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悪役令嬢は悪女として死ぬ覚悟を決めました。  作者: 白い鴉


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3.仕様

 セレンには、東の第二村へ向かうよう命じた。


 水路修繕の件で現地確認が必要だという理由をつけた。嘘ではない。実際に確認が必要だし、セレンが行けば話が早い。ただそれと同時に、本邸から離してしまいたかったという理由もあった。


 セレンは何も言わずに頷いた。


 疑問を持っていないわけではないだろう。ただ問わない。それがセレンという人間だった。先代の頃から仕えているらしく、この屋敷の細部を私よりもよく知っている。私がゲームで把握していた情報よりも、セレンが実際に知っていることの方が多い場面が、この二日で何度かあった。


 信頼できる人間だとは思う。


 だからこそ、余計なことを知らせない方がいい。


 セレンの馬が門を出ていくのを見届けてから、私は裏口から外へ出た。



  *



 北東の森は、地図で見るより小さかった。


 徒歩で二十分ほど。本邸から出て、荒野の端を沿うように歩くと、低い丘の向こうに木立が見えてくる。葉の色が少し暗い。周囲の木々と比べて、緑が深すぎる。魔素が低いはずなのに、植物だけが妙に生き生きとしている。


 矛盾している。


 魔素が低ければ植物の育ちも悪くなるはずだ。現に領地の南側はそうなっている。なのにこの森だけが逆の状態にある。


 消費されているのではなく、集まっているのかもしれない。


 スマホを取り出した。周囲に人がいないことを確認してから、魔素観測のアプリを開く。数値を見る。やはり低い。だが方向性の問題だ。この森の外側で測れば低い。内側に入れば、違う数値が出るかもしれない。


 森の入り口に立った。


 特に何もない。獣道がある。落ち葉が厚く積もっている。人が入った形跡は薄いが、完全にないわけでもない。踏み固められた跡が、かすかに続いている。


 中へ入った。


 十歩ほど進んだところで、スマホの画面が振動した。


 通知だ。


 ロック画面に文字が浮かんでいる。



 [シーン通知]

 3分後からシーン002「領主の通行」が開始されます

 内容:領主が森の近辺を通行します

 出演者はシーンに沿った動きを心がけてください



 私は立ち止まった。


 画面を見つめた。


 最初に思ったのは、そういう機能があったのか、ということだった。驚きではない。ゲームのオープニングで意味不明だった動作も、スマホの召喚も、シミュレーション機能も、全部事前にゲームには描かれていなかった。だから新しい機能が出てきても、今さら驚く理由がない。


 ただ、内容が気になった。


 シーン002。領主の通行。


 私のことだ。おそらくこの森の近辺を通るシーンが、ゲームのどこかに設定されている。ゲームには登場しなかった場面だが、内部データとしては存在していたということか。


 三分後。


 私はそのまま立っていた。


 三分が経った。


 何も起きなかった。


 森の中はただ静かで、風が葉を揺らす音だけがあった。私は木立の中に一人立っていて、どこにも行かなかったし、何かに引き寄せられることもなかった。


 通知の内容は「通行」だ。私は既に森に入っている。これが「通行」の完了なのかもしれない。あるいは強制力というのは、結果に向かって修正されるものであって、私が既に自分の意志でその結果に向かっていた場合は発動しないのかもしれない。


 わからない。


 データが足りない。


 私はメモアプリを開いて記録した。通知の受信時刻、内容、その後の経過。シミュレーション機能と同じく、使い続けることで仕様が見えてくるはずだ。


 もう一つ、確認したいことができた。



  *



 森の内側に入るほど、足元の感触が変わった。


 土が柔らかい。湿り気がある。外の荒野とは明らかに違う。木の根が地面を覆っていて、苔が育っている。スマホで魔素を測ると、外側より数値が高い。予想通りだった。


 何かが魔素をここに集めている。


 あるいは、ここから外に流れ出ないよう、何かが遮断している。


 森の中心部に向かって歩いた。十分ほど進んだところで、地面が少し盛り上がっている場所があった。自然な地形ではない。人の手か、あるいは何かの力が加わって形成されたような、均一すぎる盛り上がり方だ。


 近づいた。


 石がある。


 大きな石が一枚、地面から半分ほど顔を出している。苔に覆われて、どれくらいの年数が経っているかはわからない。表面に何かが彫られている。文字ではない。図形に近い。複数の線が交差している。


