第五話 養父の怒り
「僕はあなた方を信用していたんです! だからサインしたのに!」
珍しく養父が怒りの精霊の力を借りている。俺の中の精霊王はこの程度で起きはしないが、無色の寝息は周囲の感情によって色を持ち始め精霊に変わっていく。
前回怒っていたのは佳苗さんこと養母が、自らの最期を悟り養父に別れのセリフを告げた場面。その時には愛の精霊の姿も見えたが今日は違う。
あれからすでに時の精霊の周期で言えば半分が過ぎたのだったか。懐かしく感じるはずだ。
俺たちの目の前にはテーブルを挟んで五名の人間が座っている。馴染みのある養母の主治医に看護師。他には病院の理事長とかいうお偉いさんに事務長。そして比較的若い眼鏡の男。
「病室内にボイスレコーダーが設置され無断で録音が行われておりましたこと、誠に申し訳ありませんでした」
「当院と致しましてはその件に関しまして把握しておりませんでしたので……。映像の方は見えないよう配慮されていたとのことでして、そこについてはご安心下さい」
「だからって許されることではないでしょう!」
荒ぶる養父の口からは警察という単語も出ている。こちらの世界でいうところの衛兵。今回の件は、俺が思っていた以上に大事のようだ。
主治医の森山という男と看護師の女は謝罪する男たちに合わせて頭を下げるばかり。途中他の三名がここへ来るまでこの事実を知らなかったようであるし、養母も信頼している相手。ただ巻き込まれた被害者と言ってもいい。
他の病院関係者の主張としては、病院も巻き込まれた被害者ということのようだ。しかし説明の中で明かされた盗聴の道具を室内に設置したのはここの関係者。まったくの無関係とは言い切れないのが彼らの痛いところ。
「お詫びといたしまして、現在の費用の他にこちらの額を用意しております」
我々の前に差し出された紙の包みには厚みがある。まさかここの割引券というわけではあるまいし、こちらの世界の通貨、紙幣が詰まっていることだろう。あれだけあればしばらく外食を楽しむことができそうだ。
「こんな物受け取れません! 僕はこんなもの欲しさに協力を認めたわけじゃない!」
熱量は糧となり怒りの精霊を成長させていく。養父の興奮した声は室内に響き、不快そうに音の精霊たちが一瞬姿を隠した。
放っておくと怒りの精霊が大きくなりすぎてまた養父が暴走しそうなのでそろそろ止めようかと考え始めたところで、ずっと黙っていた養母の声により音の精霊たちはまた顔を見せる。
「明彦さん。受け取っておきましょうよ。このお金で拓弥くんと美味しいものでも食べに行きましょう。ね?」
「おっさんとは町中華ってのに行く約束してる」
「じゃあ高級中華も一緒に行きましょうか」
養母の声で上級精霊たちが一斉に姿を現す。そして養父の方を睨みつけると、傍にいた怒りの精霊は圧力に負けどこかへ行ってしまった。美味しい物というワードを聞いて黙っているやつらではない。
「それでお話はこれだけではないんですよね。どうぞ続きを」
「実は、こちらの方なのですが――」
養母の促しによって相手側の説明は続く。そしてここにきてようやくここまで無言で同席していた男について説明がされた。俺にはよくわからないがこの国の『不動産王』と呼ばれる男の秘書の一人なのだとか。養父母も名前を聞いて驚いていたので有名なのは間違いなさそう。
「奇跡の回復をなされた三島さまについてとある筋よりお話を伺いまして、独自に調査させていただきました。検査の結果完治されているようで、本当に素晴らしいことだと思います。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「つきましては、その奇跡を我々の身内でも起こす方法がないかと考えておりまして、何か方法、または願掛けなどがございましたら是非ともご教授いただきたいのです。もちろん気持ちばかりですが、お礼の方も――。どうかご一考下さい」
言い終えた眼鏡をかけた若い男の視線は俺に向いていた。明らかに俺が原因だと知った上での言動のようだ。
いつから盗聴されていたのかは不明だが、少なくとも昨日の病室での会話だけでも俺が普通ではないことはわかる内容だ。まだ成人していない子供と親の交わした言葉。普段であれば信じるに値しないような場面だったとしても、養母の前例があった上でなら別だろう。完全に何か確信を持ったうえでこの場に参加していると見るべき。
男は鞄から何かを取り出すと、先ほどの病院関係者と同じようにこちら側に差し出した。見るとファイルという紙を保護する入れ物。それを開くと交渉の対価が書かれた紙が挟まれていた。中を見た養父母はお互い顔を見合わせて驚いている。
「いかがでしょうか?」
難しい文字と言い回しはまだわからないが、興味本位で精霊たちと共に覗き込めば俺でもわかる高額な報酬が書かれていた。
「一千万ですか……」
「はい。その額でいかがでしょうか?」
養父の声に相手の男は淡々と返す。
一千万円という額がすごいことはわかる。現に養父は金額を確認した後言葉に詰まっている。
しかし一千万円とは異世界でいう馬何頭分なのだろうか。瞬時に換算できるほどこちらの生活に慣れていない。
頭の中で走る馬の姿を思い浮かべていたが、別に元いた世界で考える必要はなく、そのまま聞けばいいことに気付いた。
誰にしよう。やはりここは養父か。
「それってどれくらいすごい? 何が買える? 家とか?」
「家は……新しく建てるとなると難しい。車だと一般的な物が二台は買えると思う」
「それくらいか」
馬ではないが車で言えば二台分。それなりに高額な乗り物だと養父は話していたはず。相手が一般的な冒険者などであればそれなりにがんばった額だということになる。だが目の前の男が所属する組織ではそうではないはず。
「お兄さんさ。奇跡に縋りたいそいつの命の価値はその一千万てことでいい?」
俺の声にすべての視線が集まった。




