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悪役令嬢は悪女として死ぬ覚悟を決めました。  作者: 白い鴉


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5.記録

 魔素の観測を始めて、十日が経った。


 データが蓄積されるほど、輪郭が見えてくる。領地全体の魔素濃度は緩やかに低下し続けている。下がり方は一定ではなく、波がある。三日から五日の周期で、わずかに上昇してからまた下がる。潮の満ち引きに似た動きだ。


 そしてその波の基点が、北東の森にある。


 スマホの地図アプリに記録したデータを重ねると、森を中心に同心円状に魔素の濃度差が広がっている。森の内側が高く、外側へいくほど低くなる。石の遺物が魔素を引き寄せているのなら、周囲から魔素を吸い上げて集積している可能性がある。


 つまり領地全体の魔素が、あの石に向かって流れている。


 農地が痩せている理由がここにある可能性が高い。


 ただし確定ではない。他の要因が重なっている可能性も排除できない。データを取り続けることが必要だ。


 私はメモに現時点の仮説を書いた。


『遺物が領地の魔素を集積している可能性。飢饉の一因として考えられる。遺物の除去または機能の停止が改善に繋がるか要検討。ただし遺物の正体と目的が不明なため、除去の判断は時期尚早』


 書いてから、一行加えた。


『遺物がゲームのシナリオに関係している可能性を忘れないこと』


 ゲームには映っていなかった。しかし存在していた。誰かが作り、誰かが置いた。それがいつのことで、何のためなのかは、まだわからない。



  *



 昼過ぎ、セレンが来た。


「東の村から報告が入っております」


「内容は」


「村外れに見慣れない男が現れ、数日前から村内をうろついているとのことです。村人が話しかけても素性を明かさず、食べ物を乞うこともあると」


 私は書類から顔を上げた。


「年齢は」


「二十代から三十代の間ではないかと。詳しくは村長の見立てですが」


「怪我は」


「右腕に包帯を巻いているとのことです」


 右腕に包帯。村をうろつく。素性を明かさない。


 ゲームの記憶を探った。


 合致するものがある。


 ゲームの中盤、断罪の場での告発内容の一つに「領地内の浮浪者を不当に拘束し、処刑した」という項目があった。具体的な人物名は出てこなかった。ただ「領地内で行き場を失った者を、理由もなく排除した」という内容だった。


 これがその人物かどうかは、まだわからない。


 だがタイミングとして、早い。ゲームの本編はまだ始まっていない。本編前の時期に、こういった人物が現れるとは思っていなかった。


 スマホのシミュレーションを、夜に回す必要がある。


「その男を、本邸に連れてくるよう伝えろ」


 セレンが少し間を置いた。


「……拘束して、でしょうか」


「任意で構わない。来ない場合は、来るまで待て」


「かしこまりました」


 セレンが下がった後、私は窓の外を見た。


 東の村。右腕に包帯。素性を明かさない。


 ゲームに名前のなかった人物が、今日は実在している。



  *



 男が来たのは翌日の夕方だった。


 名前を聞くと、少し間があってから「テオ」と言った。本名かどうかはわからない。年齢は二十八か二十九くらいに見えた。痩せていて、服が汚れている。右腕の包帯は古く、替えていない。


 私は応接室ではなく、屋敷の裏手にある小さな部屋で会った。使用人が出入りする場所に近く、人目がある。ただし大勢が集まる場所ではない。


 椅子に座らせた。


 テオは警戒した目で私を見ていた。貴族の屋敷に連れてこられた理由がわからない。逃げることも、かといって反抗することもできない、中途半端な緊張がある。


「素性を話せ」


 単刀直入に言った。テオの目が少し動いた。


「……ただの旅人です」


「嘘をつくな」


 テオが黙った。


「右腕の怪我の理由は」


「……転んで」


「転んで右腕だけを怪我する転び方がどういうものか、見当がつかない」


 テオはしばらく黙っていた。私も黙っていた。


 沈黙は、使い方次第で問いになる。


 テオがゆっくりと息を吐いた。


「……追われています」


「誰に」


「隣の領地の商人に。借金の話で、少しもめまして」


 借金。商人。隣の領地。


 私はその情報を頭の中で整理した。追われているなら素性を隠すのは当然だ。村をうろついていたのも、行き場がなかったからだ。包帯を替えていないのは、医者に行けないからだろう。


