第九話 新しい日々へ
何かに顔を舐められる気配を感じ目を開けば、目の前には深紅よりも濃い色をした精霊が舌を出しこちらの様子を窺っていた。
「やっぱりいるよなあ」
昨日、精霊王によって生み出されたテマリによく似た犬の精霊。精霊王は昨日の件で非常に犬を気に入ったらしく、自らがテマリより回収し飲み込んだものを再構築し専用の乗り物を作り出してしまっていた。
現在精霊王は俺の中で就寝中。となれば俺の傍にこいつがいるのも自然なこと。ついでに言ってしまえば今後も一緒ということになる。
ハッハという息遣いが聞こえてくるのは、精霊王によって生み出されたがゆえか。俺に付いてくれている上級精霊たちよりも格上のようで、意識すれば触れた際の感触や声なども確認できる。
ともかく害はないと判断し、新しく家族が増えたという気持ちで接していくつもりだ。
自らの心に折り合いをつけると、ふにふにとリムをつついて起こし活動を開始する。欠伸をしながら階下へと向かうと、養父の鼻歌が聞こえてきた。
「今日は機嫌良さそうだな」
「今朝佳苗さんから連絡が来てね。退院する日が決まったんだよ!」
室内に入り開口一番。嫌味を込めて言ったつもりだったのだが効果はなく、話を振ったことでより感情を昂らせる結果になってしまった。
そんなウキウキの養父は放っておいて、まずは朝食だ。今朝はおにぎりとみそ汁のようで席に着くとすぐに用意された。みそ汁から飲み始めたが、どうも具が多い気がする。
気分が良くなって入れ過ぎたのかサラダの代わりか。どちらにしろ美味しければこちらとしては構わない。大きく開いた口におにぎりを咥え、頬を膨らませながらタイミングをみてそこへみそ汁を参戦させる。ごはんとみそ汁が合わさり新たな味に変わると、それを飲み込んでいく。うん。美味い。この体はこういった料理を好む。
食後に少しゆっくりしながらカレンダーを見る。今日の日付は赤色。日曜日ということで小学校は休み。豊川の件があったので友達との約束などもなく、一日好きに使うことができる。養父の様子を見るに、あちらは養母の元へ面会に行くのだろう。俺はどうしようかと悩む。
「おっさん。佳苗さんのところに行く前に、何か用事ある?」
「いや。ないけど。何かしたい事でもあるのかい?」
「豊川からの報酬でそこそこいい性能のパソコンとスマホを買ってくれ」
「拓くん使えるようになったの?」
「学校で習うしな」
「あー。そうだったね」
養父が笑いながら「ジェネレーションギャップだね」なんて言っていた。異世界でいうと革新的な魔法の使い方が広まった時のような感覚ということか。言葉の意味は理解できるが、そこの部分は記憶が反映されるので違った解釈になるのはいつものこと。
お金を管理する養父の許可も出たので外へ買いに行こうかと立ち上がったのだが、パソコンで注文するということで結局家の中にいることになってしまった。
養父の説明を聞きながらあれこれ選んでいると、豊川から俺に入った報酬五十万の大部分がなくなることに……。パソコンが高いのはわかるのだが、スマホも同じくらいの値段と言われると少し納得がいかない。大きさで言えば何倍も違うのに……。
一億円もらっておけばよかったと後悔しながら視線を隣に向けると、精霊王によって生み出された犬の精霊がいる。テマリに似て優しそうな目をしていて、見ているこっちも優しい気持ちになってしまう。これが元誓いの精霊と死の精霊だというのだから不思議なものだ。
現状住む場所と食う物には困っていない。犬の精霊の顔を見ていると金について考えるのは馬鹿らしくなったのでやめた。欲しければ稼ぐか、どうしてもということになればどこかから奪ってしまえばいいのだから。
午後からは養母の元へ共に行くことにした。リムと留守番でもよかったが、あいつも一緒に住み始めてまだ期間が短い。俺がいない方が過ごしやすいだろうという判断だ。
「退院の日決まったんだね!」
入室してすぐ養父は声を上げた。期待と歓喜の感情は命の精霊に力を与えることもある。養父のこういった部分が養母の回復を助ける働きをしているので黙って好きにさせている。
「ええ。これで久しぶりに拓弥くんたちとも一緒に生活できるわね」
養母へ俺という存在の説明は、ある日異世界人だった記憶が蘇ったと説明している。まさか「あんたが死にかけて気が狂った養父が養子である拓弥を殺してそこに俺の魂が入れられた」などと馬鹿正直に言えるはずがない。これについてはいつか落ち着いた頃に話すかも知れないし、一生このままかも知れない。とにかく養母には、まずは健康な身体で日常生活に戻って欲しいと思っている。
「退院する時に持って帰りやすい物はいいけれど、果物なんかは悪くなる前に食べてしまった方がいいわよね」
「賛成。今日は何にする?」
「贅沢にゼリーを器に移して、そこにたくさん果物を加えちゃいましょうか!」
「いいね! じゃあおっさん用意して」
ここでのお約束となりつつあるお見舞いによるおやつの時間。養母の提案を即採用し、残り物の果物を処分する。処分といいながらも贅沢なのだが。
こうなると上級精霊たちが黙って大人しくしているはずもなく、押し合いへし合いしながら俺に溶け込み味を盗もうと争っていた。
その様子を見ていると、ふとここで果物を食べる機会ももうじきなくなるのかと物悲しくなる。少々不謹慎かもしれないが、俺や精霊たちにとってはそれなりに楽しい時間だった。
「あっ!」
そんな病室で黄昏る俺の目の前で、窓の外を見ていた養父が声を上げた。
また誰か落ちているのかと養母と揃って顔を向けたが、外からは騒ぐような気配もなく何か見逃したというわけではないようだが……。
「なんだよおっさん?」
「いやね。退院祝いに中華。中華料理に行こうかと思い付いてさ。予約しなきゃなって思ったらついね!」
「よし! 帰ったら予約しろ。いや、今すぐやれ!」
俺たちのやり取りを見て養母が笑った。
拓弥となってからの養父との日々は終わりを告げる。今度は新しく養母も加えた生活が始まるのだ。
室内にいる精霊たちも俺たちから漏れ出る感情により濃さを増し、楽しそうな表情。新入りの犬も尻尾がブンブンと揺れ動いている。俺の中で寝ている精霊王の寝息も何だかいつもより上機嫌だ。
そういえば来月になると夏休みという長い休みがあるらしく、皆でどこかへ出かけるのもいいだろう。病み上がりの養母のために命の精霊が働きやすい場所へ。養父母、そして精霊王や精霊たちと共に。




