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悪役令嬢は悪女として死ぬ覚悟を決めました。  作者: 白い鴉


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4.最初の悪行

 悪役令嬢には、それらしい振る舞いが必要だ。


 ゲームの中のルーは、具体的にどんな悪行をしていたか。プレイ中に描写されていたのは、主に断罪の場での告発内容として語られるものだった。近隣貴族への侮辱、商人への不当な課税、使用人への苛烈な扱い。それから、勇者への迫害。


 ただし細部は曖昧だった。


 三千時間プレイしても、ルーの悪行の具体的な場面はほとんど描かれていない。断罪の場で「あのような仕打ちを受けた」と語られるだけで、実際に何がどこでどう行われたかは、プレイヤーには見えない構造になっていた。


 つまり私には、ある程度の裁量がある。


 悪役令嬢としての印象を世間に植え付けながら、実害を最小限に抑える方法を選べる。断罪の場で告発される内容として成立する程度の「悪行」を、計算して配置していけばいい。


 今日がその最初だ。


 近隣領地のハイネ侯爵家から、使者が来ることになっていた。



  *



 ハイネ侯爵家は、ルーの領地の西隣にある中規模の貴族だ。


 ゲームの中では、断罪の場で証言者として登場する。「ルーから侮辱を受けた」という内容の証言だった。具体的な侮辱の内容は描かれていなかったが、侯爵家の当主が直接証言台に立つという設定は固定されていた。


 つまり今日、私はハイネ侯爵家の使者に対して、侯爵が証言台に立つほどの侮辱を与えなければならない。


 使者の名前はカルロ。三十代半ばの男で、侯爵家の中堅どころらしい。事前にセレンから聞いた情報では、几帳面で礼儀を重んじる人物だという。


 礼儀を重んじる人間への侮辱は、効果が大きい。


 応接室で待っていると、ノックの音がして扉が開いた。カルロが入ってきた。黒い服に銀の飾り。背筋が真っ直ぐで、歩き方に訓練の跡がある。


 私は椅子から立ち上がらなかった。


 来客に対して立ち上がらないのは、明確な無礼だ。カルロの目に、一瞬何かが走った。それでも彼は丁寧に礼をした。


「ルー様、ハイネ侯爵家よりご挨拶に参りました。カルロと申します」


 私は返事をしなかった。


 テーブルの上の書類を眺めるふりをして、三十秒ほど沈黙した。カルロは立ったまま待った。その間、私は彼の靴の先が少しだけ動いたのを見ていた。苛立ちを抑えている。


「用件を」


 ようやく言った。「よく来た」も「座れ」もない。


「はい。このたび侯爵より、隣領との親交を深めたく、来月に小宴を催したいとのお誘いで——」


「断る」


 カルロが止まった。


「……まだご説明が」


「聞く必要はない。断ると言った」


 短く、はっきりと言った。感情のない声で。


 カルロの表情が固まった。怒りではなく、対応に困っている顔だ。どう返すべきか、瞬時に判断しようとしている。礼儀正しい人間が無礼に接された時の、あの一瞬の停止。


「……かしこまりました。侯爵にはそのようにお伝えします」


「それと」


 立ち上がった。


 カルロと目が合った。私は彼の顔を一度だけ見て、それからゆっくりと視線を外した。値踏みするような間を作ってから、言った。


「侯爵にお伝えください。次に使者を寄越すなら、もう少し話のわかる者を選ぶよう」


 カルロの顎が、わずかに動いた。


 これは個人への侮辱だ。使者としてではなく、カルロという人間への。侯爵家に仕える者として、これは受け入れがたい言葉のはずだ。


「……承りました」


 声が平坦になっていた。それが、感情を抑えた証拠だ。


 私は部屋を出た。後ろでカルロが礼をする気配があったが、振り返らなかった。



  *



 廊下でセレンが待っていた。


 私の顔を見て、何も言わなかった。ただ隣に並んで歩いた。


 階段を上りながら、私は頭の中で今日の場面を採点していた。


 侯爵への断り。使者への個人的な侮辱。これで侯爵家は確実に不快感を持つ。カルロは侯爵に正確に報告するだろう。礼儀正しい人間は、受けた無礼を正確に伝える。侯爵が証言台に立つ動機として、今日の場面は機能する。


