第四話 飛べない者
養父のように声は出さなかったが、俺の視界の端にも窓の外を人が落下していく様子が映っていた。こちらにも空を飛べる者がいたのかと思ったが、養父の反応や誰かの悲鳴が聞こえていることから思い違いだったらしい。
「今……。人が落ちたよね?」
養父の声が震えている。更には腰を浮かせた後、座ろうとしたり立ち上がろうとしたりと小刻みに上下している。
代わりとばかりに俺は窓に歩み寄り下を覗こうとしたが、生憎とここの窓は大きく開けることを制限されているようで僅かしか動かせなかった。ただ精霊の動きや気配を見るに先ほどの人間は生きている。強い存在感を示す死の精霊の数は変わっていない。
「こっちにも飛べる人いるのかと思ったけど、そうじゃないんだな」
「普通の人は拓くんとは違うから……」
「拓弥くん何かわかる?」
「ここからじゃ見えないけど、死んではいない」
「そう。ならいいのだけれど……」
しばらく騒ぎが続き、病院に訪れる人間の数が増えている。死んでいないのであればここは治療を行う場所。落下した他人のことを気にする必要はない。
だが俺と養父は帰るタイミングを逃してしまった。不安そうな表情の養母を残してこのまま帰るわけにもいかない。
「おっさん夕飯どうする?」
「リムさんに頼んであるけど」
「リムさん?」
「あー。佳苗さんに言い忘れてた。前に話した俺を襲った暗殺者がメイドになりたいって来たんだよ。だからしばらく家にいると思う」
「拓弥くんがそう決めたのなら大丈夫なのよね?」
「うん」
養母は途中口をあんぐり開けていたが、すぐに気を取り戻して受け入れてくれた。先程の落下とは関係ない話をしたことで、養母の傍にいる精霊たちものんびりし始める。少しは落ち着いてきたようだ。
途中看護師という養母の世話をする女性が騒ぎについての説明に来たり、ついでにと主治医という治療を行う男も現れて明日家族である我々と話し合いの時間を持ちたいとの連絡もあった。
「じゃあそろそろ帰ろうかな。さすがに落ち着いて来たみたいだし」
「そうね。明日も来ることになっちゃったけどごめんなさいね」
「問題ない。また明日」
病院を出ると闇の精霊が街灯を嫌うように距離を取っていた。手をかざせば一部が降りて来て体の中に消えていく。辺りは少しだけ闇が薄くなる。
「いるのかい?」
「ああ。闇……こちらでいう夜のやつがいる」
「僕にも見えたら佳苗さんのことでお世話になっているお礼を言うのだが」
「一回死にかけてるしそのうち見えるようになるかもな」
俺の言葉に養父は困ったような表情で応えた。
家に帰ると玄関は勝手に開いた。精霊が仕事を取られたと不満そうだ。
「おかえりなさいませ」
「おう。食事の用意は?」
「出来ております」
手を洗いリビングへ向かい席に着けばリムがこの家で初めて作った料理が並べられた。赤黒く毒のような色をした物もあるが、精霊たちは危険であるとは伝えてこない。
配膳が終わるとキッチンに近い場所でリムが待機しようとしたので声をかける。
「何やってんだ。お前のも用意して隣に座れ。おっさんの横は佳苗さんの場所だからこっちだ」
「ですが……」
「早くしろ。冷めるだろう」
無理やりに席に着かせ「いただきます」という養父の挨拶に続き食べ始める。リムとはまだ正式に契約をしていない。よって使用人という立場とも少し違う。ならば共に食事をすればいい。
養父は一瞬食べるのを躊躇しこちらの様子を窺っていたが、俺が食べ始めたのを見て真似するように口に運んだ。
「本格的な中華の味だね」
「辛いが美味いな。おっさん今度中華ってやつの食堂に行こう」
「町中華でいいよね?」
「とりあえず何でもいい。食べてみないと違いがわからんしな」
食後は宿題という課題を終わらせる。病院で騒ぎが起きてすぐに出られなかった時、養母の病室で終わらせておけばよかった。言葉の方は精霊の力を使えば問題ないが、文字の方はそうはいかない。書くのに不慣れで時間がかかる。
終わると風呂に入りベッドで横になる。まだ成長中である子供の身体は眠りの精霊を呼び寄せやすい。更に俺の場合は勝手に傍で生まれる精霊も多い。よって常人よりも周囲にいる眠りの精霊は濃くなる。明日のためにも抗うことなく眠りの誘いを素直に受け入れた。
翌朝もリムは昨日と同じように隣で寝ていた。精霊たちが許可したのなら構わない。俺の身にとって脅威ではないという事。
階下からは養父の活動する音が聞こえる。朝食のメニューが楽しみだ。
部屋のカーテンを開けると光の精霊が活発に動き始め、迷惑そうな眠りの精霊が部屋から去って行った。眠りの精霊は騒がしいのを嫌う。ようやく目を覚ましたリムに服を着させ共に下へ降りる。
炊かれた米の匂いが風の精霊によって運ばれてくる。精霊の悪戯によるネタバレというやつ。今朝はおにぎりとみそ汁。俺がおにぎりを好むので朝はこのメニューが比較的多い。中身の具が遺跡で見つけた箱を空けるようで楽しいのだ。
「また学校が終わる頃に迎えに行くから」
「わかった」
午後の予定を確認し、早めに玄関を出る。すると精霊が今日は雨が降ると教えてくれた。一度玄関まで戻り傘を手に取る。少し派手な黄色い傘。
「おはようございます」
「三島くんおはよう。今日もお願いね。あら。傘。天気予報では大丈夫って言ってたけど降りそうよね。家の子にも傘持たせるから少し待ってね」
年長である俺は、途中年下の子供を拾っていかなければならない。傘を持った俺の姿を見て空を見上げた他家の母親は、我が子にも傘を持たせる判断をした。
肝心の子供の方は、軒下にある鳥の巣を注視している。母鳥がヒナに餌を与える様子が気になっている模様。
「あっ!」
一羽のヒナが落ちそうになったのを見て、少年が声を上げ手を伸ばした。その姿を見て昨日の出来事を思い出す。あの落ちていった人間には、この少年のように手を差し伸べようとしてくれた相手はいたのだろうか?
少年の意思によって色を持った精霊は、落ちそうになったヒナの身を包んでいた。




