください。それでは――』
ポロリンという音が鳴ると、それを合図に部屋にいる精霊の数に変化が生じる。それぞれから漏れ出る感情が生み出していた精霊たちは色を失い消えていった。
「じゃあ相談するので今日は解散でいい?」
「あ……。はい。そうですね」
病院側の了承を得ると、呆然としたままの養父母の肩を叩き退室を促す。忘れないように石田から連絡先だけは受け取っておいた。
病室に戻ると困惑した表情の養父と、吹っ切れた顔をした養母という対照的な様子に、フッと鼻から息が逃げていく。
「話をする前に一息つきましょう」
「今日は何がある?」
「珍しいのだとマンゴーかしら。あとはそこの引き出しにゼリーもあるのよ」
ゼリーは知っている。こちらの世界で何度か食べた。たしか健ちゃんが凍らせると美味しいと話していたっけ。
引き出しを開けて見ると、様々な果物で作られたゼリーが入っていた。狭い空間を上級精霊たちが順番に覗き込んでくる。勝手にあれこれと希望を伝えてくるが、これは一応養母が貰った物なので無視。
「おー。今日はゼリーにする。佳苗さんどれが好き?」
「ぶどうがいいわね。でも拓弥くんが先に決めていいのよ?」
「じゃあ俺はいろいろ入ってるミックスにする」
精霊たちへのせめてもの配慮として、複数の種類が入っているミックスを選ぶ。しかし今度はミックスゼリーの中で誰がどれを味わうか言い争いが始まった。仕方ないので決まるまで少しだけ食べるのを待つ。
それぞれがゼリーを手にし食べ始めたが、養父に落ち着きがない。先程の件が気になってしょうがない様子。仕方なく食べながら一億円の依頼をどうするか話し始める。
「じゃあおっさんがそわそわしてるから続きね」
「ここで話して大丈夫かい?」
「まだ盗聴されてるかもしれないってこと? 俺は別にいいよ。むしろ聞いててくれた方が連絡しなくていいし楽。まずは……佳苗さん病院についてはどうする?」
「お詫びを頂きますからね。それでもう終わりでいいわ」
養父が何か言いたそうにしているけれど、養母の意見を尊重するらしい。二人の話を聞いていると、警察だなんだと手続きをしても面倒なだけだし、それをしても先ほど提示された金額よりも少なくなる可能性の方が高いとかなんとか。
「じゃあ豊川って相手の方だけど、二択になるかな。とりあえず会ってから決めるか、関係者全員処分するか」
ゼリーによって笑顔になっていた精霊たちの顔が引き締まる。もちろん養父母も。
「それは……」
言い淀む養父に笑いかける。
「冗談だって。処分しても何も得られないからさ、せっかくだし会いに行ってみようかな。おっさん同行よろしく」
養母のことでなければ決めるのは俺。行くのは別に一人でも構わないのだが、お金関係は養父が担当だ。付き合ってもらいますよって話。
連絡すると早速次の休日に向かうことになった。当日は先方からこちらの家に迎えが来るらしい。場所など教えた覚えがないが、石田という男が調査したと言っていたし知っているのは当然か。
後は当日を迎えるのみ。どんな相手なのだろう僅かに興味が湧いてくる。
「お迎えに上がりました」
約束の日の朝。玄関前には高級そうな黒い車がやってきた。他人に扉を開けてもらい乗り込むのなんていつぶりだろうか。開けてくれた初老の男性に「ありがとう」とお礼を言いながら先に乗り込む。養父の方を気にかけるとぎこちない動き。どうも落ち着きがない。
「どれくらいかかるの?」
そういえば俺は目的地を知らない。そもそも地名を言われたところでわかないだろう。地図を見せられてようやく理解するくらいか。
「道路状況にもよりますが、数時間ほどみていただければと」
「そっか。じゃあ着いたら起こして」
「かしこまりました」
後部座席は革張りで普段乗る家の車と違い乗り心地が良い。よく眠れそうだ。
養父は最初信じられないような顔をこちらに向けていたが、すぐに諦めるように窓の外を見始めた。さすがこちらの生活で一番共に時間を過ごしているだけある。俺との付き合い方に慣れてきている。
「拓くん。着いたよ」
養父の声で目を覚ます。車内の温度も快適に保たれておりよく眠れた。
寝ている間に車内には色が増えている。養父の感情のおかげで精霊が増殖していたらしい。
扉を開けてもらい外に出ると、着いた場所は丘の上に出来た住宅街のようだった。
周囲を見渡せば壁越しに他家の木々が顔を出し、その上に姿を見せた精霊がこちらの様子を興味深げに窺っている。普段生活している地域と違うことは明らか。財を成した者たちの住まう場所、異世界でいう貴族の集まる地域に似た雰囲気を感じる。
そんな中にあって目の前の屋敷は自然のまま残されている部分と繋がっており、敷地面積が一目では把握しきれない。この地域でも飛び切りの金持ちの住む家のようだ。




