28.非協力
追加審問が始まった。
二日目だった。
ブライアが最初に提出したのは、一束の書類だった。
「こちらは、領地の農地記録です。過去三年間の収穫量の推移が記されています」
私はその書類を見た。
見覚えがある。領地の公式記録だ。ただし私が見ていたものより詳しい。誰かが補足して整理している。
「提出したのは誰ですか」
「セレンという方です。昨夜、私のところに持ってきました」
私はセレンを見た。
セレンが正面を向いたまま、何も言わなかった。
「この記録によれば、収穫量は二年前から回復傾向にあります。飢饉の最中にもかかわらず。これは領地の農業管理が機能していたことを示します」
「農民の努力です」
「農民の努力だけで、飢饉の最中に収穫量が回復することはありません。何らかの介入があったはずです」
「私の関与は証明できません」
「証明しなくて構いません。ただし記録として存在します」
ブライアが次の書類を出した。
「こちらは水路の修繕記録です。飢饉の最中に、領地の費用で三か所の修繕が行われています」
「領地の管理として当然の判断です」
「悪政を敷いていたとされる領主が、民のために水路を直した記録が残っています」
「解釈の問題です」
ブライアが私を見た。
「ルー様、あなたは今日も否定を続けますか」
「否定することがあれば否定します」
「肯定することは」
「ありません」
ブライアが少し間を置いた。
「なぜですか」
「審問に関係のないことです」
「関係があります」
ブライアの声が、静かに続いた。
「昨日から証言を聞いていて、私は一つのことが気になっています。これらの行動は、悪役を演じながら人を救おうとした人間の行動に見えます。ルー様、あなたは意図的に悪役を演じていましたか」
部屋が静まり返った。
私は答えなかった。
「答えたくないのですか」
「……審問に関係のないことです」
「関係があると、私は判断しています」
長い沈黙があった。
私はブライアを見た。
この人間は、もう見えている。全部ではない。スマホのことも、バッドエンドのことも知らない。ただ積み上がった事実から、真実に近いものを見ている。
「……関係ありません」
声が出た。
嘘だった。
今日初めて、この審問の場で、明確な嘘をついた。
*
昼の休憩の間、控え室に一人でいた。
スマホを取り出した。
シミュレーションを開いた。
『現在の審問の進行がこのまま続いた場合、断罪が成立する可能性』
砂時計。
『低い。証言と記録の積み重ねにより、断罪の根拠が崩れつつある。ただし民衆の動きとイレギュラーが含まれるため、断定は不可』
低い。
断罪が成立しない可能性が高まっている。
次を入力した。
『断罪が成立しなかった場合、バッドエンドへの経路』
砂時計。長い。
『現時点では不確定。ただし民衆の動き、セレンの行動、証言者たちの存在がイレギュラーとして機能している。これらの要素がバッドエンドを回避する可能性について、算出不可』
算出不可。
また、算出不可だ。
私はその画面を見た。
民衆の動きがバッドエンドを回避する可能性について算出不可。
シミュレーションの限界は最初から知っていた。感情とイレギュラーは読めない。
ただし今、シミュレーションが読めない場所で何かが起きている。
それは最初と同じ言葉だが、今は意味が違う。
最初の時は、その「読めない場所」が空白だった。
今は違う。そこに人々がいる。名前がある。顔がある。
*
午後の審問が始まった。
ブライアが新しいものを取り出した。
「こちらは魔素の観測記録です」
私は動かなかった。
「詳細なデータが、一年以上にわたって記録されています。提出したのはセレンという方ですが、記録者本人ではないようです。これはどなたが記録されたものですか」
私はセレンを見た。
セレンが、静かにこちらを見ていた。
「……私です」
声が出た。
「このデータによれば、領地の飢饉は魔素の異常による自然災害であることが示されています。領主の失政ではなく、五十年以上前から放置されていた遺物の誤作動が原因です」
私は何も言わなかった。
「この記録を、なぜ今まで公表しなかったのですか」
「必要がないと判断しました」
「領地の汚名を晴らせる記録が手元にあって、必要がないと判断した理由は」
「個人的な判断です」
「個人的な判断の根拠を教えてください」
私は答えなかった。
ブライアが少し間を置いた。
「ルー様」
「何ですか」
「あなたは今日、一つだけ嘘をつきました」
私はブライアを見た。
「悪役を演じていたかという問いへの答えです。あなたは関係ないと言いましたが、あれは嘘だと私は判断しています。なぜなら、あなたはその後で一秒だけ目を閉じた」
私は何も言えなかった。
「長年この仕事をしていると、人が嘘をついた瞬間がわかります。あなたの嘘は、この審問で一度だけでした」
ブライアが書類を置いた。
「私はあなたを断罪したいわけではありません。公正な審問をしたいだけです。ですから一つだけ、直接聞かせてください」
部屋が静かだった。
「なぜ、自分が断罪されることを望んでいるのですか」
長い沈黙があった。
私はブライアを見た。
ルカを見た。
ルカが傍聴席にいた。いつの間に来ていたのか。ルカは真っ直ぐにこちらを見ていた。
マルクを見た。レムを見た。セレンを見た。
全員が、こちらを見ていた。
私は息を吸った。
「……答える義務はありません」
「ありません。ただし答えてほしいと思っています」
また沈黙があった。
私の手が、ポケットの中でスマホに触れた。
通知は来ない。
シナリオの外にいる。
この場所に、答えを決めるシナリオはない。
「……世界のために、必要だと思っていました」
声が出た。
自分でも驚いた。
ブライアが動かなかった。待っていた。
「詳しくは言えません。言える言葉がありません。ただ、私が生き残ることが、世界にとって良くないと、そう思っていました」
部屋が静かだった。
「今も、そう思っていますか」
私はブライアを見た。
「……わかりません」
それが、今日一番正直な言葉だった。
*
審問が終わった後、ルカが近づいてきた。
他の人々は少し離れたところにいた。
「ルー様」
「何だ」
「わからない、と言いましたね」
「そうだ」
「それでいいと思います」
ルカが真っ直ぐに言った。
「わからなくなったということは、前は決まっていたということです。決まっていたものがわからなくなった。それは変化です」
私はルカを見た。
「あなたは、何も知らない」
「そうです」
「知らないまま、そういうことを言うのか」
「はい」
ルカが少し笑った。
「私にはわからないことの方が多いです。でもわからないことと、間違っていることは違うと前に言いました。あなたが今日言ったことは、間違っていないと思います」
私は何も言えなかった。
ルカが一礼して去った。
部屋に、少しずつ人が減っていった。
最後にセレンが来た。
「お疲れさまでした」
私は何も言わなかった。
セレンが隣に立った。
二人で、空になった審問の場を見た。
しばらくして、私は言った。
「セレン」
「はい」
「……ありがとう」
長い沈黙があった。
「……はい」
セレンの声が、今日は震えていた。