 スマホのカメラで撮影した。


 魔素の数値を測ると、この石の周辺だけ、さらに高い。石が魔素を引き寄せているのか、それとも石の下に何かがあるのか。


 シミュレーションを開いた。


『この石の正体として考えられるもの』


 砂時計。


『データ不足のため断定は不可。魔素を固定・集積する機能を持つ遺物の可能性あり。古い時代の術式が刻まれている可能性がある。詳細な調査には専門知識が必要』


 遺物。


 ゲームには出てこなかったものだ。このゲームの世界に、そういった遺物が存在するという設定があったかどうか、私の記憶には引っかかりがない。三千時間プレイしたが、設定の全てがゲーム画面に描かれていたわけではない。


 この世界は、ゲームよりも広い。


 当然のことだが、今日は特にそれを感じた。


 石の写真と魔素データをメモに保存した。定期的に観測を続ける必要がある。この石が領地全体の魔素異常に関係しているなら、飢饉の原因解明に繋がる可能性がある。


 ただし今日はここまでだ。


 長く留守にするとセレンに怪しまれる。



  *



 帰り道、もう一度スマホを確認した。


 通知の件を整理したかった。


 シーン002というナンバリングは、001が既に存在することを示している。おそらくシーン001は第1話に相当する何か、転生の瞬間か、目覚めの場面か。私が気づく前に既に処理されていたのかもしれない。


 そしてシーンにはナンバリングがある。ということは、この先も通知が来る可能性がある。003、004、と続いていくのだとすれば、私はその全てを事前に知ることができる。


 それは有利なのか。


 考えた。


 知ることと、変えられることは別だ。強制力があるなら、通知が来た時点でその結果は決まっている。私にできるのは、その過程でどう動くかだけだ。


 ただ、三分前に通知が来るという仕様には意味がある。


 準備できる。


 強制されている結果に向かいながら、その周辺で何をするかを三分で決められる。シナリオの隙間を使うための、三分間だ。


 私はそれを、使えると判断した。


 本邸の門が見えてきた。セレンはまだ戻っていない。


 門をくぐりながら、今日知ったことを頭の中で整理した。


 一つ。スマホにはシーン通知機能がある。

 二つ。通知には強制力が伴う可能性がある。

 三つ。ただし自分が既にその方向に動いている場合は発動しないかもしれない。

 四つ。北東の森に正体不明の遺物がある。

 五つ。その遺物が領地の魔素異常に関係している可能性がある。


 わからないことが増えた。


 ゲームには映っていなかった何かが、この世界にはある。それが何なのかを、私は知らない。三千時間では、届かなかった場所がある。


 部屋に戻り、扉を閉めた。


 スマホをもう一度開いた。メモに追記する。


『シーン通知機能について。強制力の詳細は未確認。本格的な通知は本編開始後と推定。それまでに仕様を把握しておく必要あり』


『遺物について。定期観測を継続。石の図形の意味を調べる手段を検討すること』


 保存した。


 窓の外で、馬の蹄の音がした。セレンが戻ってきたらしい。


 私はスマホを布団の下に入れてから、椅子に座り直した。何事もなかった顔をするのは、もう慣れていた。



  *



 夕食の後、セレンが報告を持ってきた。


「第二村の水路、確認してまいりました。修繕箇所は三か所。一か所は早急に対応が必要な状態です」


「工期の見直しが必要か」


「職人の手配次第では、二週間ほど早められるかと」


「手配しろ」


「かしこまりました」


 セレンが書類を置いて、下がろうとした。その背中に向かって、私は言った。


「今日の視察、ご苦労だった」


 セレンが止まった。


 振り返った。その顔に、かすかに何かが浮かんでいた。驚きとも困惑ともつかない、小さな表情の揺れ。


「……ありがとうございます」


 それだけ言って、出ていった。


 扉が閉まった後、私は自分が何を言ったかを改めて考えた。


 ご苦労だった。


 悪役令嬢の台詞ではない。シナリオには存在しない言葉だ。セレンが驚いたのは当然だ。


 なぜ言ったのか、自分でもよくわからなかった。


 計算ではなかった。


 ただ、長い一日を終えて疲れているだろうと思っただけだ。セレンは朝から馬で往復して、現地を確認して、報告書を作成して戻ってきた。それを「ご苦労だった」と言うのは、別に不自然なことではない。


 ただし、ルーとしては不自然だ。


 私は窓の外を見た。


 今日は星が多い。昨日より空気が澄んでいる。


 シナリオにない言葉を、今日私は一つ使った。


 それがどこかへ繋がるかどうかは、まだわからない。

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