 問題はない。


 カルロに実害はない。仕事が一つ増えただけだ。「断られた」という報告を持ち帰るのは不本意だろうが、それ以上のことは起きていない。


 計算通りだ。


「セレン」


「はい」


「カルロという使者に、帰り際に菓子の一つでも持たせておけ」


 セレンが止まった。


 私は振り返らずに歩き続けた。


「……理由を伺っても」


「遠くから来た。それだけだ」


 長い沈黙があった。


「かしこまりました」


 セレンの声は、いつも通り平坦だった。でも何か、質感が違う気がした。聞き間違いかもしれない。


 私は自室へ向かった。



  *



 夜、スマホを開いた。


 シミュレーションを起動する。


『今日のハイネ侯爵家使者への対応が断罪の証言に繋がる確率』


 砂時計。


『高い確率で証言に繋がる。ただし侯爵が個人的な侮辱と判断するかは使者の報告内容に依存する』


 まあそうだろう。


 次を入力した。


『菓子を持たせた場合の影響』


『断罪の証言内容には影響しない。カルロへの印象は若干緩和される可能性があるが、侯爵家全体の対ルー感情には軽微な影響のみ』


 そうか。


 では問題ない。


 私はアプリを閉じて、今日の行動をメモに記録した。日付、相手、行動内容、結果。断罪の布石として機能させるための記録だ。


 書きながら、カルロの靴先のことを思い出した。


 苛立ちを抑えながら、それでも礼儀を崩さなかった。ああいう人間は、報告においても正確だ。見たことをそのまま伝える。私が与えた侮辱を、過不足なく侯爵に届ける。


 それが今日の目的だった。


 カルロが礼儀正しい人間でよかったとも思った。別の人間だったら、怒りに任せて余計なことをされた可能性がある。


 菓子を持たせたのは、そういう意味もあった。


 怒りを少し和らげることで、帰り道の判断を冷静にさせる。冷静な状態で侯爵に報告させる方が、今日の侮辱の内容が正確に伝わる。


 計算だ。全部計算だ。


 そう書いてから、少し間を置いて、一行追記した。


『カルロは悪くない』


 それを見て、消そうかと思った。


 メモに必要な情報ではない。感傷だ。記録として意味がない。


 消さなかった。


 理由は自分でも説明できなかった。



  *



 翌朝、セレンから報告が来た。


「カルロ様は菓子をお受け取りになり、丁寧にお礼を述べて帰られました」


「そうか」


「……一つお尋ねしてもよろしいですか」


 珍しかった。セレンが確認以外のことを聞いてくるのは。


「何だ」


「今日のご対応は、意図したものでしょうか」


 私は書類から目を上げた。セレンの顔を見た。表情は変わらない。ただ目が真剣だ。


「どういう意味だ」


「侯爵家との関係を悪化させる意図があったのか、それとも別の理由があったのか。私には判断がつきかねまして」


 私はしばらくセレンを見た。


 賢い人間だと思った。感情で判断せず、事実を積み上げて問いに来る。不満でも怒りでもなく、理解しようとして聞いている。


「意図した」


「……そうですか」


「それ以上は聞くな」


「はい」


 セレンは礼をして下がった。


 今日もまた、シナリオにない会話をした。


 ルーは使用人に理由を説明しない。ゲームの中では、命令と処罰だけがあった。問いに答えるルーは、どこにも描かれていなかった。


 私はそれをわかっていて、答えた。


 なぜかは、今日もわからなかった。


 窓の外の荒野は、昨日と変わらず乾いていた。

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