「商人の名前は」


「……ヴェルナーと言います。西の隣領で、麻の取引をしている」


 ハイネ侯爵領の商人だ。


 西隣。つまり四日前に使者を追い返した侯爵家の管轄内にいる人間だ。直接の関係があるかどうかはわからないが、地理的には繋がっている。


 シミュレーションを夜に回す項目が、また一つ増えた。


「包帯を替えろ。医者を呼ぶ」


 テオが目を見開いた。


「……なぜ」


「腕が腐ると困る」


 感情のない声で言った。テオは何も言えなかった。


 セレンを呼んで、医者の手配と、テオが今夜泊まれる場所の確保を命じた。セレンは何も聞かなかった。ただ頷いて出ていった。


 テオが私の背中を見ていた。その視線の意味はわからない。



  *



 夜、スマホを開いた。


 まずシミュレーションを回した。


『テオという人物がゲームのシナリオにおける「処刑された浮浪者」に該当する確率』


 砂時計。


『高い確率で該当する。ただし本編開始前の時期に登場している点は想定外の早期化である』


 やはりそうか。


 次を入力した。


『テオを匿った場合の断罪への影響』


『断罪の告発内容として「浮浪者の処刑」が使用される前提が崩れる。代替の告発内容が必要になる可能性がある』


 つまり、テオを匿うためには、処刑したという事実を別の方法で作る必要がある。


 匿う。それは決めていた。


 テオは悪くない。借金のもめごとで追われて、行き場を失っている。それだけのことだ。シナリオの都合で処刑される理由は、どこにもない。


 問題は「処刑した」という事実をどう作るかだ。


 考えた。


 テオに別の名前を与える。領地の別の場所で働かせる。東の村には、テオは処刑されたと伝える。村長は信じるだろう。悪役令嬢の領主が浮浪者を処刑したと聞いても、誰も疑わない。


 ヴェルナーという商人には、テオは既にいないと思わせる。


 それで告発の材料は成立する。「処刑した」という噂は広がる。ただし実際にテオは生きている。


 私はメモに手順を書いた。明日、テオに話す内容。与える名前。配置する仕事。伝える範囲と伝えない範囲。


 書きながら、一つ気になることがあった。


 テオがヴェルナーともめた理由が、まだわかっていない。借金と言っていたが、詳細を聞いていない。ゲームの告発内容に「不当な拘束」とあったのは、テオ側に非がないことを示唆している。


 明日、もう少し話を聞く必要がある。


 スマホを閉じた。


 バッテリーが八割を切っていた。シミュレーションを複数回回したせいだ。魔素の補充効率がここのところ落ちている。観測データと照らし合わせると、領地全体の魔素濃度の低下が補充速度にも影響しているようだった。


 遺物の問題は、思ったより深刻かもしれない。


 ただし今は優先順位がある。


 テオのことが先だ。



  *



 翌朝、テオの腕を診た医者が報告に来た。


「化膿が始まっておりました。今日来なければ、数日後には切断が必要になっていたかと」


 私は頷いた。それ以上は何も言わなかった。


 医者が帰った後、テオが廊下で立っていた。部屋の前で待っていたらしい。


 私と目が合った。テオは何かを言おうとして、やめた。また言おうとして、やめた。


「何か」


「……ありがとうございます」


 短く、小さい声だった。


 私は返事をしなかった。


 テオの横を通り過ぎながら、歩きながら言った。


「今夜、また話がある。夕食の後に来い」


 テオが「はい」と言った。


 私は振り返らなかった。


 廊下を歩きながら、今夜テオに伝える内容を頭の中で整理していた。新しい名前。新しい仕事。東の村には戻れないこと。処刑されたことになること。


 この先テオがどう生きるかは、テオが決める。


 私が決められるのは、生きる場所を用意することだけだ。


 階段を上りながら、それで十分だと思った。


 思ってから、十分かどうかを判断する立場に私はないと気づいた。


 ただやれることをやる。それだけだ。

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