21.演技の果て
断罪の準備が、全て整った。
シミュレーションを最終確認した。
他国内通疑惑の証拠。ルカへの迫害の記録。素行不良の積み重ね。肉親の不審死疑惑。全ての告発項目が、断罪の場で機能するだけの重みを持っている。ブライアが主導する断罪は、一ヶ月から二ヶ月以内に始まる。
計画通りだ。
私は被害者を減らすシナリオをこの世界で一年かけて作り上げた。
ただし今夜は、その事実を素直に受け取れなかった。
スマホを閉じた。
机の引き出しを見た。書状がある。枯れた花の跡がある。
窓の外に雪が積もっている。
*
石の抑制を試みたのは、三日前だった。
エルマーの覚書の図形と、自分が記録してきたデータを照合した。シミュレーションが示した「一時的な抑制」の方法は、石の特定の図形に沿って魔素を手動で流す、というものだった。術式の知識がなくてもできる、最も単純な方法だ。
ただし石に触れる必要があった。
エルマーの警告を、頭に置きながら。
触れた。
何も起きなかった。
青白い光が、わずかに弱まった。魔素の数値が、少しだけ落ちた。完全な解決ではない。ただし嵐の発生を、一週間から二週間、先に延ばすことができた。
断罪の後まで、持つかもしれない。
エルマーが「触れるな」と書いた理由は、結局わからなかった。五十年前の状態では、触れることで急激な放出が起きたのかもしれない。あるいはエルマー自身に何か別の事情があったのか。
今となっては確認できない。
ただ、間に合った。
*
セレンが夕食の後に来た。
今日は用件の歩き方ではなかった。ただ来た、という感じだった。
「何かあったか」
「いいえ」
セレンが部屋の入り口のそばに立った。入ってくるでも、出ていくでもない場所だ。
「ルカ様が、今日また村を回っていたそうです」
「そうか」
「冬になっても、動きが止まりませんね」
「止まる人間ではない」
セレンが少し間を置いた。
「ルー様は、ルカ様のことを、どう思っていらっしゃいますか」
珍しい問いではなかった。以前にも似たことを聞かれた。あの時は「眩しいと思う」と答えた。
今日は少し、違う答えが浮かんだ。
「羨ましいと思う」
口から出てから、少し驚いた。
「……羨ましい、ですか」
「止まる理由がわからないと言える。それが羨ましい」
セレンが黙った。
私も黙った。
羨ましい。
前回は眩しいと言った。眩しさは距離がある。羨ましさは、もう少し近い。
セレンが静かに言った。
「ルー様には、止まる理由があるのですか」
私は答えなかった。
答えない、ということが答えだと、セレンはわかる。
「……そうですか」
セレンの声が、少し低くなった。
「ルー様、一つだけ申し上げてもいいですか」
「言え」
「私は、ルー様がいなくなることを、望んでいません」
部屋が静かだった。
外に雪が降っていた。風の音がした。
私はセレンを見た。
セレンの目が真剣だった。懇願ではない。ただ、真実を言っている目だ。
「セレン」
「はい」
「余計なことを言うな」
声が出た。いつも通りの、感情のない声のはずだった。
ただ自分でも、少し違う気がした。
「……はい」
セレンが礼をして出ていった。
扉が閉まった。
部屋に一人になった。
私はしばらく、扉を見ていた。
セレンの言葉が、頭の中にあった。
『私は、ルー様がいなくなることを、望んでいません』
望んでいない。
その言葉を受け取った時に、何かが動いた。胸の中で、確かに動いた。あの夜にルカの問いを聞いた時と、同じ場所が動いた。
ただし今夜の方が、大きかった。
*
深夜、眠れなかった。
スマホを取り出した。
シミュレーションを開こうとした。止まった。
今夜は違うことをした。
カメラを開いた。
この一年間に撮影した写真が、並んでいた。
石の写真。領地の農地。北東の森の木立。川の水量を確認した日の空。南の村から見た夕暮れ。エルマーの覚書の全ページ。
写真の中に、人は映っていない。
一枚も、ない。
意識して避けていたわけではない。ただ記録として必要なものを撮っていたら、そうなっていた。
私はカメラを閉じた。
メモを開いた。
今夜の日付の下に、何かを書こうとした。
何を書くかが、わからなかった。
計算ではない何かを書きたかった。ただそれが何なのか、言葉にならなかった。
長い間、白い画面を見ていた。
結局、一行だけ書いた。
『写真の中に人が映っていなかった』
それだけ書いた。
書いてから、少しの間だけ、その一行を見た。
消さなかった。
*
翌朝、シーン通知が届いた。
[シーン通知]
90分後からシーン011「勇者の誓い」が開始されます
内容:勇者が民衆の前で、領主への対抗を誓います
この場面は広く記録され、断罪の引き金となります
出演者はシーンに沿った動きを心がけてください
九十分。
最長の準備時間だった。
私はその通知を見た。
シーン011。勇者の誓い。断罪の引き金。
これが来たということは、断罪が始まる。一ヶ月以内に、全てが終わる。
九十分で、私は何もしなかった。
準備しなかった。シミュレーションも回さなかった。
ただ窓の外の雪を見ていた。
九十分が経った。
遠くから、声が聞こえてきた。多くの人間の声だ。ルカが誓いを立てている。民衆がそれを聞いている。断罪への最後の流れが、今日始まった。
私は窓から離れた。
自室の真ん中に立った。
この部屋に来てから一年が経った。石造りの天井は今日も変わらない。ただし今日は、前世のアパートの天井を思い出さなかった。それはもう、しばらく前から思い出さなくなっていた。
全ての準備が整った。
断罪は来る。
ただし今夜の私は、昨年の今頃と少し違う。
それが何を意味するかを、まだ言葉にできていない。
言葉にする前に、断罪が来る。




